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「まあ、ザンザス」

久しぶりに会えた恋人に驚いた、というよりもザンザスがなまえにプレゼントを持ってきていることに驚いたようです。決して大ぶりな花束ではありません。大輪の薔薇でも、いよいよ見ごろを終えるひまわりでもなく、星の様な形をしたペンタスという花です。

「どうしたの?」

彼を見上げてみるも言葉は返ってきません。肩眉をあげて、少し首をかしげて見せるばかりではありませんか。実をいうと年老いた淑女が街でワゴン売りをしており、なまえの姿のが思い浮かんだのです。立派な薔薇もありました。でも、なんだか彼女には小さな花が沢山あふるる姿の方が似合う気がして、ザンザスはこのペンタスを選んだのです。

「嬉しい、ありがとう」

大切に花を抱えて、どこかに飛んで行ってしまったベルを呼び寄せ家の中に入りました。
ザンザスからすれば狭い家でしょう。それは彼のみならず猫であるベルもそう感じていると思いますが、小さくもなまえとその家族がこの家を愛している、という事が伝わる気がしました。木で出来た食器棚は作り替えたばかりで、よく馴染んでいます。
庭へと続く扉はガラス戸になっており、冬になれば狐がやってくると言います。古くもピカピカに磨かれたシンクの側にはカスミソウが並び、ザンザスからもらったペンタスも仲間入りをしたのは言うまでもありません。

「長く住んでるのか」

「ひいおばあちゃんが買った家なの。それをおじいちゃんが貰って、父親が受け継いだんだわ」

なんとなく、ザンザスの纏う空気となまえ、この家から発せられる空気は違う気がしました。それでも、居心地が悪いと感じることはなく、寧ろ心地良さすら感じられました。ちょうど食事を終えてクッションの上でうたたねをしているベルのように。
いくら恋人の家だとはいえ、あまり眠くなることはないのにどうにも、今夜ばかりは眠いようです。仕事の区切りがついたからなのか、この家の何かのせいなのか。ぐっするりと眠りこけている猫が酷く羨ましく感じました。

「疲れてるのね」

「いや」

「眠そうよ」

誤魔化してみますが、なまえは笑みを浮かべたままザンザスを見つめます。眠くないふりをする、というよりも、態度を隠すのは得意な方なのにどうにも彼女の前ではうまくいかない気がしました。降り注いでいない筈の花が降り注いでるような、なんだか夢をみているような、そんな気持ちになるのです。

「・・・ああ」

なまえにはザンザスが幼い子供の様に可愛らしく見えました。今すぐにでも眠りこけてしまいそうではないのですが、ただ食事を済ませて帰らせるのは可哀想な気がします。勿論、久しぶりに会えた恋人とお喋りをしたいという気持ちもありました。だから、二人でリビングのソファーに腰かけ、コーヒーを飲みながら暫く会話を楽しむ事にしました。ベルはそんななまえの後ろについて行って、ザンザスと彼女の足の間に座り込んでいます。

二人とも足元にいる小さく柔らかな猫を誤って踏みつけてしまわないように、かわりにぴったりと肩と肩を寄せ合わせ、お喋りを楽しみました。手も触れ合わずに、ただただ言葉を紡いではテレビを眺める時間です。足元にいるベルの尻尾が不穏に動いているのを気付かないくらいに。

ベルの真ん丸な宝石のような瞳に次第に夏の終わり、秋の入りには似つかわしい小さな小さな炎が広がります。焦っているが故の苛立ちでした。はやく、あの子にキスをしてもらわないと、と。あの子なんて一人しかいませんよ、なまえです。キスさえしてもらえれば自分は元に戻れるとベルは思っているのです。それに、最近はどうにもザンザスと異様に意思の疎通が取れません。その度にベルは不安な気持ちになりました。自分はこのまま猫のまま死んでしまうのではないか、といった具合に。

「また、来週」

「お花ありがとう。嬉しかったわ」

結局リビングでは何も起きませんでした。ボスなんで?と思うもそれは伝わりません。当たり前です。不満げに鳴いて見せましたがなまえもザンザスもわかってくれないのです。
だから、どうにかザンザスに密着してもらうようにとなまえの足を噛んだりしました。それには苛立ちも含まれていたので、随分強く噛んでしまいました。なまえはきゃあ!と悲鳴を上げて、ザンザスの胸元に寄りました。

飛び込んできた恋人の背中にザンザスは手を添えます。

「ベル」

いさめる様な声が上から聞こえてきました。よく聞いてきた声音です。恋人をかばうようになまえの肩に回した手に力が入ります。じっとベルがザンザスを見つめているのは反省ではありません。

なまえがザンザスに口づけをするかどうか待っているのです。