09
ベルを連れて帰ってくれたお礼にと、あまり好まなかったホテルで少し遅い朝食を取りました。足元にはベルが上品に、と言いたい所ですが彼はあたかも人間の様に、テーブルの椅子に腰かけて食事をするのが当然のようにザンザスの側に座ったのです。
ティアラを頭に乗せてやれば、正真正銘の王子でしょう。なくとも彼は王子のつもりですが。
給仕係の人間は誰もが微笑み、ベルの為にお水と鶏肉のささ身が用意されました。
「(全然味しねぇじゃん、舐めてんのかよ)」
当然です。今、彼は猫なのです。
「わ、ベル、駄目よ。猫は食べちゃだめなの」
文句を言いながらもささ身を食べきったベルは、よっぽど人間の時に食べていた味が恋しいのでしょう。向かいに座ったなまえのお皿に前足を伸ばしました。
狙っているのははちみつがけのブルーチーズです。器用に隠していた爪を出して爪の先にチーズが引っかかるようにします。なまえは食べさてはいけない、という一心でお皿を遠くに離しますが、怒った様な唸り声が向かいから聞こえるではありませんか。黒目は大きく開かれ、興奮している事がわかります。喉から手が出る程欲しいのでしょう。しかし、それは叶いません。ザンザスは右手でちぎったクロワッサンを口に放り込み、空いた方の手でベルの首根っこを掴みました。
「(俺もチーズ食べたい!)」
「ふざけんな」
「(猫の餌なんか嫌だ!)」
「大人しくしろ」
ベルはザンザスの方に顔を向けて、我儘を言い始めます。なまえから見れば猫が不満そうに、にゃあにゃあと鳴いてるようにしか見えません。
「るせぇ、じっとしてろ」
先ほどよりも低い声で怒られたベルは何も言えなくなって、不貞腐れたように顔を隠して丸まってしまいました。
「・・・怒っちゃった?」
「死なれるより良い」
「そうね・・・。ごめんね、ベル」
さっきまでとっても仲良しだったのに、突然の小さな揉め事になまえは悲しい気持ちになりました。
「どうせすぐに忘れる」
「そう?」
「そういう奴じゃねぇ」
覚えているかもしれません。丸くなったとは言え、ベルの尻尾は抗議を示す様に小さく左右に動いているのですから。ザンザスには敵わないとわかりつつも、態度には出さずにはいられない様でした。ブランチを済ませた後にザンザスはベルを部屋へと戻しました。デートを見守らせてもらえない事にベルはまたもや不貞腐れて、暫く部屋の扉を叩いたのですが、ザンザスの洋服の上でお昼寝しようと決めました。後に怒られるとわかっていても、ベルはせずにはられなかったのです。
洋服の上でお昼寝されているとは露知らず、ザンザスとなまえは邸宅美術館を訪れていました。かつての貴族が住んでいたと言われる邸宅です。美しい庭園と、様々な建築様式を織り交ぜたエクレティカ様式が成せる麗しい場所の一つになります。
「冬の間は閉館してしまうから、夏になると来たくなるの」
そう言って何度も見てきたであろう邸宅の中をなまえは愛おし気に見つめました。
庭に出ていく彼女についていけば湖が一望出来ます。ザンザスもこの景色を見るのは初めてではありませんでしたが、どうにもなまえが居るせいか新鮮に感じられました。
「そろそろ戻らないとね、約束に間に合わないでしょ」
ザンザスは小さくため息をついてから、そうだな、と小さく言いました。今日の夜は彼の父親であるティモッティオとの食事なのです。浮かない予定です。どんなになまえと過ごせた一日であっても、なまえと過ごせたから頑張れる、というものではないのです。
表情が出ないように努めているつもりでも、そうはいかなかったようです。なまえはザンザスになんて声をかければ良いか、と考え始めたのですから。