15

なまえは愛おし気に、胸がいっぱいと言わんばかりのため息をついてベッドへと潜り込みました。いつもとは違う、ベッドで眠りにつく妙な高揚感もあるのに更に胸がいっぱいなのです。乙女の吐息は薔薇色と誰かが言っていた気がします。ですが、薔薇色というのはいささか仰々しすぎます、でも、確かに今の彼女は幸福なのです。

「ねえ、ベル」

広いベッドの中で伸びながらザンザスとの裏庭での出来事を思い返しました。ベッドが僅かに軋みましたが、彼女の思い出を邪魔する音にはなりません。小さな光に包まれているザンザスは今まで見てきたどんな彼よりも優し気で、彼から受ける眼差しはどんな宝石よりも麗しいものでした。蛍の光のせいで彼の赤い瞳の底は緩やかに映し出され、その瞳に写り込んでいるのは自分以外の誰でも居ません。
ずっとずっと、恋焦がれていた者に見つめられるのはこんなにも幸福なのか、と。その彼の眼差しを思い出す度になまえは恥ずかしくも嬉しくなりました。

目と目を合わせて、ああ、これを宝石に出きたらいいのに、だれか、これを絵に描いてくれたら良いのに。色でも良い、色でもいいから教えてほしい。なまえは自身とザンザスの交わう眼差しが何色なのか知りたくなった。いや、宝石の方が良いかもしれない。
なにせ、宝石に出来たら、宝石箱の中にしまっていつでも見れるかもしれない、となまえはホテルの大きなクッションに顔を埋めながら思った。やっとやっと、恋していたザンザスと想いが通じ合ったのだ。

ザンザスの部屋に入らずこちらに着いてきたベルはベッドそばの窓の桟に寝そべったまま、にゃあ、となまえにむかって鳴きました。

「夢見たいね」

尻尾がゆらり、と薄い雲が月を隠すように僅かに揺れます。二人の思いが通じ合ったのは嬉しい事なのですが、猫のままなことにベルは焦っていました。どうにかなまえからザンザスに口づけをしてほしいと。さもなければ、ベルは猫のままかもしれないし、このままティアラを奪われてしまうかもしれないのですから。
なまえの幸せそうな笑顔を見れるのは大変結構です。でも、どうすればボスに口づけをしてくれるかが最大の問題なのです。けれども、なんだか今は妙に眠く考えるのも面倒になってきたようで、ベルの瞼はゆっくりと上下し、今にも寝てしまいそうでした。目の前で幸福そうに自身を見つめるなまえのせいかもしれません。そんな事を彼女がわかる筈もなく、眠たげなベルの頭に口づけをすべく、ベッドから体を少し起こして口づけを落としました。

それ、ボスにしてよ、と言えたらどんなに良いのでしょうか。

一方でザンザスも得も言われぬ高揚感に驚いていました。猫になったベルのいない部屋はやけに静かで、外に人一人いなければ、道を走る車もありません。なんとも静かな街ですね。

『どうする』

二人でパーティーを後にして、部屋の目の前にきた事をザンザスは思い出します。
勿論、彼女を部屋に招いても良かったし、自分が彼女の為に用意した彼女の部屋に行っても良いつもりでした。立派な大人の男女ですよ、恋に結ばれた二人が一つの部屋に入ればそういう事があってもおかしくないのです。ザンザスが期待をしていないと言えば嘘になります。期待は少ししていました。でも多分、彼女は断るような気もしていました。


『また明日、おやすみなさい』

なまえはどこか熟れ切っていない少女のような幼さを見せて、ザンザスの頬へ口づけをして自身の部屋に入ってしまったのです。彼女の部屋にベルが飛び込んでしまったのは予想外でしたが。驚いて笑う彼女はいたく可愛らしく、ザンザスを見つめる眼差しにはなんの暗い夜空も見えませんでした。澄み切った夜空のような、バニラの香りがしそうな眼差しでした。ああ、早くまた彼女に触れたい、という気持ちがザンザスの胸の中で渦巻きます。

蛍の光に包まれてこちらを見つめるなまえの眼差しはとても麗しく、ザンザスはほかの誰にも渡したくない、と強く思ってしまったのです。自分に吸い込まれてしまいそうな程になまえは彼を見つめていたのですから。その眼差しを自分の体の中に取り込めたらどうなるのだろうか、と非現実的な考えが浮かびます。

きっと、これが恋の成せる技なのでしょう。