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ベルへの看病は夜通し続きました。
なまえが起きればザンザスも起きて、ベルに水を飲ませたり少しでも何か食べさせようとしました。それを繰り返すうちに夜はふけて、さらには夜の袖に隠れていた太陽が顔を出そうとした頃のことです。僅かに太陽の瞬きが部屋に差し込み始め、なまえの腕に光が当たりました。

絆創膏が張られていますが、何の怪我か考えずともわかります。ベルがこの間引っ掻いてしまった場所です。基本的にザンザスに怒られない限りしょんぼりとした気持ちにはならないのに、どうにもなまえには申し訳なさでいっぱいになりました。クッションの上から体を起こし、可愛らしいふわふわとした手でその腕に触れます。ごめんね、と言っているつもりでした。

「・・・ベル」

『なまえ?』

「ジェラート、一緒に食べないとね」

『ジェラート?なんで?』

夢でも見ていたのかもしれません。なまえはそう言ってベルの背中を撫でてまた、すぐに寝入ってしまいましたから。

『なまえ、夢でも見てるの?』

「るせぇ」

ザンザスのよく聞き慣れた言葉でした。談話室のベッドで眠っていて、起そうとする度によく言われたのです。ちぇ、とベルはなまえの側で体を丸めて自分も眠る事にしました。
洗い立てのシーツの波に埋もれ目を閉じる様は、前髪が伸びたせいで見えませんが、優雅そのものでした。

「ベル?」

けれども今度はザンザスが体を起こしました。ベルと会話をした気がしたのです。夢かもしれませんし、現実かもしれません。でもそこにいたのは間違いなく猫のままのベルでした。ああ、夢か、と思いザンザスもなまえを抱き締めなおして再び眠ります。そして、翌朝の出来事がより、彼にあれは夢だったのだと思わせる事になりました。

太陽が完全に夜の袖を押し退け、太陽の自慢の透き通って輝かんばかりの髪を大きくはためかせます。眩しい、と思ったベルが寝返りを打った時です。大きな音をを立てて床へと落ちてしまいました。この部屋に響くはずのない大きな音に、ザンザスの深い眠りの底にいた筈の意識はあっという間に上へと登り、体中の神経が目覚めなまえを庇うようにして体を起こしました。

音のした方に向ければ、まあ何という事でしょう。昨日まで猫だった筈のベルが人間に戻っているではありませんか。

「え」

床に落ちた事で目覚めたベルは、自身の手を何度も開いたり閉じたり、顔を触ったりします。床に手をついて立ってみれば、まあ床からなんと遠い事。人間に戻れたのかもしれない、と速まる心臓の音を聞きながら壁にかけられた丸鏡を見てみます。そこに映っているのは意地悪な魔女なんかじゃありません。確かに、ティアラをかぶった人間のベルフェゴールなのです。
鏡に近づき、ベルはぺたぺたと自分の顔を触ります。ふわふわな毛はどこにもありません。見えるのは白い肌に金髪の青年です。着ていた服もあの魔女に呪いをかけられた日と同じです。
遂に、遂に人間に戻ったのです。ベルは嬉しくてたまりません、感極まりザンザスの方へ振り向きました。

「ボス!」

振り向けば人間に戻ったベルに驚いたようなザンザスが居ましたが、彼は冷静にこの部屋から出ろ、と言わんばかりに扉の方を指さしたのです。何故ならなまえはベルが人間だったなんて知らないのです。ベルは慌てて、けれども静かに部屋から出て行き街へと繰り出しました。猫のベルのことは何て言うんだろう、と心配しながら。

そして結局、猫であったベルは亡くなったという事でなまえの夏は幕を閉じました。

「あのこ、明け方は元気そうだったのに」

亡くなる姿を見せたくなかったのね、と涙する様子を見て、いささかザンザスも心苦しそうでしたが流石にこればっかりは真実を伝えられません。だから、涙する恋人を腕の中に引き込み黙る事にしたのです。ザンザスが自身の屋敷に戻った後も暫く、『今日みたいな天気だったらベルがきたかもしれない』となまえはメッセージを送ったりもしました。それくらい彼女にはショックだったのです。
本当はベルは生きています。猫ではないベルですが。先述の通りなまえには言えませんし、ザンザスも気の利いた言葉を言える程器用な男ではありません。側にいれば抱き締めてやれたでしょう。

だから、ザンザスがなまえを呼び寄せると聞いた時にベルは彼女には優しくしてあげようと思ったのです。

「ジェラート?」

「一緒に食べようって言ったじゃん」

「・・・そうだった?」


なまえはベルからラズベリー味のジェラートを受け取りました。
ザンザスの住まう屋敷に呼ばれ、彼女は驚いた事に、恋人が飼っていた猫を思い出させる青年がいたのです。勿論、この青年こそが猫であったなんて、彼女は夢にも思いませんし知る事もない話です。

「でも、あなたって本当にザンザスが飼ってた猫にそっくりだわ。
あのこもベルっていうのよ。すごく上品な猫で」

「当たり前じゃん、王子だもん」

「え?」

ベルが綺麗な白い歯を見せながら、しししっと笑います。
なまえはきょとん、としてから大きく笑いました。

「そうね、王子様だったみたいだわ」


ザンザスの心を解いて、ベルにかけられた意地悪な呪いを解いたなまえの左手薬指に指輪が輝くころ、感謝の気持ちを込めて彼女の頬にベルが口づけをする事になるのはもう少し後の話です。



おしまい。


2021.05.30