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なまえを探しに庭へ出たザンザスは驚きました。

「ハンサムなご主人様よね。あの人、私のこと好きかしら?どう?」

ベルも驚いています。
なまえはベルのことを本当に猫だと思って話しかけているのですから!

「でも、私あの人と付き合っても遠距離恋愛になりそうじゃない。うまくいくかしら。
二度と会えないと思ったから、またこの街に来てくれてこうしてデート出来るだけ嬉しいのに、私ってわがままね」

なまえは恋に対する不安を打ち明けながらもベルを優しく撫で続けます。大きな丸い瞳はじっとなまえの顔を見つめて、いつもなら鳴く筈なのに何も言いません。可愛らしい口を三角形にして、彼女が落ち着くのを待ちます。普段こうして乱した気持ちを見せる事のないなまえの姿にベルは驚きを隠せません。でも、もっと、驚いたのはザンザスがなまえの背中越しに立っているのが見えた事でした。

「・・・酒でも飲んだのか」

ザンザスの声になまえは息を飲み込みました。はっとして何故かベルの前足を握りましたが、ベルは彼女の視線から顔を反らしました。薄情なのかもしれませんが、彼は自分の足を握られた所で何もできないのです。だから、少しでも二人で会話をしてもらおうとしした行動でした。ベル、と助けをすがるようになまえは囁きましたがザンザスが近づくばかりで、ベルはついに顔を横へと反らしてしまいました。

「飲んでないわ、この間みたいに寝てないもの」

なまえはベルの足を踏まないように立ち上がります。彼への想いを聞かれたかもしれないという不安のせいか、恐らく聞かれているのですが、努めて冷静さを装いました。

「そうか。じゃあ本心なのか、猫に話しかけてた言葉」

ほら、やっぱり。

なまえの頬にさっと血が集まります。途端に心臓は強く高鳴り、全身の血が早く駆け巡り、瞳がじわじわと熱くなりました。

「どこの男の話だ」

「・・・盗み聞き?」

「聞こえるように喋ってただろ」

ぐうの音も出ません。彼の言う通りです。盗み聞きだと言うのは無理がある話です。人が聞こえてもおかしくない声の大きさで喋っていたのはなまえなのですから。
どうすれば良いのか彼女はさっぱりわかりません。こんなまさか、ザンザスは庭に出てこないだろうと油断していたせいです。ベルを撫でていて思わずリラックスしたせいかもしれません。ああ、どうして、とザンザスの顔をみないようにと背を向けてしまいます。

「こっちを見ろ」

「恥ずかしいからいや」

こんなの、先ほどの言葉はあなたに対する言葉です、と告げている様なものです。途端に強情になったなまえにザンザスは少し眉間に皺を寄せました。

「なまえ」

「見ないで、顔が赤いの」

彼女の腕を掴んでしまいたい所でしたが、彼女を驚かせしまうのではないかと気が引けてしまいます。きっとルッスーリアが側にいたらもどかしさで地団駄を踏んだかもしれません。でも、こんな風に人を変えてしまうのも恋ね、と言うでしょう。バニラの香りがする夜空というにはあまりにも透き通った夜空です。夜空から零れてくるのはジャスミンの香りで、その香りが二人を包み込みます。

「きゃあ!!」

ザンザスが手を伸ばした時でした。なまえの悲鳴で彼の手は引っ込んでしまったのですが、なんと、ベルが彼女の足に噛みついたのです。甘噛みではありますが、このタイミングで噛む必要があったのでしょうか。構ってくれなくて噛んだ訳ではありません。なまえをザンザスの方に転ばせようとしたのです。

「ベル、なんで、わ、あ」

噛まれても彼を踏まない様にとしたなまえはベルの予想通り、バランスを崩してザンザスの方によろけてしまいました。二人一緒に芝生に倒れる事はありませんでしたが、なまえはすっかりザンザスの腕の中に閉じ込められてしまいました。

鍛え上げられた腕は重く、大きな手はなまえの背中を支えています。

「なまえ」

上から降ってくる優しい声音に顔をあげずにいられるでしょうか。でもなまえはよっぽどザンザスに自分だけの想いを聞かれて恥ずかしいのでしょう。顔を決して上げません。
じっと二人を見つめていたベルの瞳があっちへ、こっちへ、と動き始めます。

蛍が飛んでいるのです。

青みがかった世界に差し込む小さな黄色くもどこか緑色を纏った光達が、なまえとザンザスを取り囲みます。
まるで蛍が彼女の顔を上げるのを促す様に、彼女の側を飛び始めました。なまえはゆっくりと、導かれるように顔を上げます。耳飾りすらも眩い黄色の輝きを見せています。

「蛍だ」

いつもならしない筈なのに、ザンザスは手を伸ばして蛍に触れようとしてみました。
一匹だけでは彼の掌を照らすには小さすぎますし、蛍は彼の手に驚いて、歪な光路を残してどこかへ行ってしまいました。

「お星さまみたい」

確かになまえの言う通り、二人は星空の中に立っているようです。ベルにもそう見えました。眩い星々が二人の恋を照らし出そうと蛍にその輝きを託したのでしょう。
熱情たっぷりの口づけをするにはあまりにも優しくて、儚い眩さです。
なまえもザンザスの真似をして、蛍が飛ぶ暗闇に手を透かしてみませました。
彼女の瞳で眠っていた星は蛍によって目覚め、きらきらと彼女を輝かせます。もしかしたら蛍の光だけが、彼女の瞳に入り込んだのかもしれません。

「なまえ」

蛍に見とれていたなまえでしたが、ザンザスの方を向く間もなく頭に口づけが降ってきました。優しい、彼女を思い遣るような口づけです。

蛍たちが見守る恋の始まりにはぴったりな口づけでした。