沈黙が青色を帯び始めたが、ザンザスの瞳は当然赤色のままだ。
しかし、目の下の隈がより一層彼の瞳を赤く見せているにも関わらず彼の中に潜む不穏さで濁っている様にも見えた。しっかりと握られたカップは何かに警戒しているような印象をきらに与えている。

ザンザスは確かに彼女を見つめている。しかし、きらには彼が何を考えているか読み取ろうとするも、彼の表情から読み取れるものは何もなかった。意見をすることさえ憚られるような威圧感が彼から出ているのだ。実際はそうではないのに、そう思わせてしまうのは彼が歩んできた道のせいだろうか。きらに言いたい言葉ある。彼女と同じように、青色の光を放つ画面を無意味に眺めてしまった時間もあった。他愛もない連絡を時々してくれる可愛い婚約者だ。膝の上に乗せた時に嬉しそうに笑う彼女や、無防備に眠っている姿、口の端についた食べかすを拭った時の、きら。と思い出したりしたが、ザンザスが色濃く思い出してしまったのは胸倉を掴み彼自身に怯えている時の彼女である。

『ザンザスさん』

涙で濡れた声は懇願するようだった。
自分に冷静さを求めるような呼びかけであるのはわかった。それでもザンザスは自身を抑えられなかった自分自身に落胆した。あんなにも麗しい瞳で自分を見つめてくれた婚約者の顔には恐怖の色しかなかったのだから。頑な態度にも関わらず歩み寄ってくれたきらをひどく傷つけてしまったのだ。見る事のなかった、大粒の涙をこぼして泣く彼女を想像してザンザスは何度も嫌な気持ちになった。

「・・・悪かった」

カップを依然強く握ったままザンザスは低く小さな声で言った。
朝から夕食までにせわしない音がなっているキッチンは眠ったままだ。銀色の水道から水が垂れる事が無ければ、冷蔵庫の機会の音すらしない。こんな場所では十分聞こえる声の大きさで。きらが瞬きをし、落ち着きがなさそうに髪の毛を耳にかけたりした。

「きら」

気付いたらきらは泣いてしまった。
泣き顔を見られたくないのか、彼と話したくないのか彼女はザンザスに背を向けてしまう。彼は反射的にずっと握っていたカップを離して、後ろからきらを抱き寄せた。声を出しまいと堪えながら泣いているせいで喉が焼けるように喉が痛く、それを感じ取ってしまいさらに彼女は泣いてしまうばかりだ。

「・・・きら」

どうにかこちらに顔を向けてもらおうとザンザスは彼女に優しく何度も呼び掛けた。彼女の横顔を覗き込みながら。下を向いたままのきらの睫毛はすっかり涙で濡れている。こんなにも1人の女に固執し、心焦がれている姿を知る者は誰もいない。今まで彼と親しい仲にいた幾人もの女達も知らないだろう。ましてや、彼と共に戦ってきた幹部達も。

「泣くな」

涙で濡れた目尻に力を一切かけずにザンザスは口づけを落とす。彼の心に込み上げてくるのは素知らぬ感情だ。なんと言い表したら良いのか彼にはまだわからない。実は既に何度も感じている感情かもしれないし、ただはっきりと認識できていないのかもしれない。凝り固まった青色の沈黙が溶けていき、幼く甘い赤子の様な沈黙が2人を包み込み始めている。胸元を押さえるように手を置いていたきらだったが、ザンザスの手が重なっている事に遅れて気付く。首をもたげて、ぴったりと彼女にくっついてくる男には凶暴さを生み出す激しい怒りなどどこにもない。

「約束、したのに」

出てきそうなしゃくりを堪えながらきらはやっと話した。彼女の言う約束は1つだけだ。

『もう、意地悪しないで下さいね』

年の瀬が差し迫った冬の談話室、返事をする代わりに額に口づけを落とした事を思い出す。一体どうしてまた、あんな風に彼女を怒りの炎の渦の中に飲み込んでしまったのか。
きらに何も言い返せず、ただただ小さな声でそうだな、としかザンザスは言えなかった。抱き抱えている彼女は小さい。彼よりも小さくて柔らかく、儚い。力いっぱいきらの胸倉を掴んでいた彼だったが、今では彼女の両手を自身の手で柔らかく包んでいる。

「悪い事をした」

涙で潤んだ瞳がやっとザンザスへと向けられた。彼の逞しい胸板に後頭部を預けるようにして、少し見上げている。久しぶりに見た彼の眼差しに込められているのは怒りでも何でもない。こちらの様子を静かに伺っている小さな少年のような、どこか母性を擽るような眼差しだった。勿論、この大きな獅子のような恐ろしい男からそう感じ取れるのは彼女しかいない。
ザンザスによってきらは再び抱き寄せられるのだが、彼の方へきちんと顔を向けるように体を正される。ぽろぽろと溢れる彼女の涙をザンザスは親指でそっと拭い、自分の後頭部に預けていたせいで乱れた後ろ髪も無骨な彼の手によって直された。

「いけない人」

「本当に、そうだな」

どこか自分に呆れたような言い方だ。まさか、こんな風に自身を省みる日が来るとは彼自身も夢にも思っていなかっただろう。きらはそんなザンザスに困ったように小さく笑って首を左右に振った。

「・・・私を困らせるのが好きな人」

そう言われた彼はきらのくびれに両手を差し込み、鴨の羽色をした大理石で作られたワークトップの上に彼女を乗せる。ほんの少し、指一本もいらない程の高低差がきらと彼の間に生まれた。そこから見た彼の激しく燃える赤い星雲を閉じ込めた瞳にはパウダーブルーの沈黙が重なり、夜明けを告げているようだった。

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