鍋底のネオンピンクを燃やして
鍋の中で煮えているものの匂いは良かった、嫌な香りではなかった。ただなんとなく、どんなものかと、キッチンに足を踏み入れただけのつもりだった。
つまみ食いでもしていたのか、なまえの手には銀のスプーンが握られており唇の端にはトマトソースだろうか、赤っぽいものが着いている。
「あれ、どうしたの、ん」
ザンザスの親指の腹が唇の端をなぞった。ついてる、と言われなまえは少し恥ずかしかったようで、唇を閉じたまま彼を見つめて笑うだけだ。瞳を縁取るまつ毛には何もついていない。レースカーテンを縫って橙に染まり上がった日が部屋に入り込むように、なまえの瞳にはやけに暖かな光が集まっているようにザンザスには見えた。瞳を覗けば夕日が見えるのではないかと見つめ返す。
勿論、時はすでに夜だし、このキッチンから見えるのは月ぐらいだがザンザスのせいで窓は見えない。見えるとしたら、彼女の瞳に写った彼自身の燃えるような赤い恒星くらいだろう。
「ザンザス・・・?」
食べ物を口の端につけていたという恥ずかしさと彼が見つめてくる理由が理解出来ずに困惑している。じっと好きな男に見つめられて恥ずかしいというのもあるだろう。そのせいか瞳は静かに潤み出し、彼女の瞳に写った赤い恒星も涙の幕で踊り始めた。
「わ、あ、なに」
それから彼女の言葉は途絶えてしまった。ザンザスが彼女に口づけをし始めたからである。顎を掴んで唇で遊ぶように唇を啄んでいくのだ。彼の手がそこに収まるのがさも当然のように、ザンザスの手はぴったりとなまえのくびれに添えられている。くびれに手を添えられるなんてよくあることだ、よくあることなのに、口づけされながらとなるとどうにも肌が溶けていきそうな気がしてならない。
「んん、だめ、だめ」
「何がだ」
「何が、って、ご飯できたから」
あきらかにキッチンでする口づけにしては色めき立っている。ここから連れ出そうと、なまえの中にある物を溶かそうとしている口づけなのだ。ザンザスの口づけを拒もうと彼の顔を手で押し退けようにも、逆にその指が噛まれてしまう。がぶり、と指に歯が立てられた。驚いて大声をあげればその拍子に手を一纏めにされてしまう。
「ちょっと!冷めちゃうでしょ!」
「それがどうした」
「良くない、お腹すいたって言ってたじゃない」
「減ってねぇ」
「嘘!だめ、ご飯が終わってから」
大きな手で両手首を掴んだまま、ザンザスはなまえの首筋に顔を埋め唇を這わしていく。この口づけの先のことは容易に想像出来るものだ。それにしても一体なにが、ザンザスの腹の底に火をつけたのだろうか、と考えるが彼女にはわかりまい。
「ご飯食べてからにしよ」
「いっつもソファーで寝てるのは誰だ」
「ザンザスに言われたくない!」
「あぁ?」
確かになまえは食事後にソファーで眠りこけている。でも、ザンザスよりもソファーで寝る回数が少ないから言われたくない、というのが彼女の気持ちであった。かと言って彼のなまえであってもそう言われるのは好きな男ではない。眉間に深くしわが刻まれ、彼女はここで大人しくなるどころか笑いがこみ上げてきてしまうのだ。
「何がおかしい」
「怒るにはもったいない話だと思わない?」
「じゃあどうする」
そう言ってザンザスはなまえをワークカウンターの上に持ち上げ、両足の間に自身を滑り込ませた。彼女は完全に逃げ場を失ったのである。太ももをしっかりと掴み再び彼女の瞳を覗き込む。涙の膜は薄れたが、この瞳が真珠のように潤んだ姿をザンザスは想像した。
「後ででいいじゃない」
「俺を待たせるのか」
腰と腰が合うようにザンザスに太ももを引っ張られる。ぴったりと合わさったことでなにかをなまえに想像させた。溶けないように堪えた筈のバニラは姿を崩し始めたようだ。