05

「あらまあ」

シャンパンの泡は弾けてしまいました。
永遠に続くものではないのです。何度、あのディナーでザンザスがわずかに微笑んだことや、どこか小さな灯火を得たような柔らかくも熱っぽい眼差し、勘違いかもしれないけれどもそうだったらいいのに、となまえは何度も思い出しました。
何度も思い出して、何度も捨てずにいる彼の電話番号が書いてあったティッシュペーパーを眺める日々がいくらか続いています。

早く彼に連絡すれば良かったのでしょうか、ディナーのお礼に連絡して彼から返事が返ってきたっきり、なんの連絡も1週間ありませんでしたし、あのカフェで朝出会うこともで出来ませんでした。

やっぱり夜空に浮かんだ星に触れる事はできないのだ、とシャンパンの海が潮を引き始めた頃です。なまえの部屋、屋根裏の窓を叩く音がしたのです。

「ベル?」

こんな高貴な猫がどこに他にいるんだよ、と言うもなまえには可愛らしく鳴く猫の声にしか聞こえません。

「やっぱりベルね、どうしたの?」

窓を開け放ち、ベルを撫でながら辺りを見回しますが飼い主であるザンザスはどこにもいないようです。もしかして玄関にでも、と思いベルを抱き上げ階段を降りて行きますがやはり居ませんでした。

「一人できたの?」

「(そうだよ)」

「まあ、冒険家ね」

庭につながるキッチンへと入り、ペールピンクの少し深い皿と同じ種類のペールイエローの皿を出して、その中にそれぞれ水とミルクを注ぎます。
猫と会話なんて出来る訳がない筈なのに、不思議な事に気持ちが繋がっている気がしました。ベルは人間の言葉を理解出来るので、意思疎通が出来ている認識でというのは言うまでもありませんね。ついさっきも冷蔵庫の中を覗くなまえの足元にぴったりと寄り添っていたのですから。

「好きな方を飲んでていいわよ」

アフロディーテがこの猫を、ベルを摘んできてくれたような気持ちになまえはなりました。あの人に連絡する理由が出来た!と嬉しくなってしまうのは恋する乙女ならではでしょう。画面のロックを解除して、中々押す事のなかった文字列、Xの文字を選びます。

『ベルが私の家にきてるの』

そう短く打って、画面を暗くしましたがなまえはカメラ画面を起動しました。水を飲むベルの姿を写し、ザンザスに再び送信しました。


「長いお散歩だったでしょ」

「(まぁ別に?王子だし)」

なまえはベルがただ徒歩でやってきたのだと思っているのですが、ベルは王子様です。彼女の家の最寄まで行くバスにひっそり乗り込んでは、優しい少女に撫でられてもらったりした事を。人間の知識を持ったまま猫になった彼にとって不可能な事は何もないようです。

「変な人に連れていかれたり、事故にあわなくてよかったわ」

「(合う訳ないじゃん。てかさ、なまえはボスのこと好きなの?)」

「お喋りな猫ちゃんね」

「(違うってば、ボスの事どう思ってんの?)」

ベルの問いかけに、鳴き声にと言った方が正しいでしょう、なまえはにこにこと微笑むばかりです。聞くまでもない事をベルはわざわざ尋ねているだけなので、まあいいや、と喋るのをやめて喉を潤すのに集中しました。
なまえは絶対ボスの事がすきだ、という自信をベルは持っています。好かれている本人であるザンザスよりもです。

春、冬の目覚めから起きては太陽に手を伸ばそうとする花々の声が聞こえてきそうな、賑やかな夜でした。ベルは今でも覚えています。ザンザスを見つめるなまえの瞳を。花びらが浮ているだなんて、弱すぎるでしょう。火照った頬だけを冷ますような、心の熱に飾りを添える様な、アイスティーに小さなスパンコールの星を浮かべた様になまえの瞳は透き通り、輝いていました。

「今からご主人様が迎えに来るって」

「(ボスとデートしてよ)」

「嬉しいわね」

ボスは恋心を抱かれやすいからな、とベルはその時思いましたが、どうにもあの時のなまえの瞳を忘れずにはいられません。それに、どうにも今まで出会った女達とは違う気がしたのです。

「こんな服でザンザスに会ってもいいと思う?ベル?」

ベルの可愛らしいおひげにミルクが少しついていますが、なまえを見つめる瞳は真剣そのものでした。