夏の日差しとは裏腹に穏やかな日々が流れていた。時折ヴァリアー内で揉め事の声や、スクアーロとベルが互いの武器を取り合い戦い始めても誰かと誰かが仲違いしているという事はなかった。
きらが知る限りの人生で、ここまで穏やかな日々を過ごせるのは初めてだ。初めてだからこそか、心の中のどこかできっとこの穏やかさもすぐに壊れてしまうのではないか、と不安の雲が生まれていた。彼女の心に生まれた雲が呼び寄せたのか、はたまた偶然か、ヴァリアー邸に雷が落ちるのは遠くない話である。
「ザンザス、だめだ。こればかりは認められない」
嗜めるような宥めるような喋り方だ。
場所は変わって9代目が城主であるボンゴレ城、彼の部屋には息子のザンザスがいた。
「こんな危険な作戦はやめた方が良い。
スクアーロ君やレヴィ君にも大きな負担だ」
元々刻まれていたザンザスの眉間の皺が深くなり、顔をわずかにあげて目の前にいる老紳士を鋭い眼差しで見つめる。
どこが無茶な作戦なのか彼には全くわからなかった。いつも計画している作戦と何ら変わりがないし、ボンゴレ本部の承認が必要な任務ではないしただ波及がある可能性があるから報告に上がったまでなのに、とザンザスは苛立った。
「もうお前は独り身じゃない。きらさんだっているじゃないか。お前になにかがあれば彼女が悲しむんだ」
些細な言葉かもしれない。例えるなら、薬を飲もうとしてその錠剤が床に落ちただけなのに、と9代目の側に控える複数の守護者は思ったかもしれない。けれどもザンザスの体に広がったのは抑えきれない怒りの炎だった。
「テメェに俺の何がわかる!知った風な口を利くな!!」
抗議の意味を込めて強く机を叩けば、彼の体の中で燃え上がり溢れた炎はたちまち床から壁へと伝う。相手に警告するような低い声が部屋に緊張感を孕ませた。
「ザンザス!」
9代目は自身の息子と会話を続けようと名を読んだが、当の本人はそれ以上の会話を拒絶するべく退室してしまった。不穏な形に膨れ上がった緊張は守護者達の遣る瀬無い気持ちがこもった沈黙となり、部屋に転がるだけであった。
そしてその怒りの炎を体に残したままザンザスはきらとスクアーロとイタリアの老舗ホテルにいた。ロビーラウンジで落ち合おう、とスクアーロの伝言通りにラウンジに向かえば銀髪に黒いスーツ、見慣れた出で立ちの彼を見つける。
「きらはどうした」
「そこで喋ってるだろぉ」
指差す方向を見れば、自身が入ってきた入り口とは逆の場所、今いる場所より少し離れた所で日本人の青年と話しているではないか。きらと同じくらいの年齢であろう青年は紺色にストライプが入ったスーツを着ている。親しげに2人は話しており、きらの表情は彼に感じる懐かしさのせいか優しい。
「大学時代の友人らしいぞ」
椅子に腰掛けずその場で婚約者の方へ視線を送るザンザスを見ながらスクアーロはいった。食い入る様にきらとその青年を見つめているザンザスが気になるのだ。
眉間に皺が刻まれているのはいつものことだが、瞳に写るものに歪みがないか疑問だった。願わくばその疑問が疑問で終わってほしかったが、そうもいかなそうだ。
「あれ」
「あ、待ち合わせか」
「そう、きたんだけどね・・・」
きらがザンザスの視線に気付き、手を振るも彼は振り返す事もなくも背を向けて着席してしまった。自分の手を振るタイミングが遅かっただけなのかな、と気にしないことにした。
「俺もそろそろ先輩くるから、戻るよ」
学生時代にはつけていなかった艶消しがされている黒塗りの時計を見ながら青年は言う。
大学時代の唯一仲良かった男友達だ。授業が一緒になっては彼の可愛い恋人も交えお昼を食べたり、課題をこなしたりした。父親のせいで異性へ諦念の感情を抱いていたきらだったが、その青年のおかげでそういう男ばかりではないのかもしれないと思えた存在でもあった。彼女にとっては異性への諦念の気持ちを払拭してくれた思い出深い友達なのだ。
「じゃあプロポーズしたら教えてね」
「おう、きらも幸せにな!」
またねー、という明るい彼女の声が周囲のイタリア語や外国語に混じって後ろからザンザスの耳へと届く。
別に彼女の声が一際大きくなければ、周囲の声が小さいという訳でもないのに、きらの声がやけに大きく片耳を突き抜ける様に大きく彼には聞こえている。
突き抜けて、最後の音が突き抜けるや否やその片耳だけを塞ぐ様な耳鳴りがした。ああ、耳鳴りだったか、と思ったが高い音が耳の中で一定の時間なるのは心地良くない。
目の前に置かれたスプーンの下に敷かれているティッシュが煙を立てている気がした。ちりちりと音を立てて、不愉快な煙が舞っている。
「ごめんなさい、久しぶりの友達に会えて」
「仕事で来てんのか?」
「繊維の輸入をしてるんだって」
「そうかぁ」
スクアーロにメニューを渡され、きらはページを捲る。捲りながらそっと、ザンザスの様子を伺えば彼の腹底から湧き上がるものがある事に気づいた。今にも吹き零れてしまいそうな、何か色濃く煮えているもの。