02

いつもより気怠い目覚めの朝です。飲み過ぎたつもりはなかったのですが、寝入りがあまり良くなかったせいかザンザスは不機嫌です。身支度を済ませてホテルの朝食へ、と思いきや彼は街へ繰り出しました。なんとなく今ホテルで朝食を取ったら知り合いに会いかねない気がしたのです。例えば、跳ね馬ディーノとか。

「看板猫、かわいいな」

「猫ですか?当ホテルに看板猫はいないのですが・・・でも、ディーノ様に会いにきたのでしょう」

そんなやりとりが聞こえていたベルはふん、と尻尾を上に立ててザンザスの後を追って行きました。仕事前に一杯楽しんでいる人間もいれば、朝食が有名なカフェに並ぶ人間もいます。他にもいくつかカフェが軒を連ねていますが、ザンザスは一本奥の道へ入り、細い階段を上へ上へとのぼっていきます。ベルも負けじとザンザスを追いかけますが中々追いつけません。

「(ボス、歩くの早くない?)」

黙ったまま彼は何も言いません。考え事でもしているのでしょうか。ため息を心の中でついたところで、ベルの目の前を小さな蝶が飛んできました。いくら人間だったとはいえ、猫になってしまった以上動くものには抗えないようです。ビー玉のように丸々とした目が左へと向かい、気づけば体もそちらの方に向いています。

「ベル?」

がさり、という音がして後ろを振り向いたザンザスですが時すでに遅し、そこに猫の姿はありませんでした。視線を動かしましたが不安になるような物は何もなかったので、また、ザンザスは階段を上り始めました。

「おや、どこからきたんだい?」

ベルが辿り着いたのは丘の中腹から湖が見えるカフェでした。なんだか見覚えがある、と思うも目の前の蝶に夢中でそれどころではありません。蝶を取ろうと二本足で立ち、前足を動かしましたが蝶はするりと逃げます。気風の良い女店主は笑って見つめます。可愛らしい猫と蝶々の追いかけっこ、しかし、それは聞き覚えのある声でおひらきとなりました。

「あら、かわいい猫ちゃん」

「蝶を追っかけてきたんだよ。アイスラテにするかい?」

「氷少なめでお願い!」

「猫にミルクでもあげようかね」

そう言って女店主はラテの用意を始めました。ベルはミルクをもらえる事よりも、なまえと再会出来たことが嬉しくてたまりません。やっぱり、自分の予想は当たった、と言わんばかりになまえの足にすり寄ります。

「人懐っこいわね、どこからきたの?」

なまえに顎の下を撫でられベルはゴロゴロと喉を鳴らしました。ルッスーリアやマーモンとは違う、優しく柔らかな、重さをあまり感じない手でしたが愛おし気に撫でられるのは気持ち良いものです。嬉しそうに目を細め、もっともっと、とねだります。なまえも笑みをたずさえながら撫でます。

「ベルフェゴールというのね」

ルッスーリアにつけられた赤色の首輪がなまえに彼の名前を知らせました。ティアラの形をしたプレートには筆記体で彼の名前が書いてあったのです。

「男の子と女の子どっちなんだろう・・・」

「抱っこしてお腹を見りゃわかるさ。はい、アイスラテとミルク」

女店主の言葉を聞いたなまえはなるほど、とベルを持ち上げました。ベルは始め何が起きているかわかりませんでした。腹を見られたところで性別がわかるわけがない、とたかを括っていたのですが、彼は猫です。人間ではないのです。

「玉があるから雄だね」

「慣れてるわね」

「昔飼ってたのよ」

ベルは愕然としました。なまえの手から解放されても、ミルクの優しい香りに一切惹かれませんでした。まさか、自分の急所をこんな風に簡単に見られるとは思いもしなかったのです。さっきまで元気だった彼は恥ずかしさや、ショックさですっかり落ち込んでしまいました。

「ミルク、いらないの?」

何故落ち込んでいるかわからないなまえは氷が溶けてコーヒーの味が薄くなってもいいのか、しゃがみ込んでベルの様子を伺います。ベルは体を丸めて、なまえの方を見ようともしません。

「具合悪いのかな」

「ベル」

上から降ってきた声に顔を上げるとなまえは目をぱちくりとさせました。そこにいたのは今年の春にであった、二度と会うことのないと思っていたザンザスだったのです。