「ボスとどんな話したの?」
ルッスーリアは自分の向かい側に座るきらの視線が何かを捉えたのを見逃さなかった。
まだ午前の早い時間、夏の日差しは大地を目覚めさせるには十分すぎて、空は恐ろしいほどに青々としていた。きらが着ている白い小花がちりばめられたセットアップの薄い青いと上手く混ざり合いそうなくらいである。
入道雲からちょっとばかり千切った雲が小花になったのか、小花が雲になりたがっているのか。しかし、当の本人は自分の洋服と空が混ざってしまいそうな事よりも自身の婚約者に溶けそうな眼差しを向けている。
「どんな?」
「激しい言い合いにはならなかったんでしょ?」
きらは視線をルッスーリアに向けているも、意識は目の前に持ってこれていない。
ルッスーリアの後ろで、はためくレースカーテンの向こうで、彼女の身を包む青よりも少し濃度の高い青いシャツに白いスラックスを選んだザンザスが電話をしているのだ。
雷撃隊のとある女戦士は潜入先のパーティが夏であっても長袖のイブニングドレスを着るらしい。理由として、武器を隠しやすいからだと教えてくれた。対して彼にはそういうのはなさそうだし、あくまでも彼なりのこだわりのようだ。
けれどもさすがに暑すぎるのか、袖は肘までまくられていた。ならばルーフバルコニーに出て電話をしなくとも、と思ったがきっと聞かれたくない話をしているのだろう。現にうっすらと聞こえる言葉はイタリア語でも英語でもない。
「ならなかった、ちゃんと話聞いてくれたよ」
ほら、まただ。
きらの視線がちらりとルッスーリアの横をすり抜けて、ハーフバルコニーの方へ飛んでいく。彼女の視線はきっと、コットンキャンディの雲が浮かぶ夕焼け色だ。ペールピンクとペールオレンジがまざったような、それでいて柔らかそうな、自分の見えるがこんなにも優しく甘やかなのかと錯覚するような色をした視線なのだろう。
「2人が仲直りして安心したわ」
ルッスーリアへと戻された視線、瞳の底には炎が灯されたままだ。ああ、やっぱり。彼は確信した。彼女は自分の愛する男を見つめているのだと。鈍い者もいるようだが、誰かに恋をしている人間の瞳には不思議な力がある。ちらちらと、その炎のせいでその人間の瞳が輝き、発熱をした時と同じように瞳が潤んでいるようにすら見えるのだ。
「もーきらちゃん。物欲しそうなお目目してるわよ」
はっとしていつの間にか噛んでいた紙ストローから慌てて口を離す。これが物欲しそうだと思われていたせいなのか、はたまた彼女の瞳がそう語っていたのか。勿論、答えは後者だ。
ザンザスは手すりに浅く腰をかけ、ポケットに片手を入れたまま電話を続けている。少し俯いているせいで瞳は見えないが、目蓋を閉じられていたとしても彼の威厳は十分に感じられたし、自身に似合う服を彼はよくわかっていた。
「私の後ろにいるボスが気になってしょうがないのね」
「・・・ちがう」
「あら、いけない貝殻ちゃんね」
両掌を天井に見せてルッスーリアはお道化てみせる。きらは彼の言葉に疑問を感じたのか、眉をひそめながらも口角は下がっていない。
「天気が良いなって思ってたの」
「本当かしら?」
熟れたマンゴーのジュースはとろりとしており、グラスで飲まれるのを待っていた。きらがストローで混ぜると氷とグラスがぶつかり涼し気な音が鳴る。
他人からすれば視線が合っているかわからないのに、と思われてもおかしくない。それでも彼女はルッスーリアの方へぴったりと視線を投げてくすくすと笑ったままだ。
「お喋りな目を持った貝殻だわ!もう!」
「そうか、なら貝が開くまで待つか」
部屋に響いていた2人の笑い声を打ち止めたのはザンザスである。
ルッスーリアはこれはいいわ、と言わんばかりに「あとはよろしくね、ボス」と言って席を立った。去り際にきらへ投げキッスをしたのは言うまでも無い。そのハートはきっと今日の太陽よりも熱く、夏の女神の胸飾りよりも輝いている。
「何か言いたげな目だな」
当然ザンザスもわかっていた、レースカーテン越しに視線を注がれていた事など。
本人は無自覚かもしれないが彼には十分物欲しそうに感じたのだ。自分を求めている、と思ったら自惚れだろうか。けれどもそう思ってしまう程にきらの眼差しはアイスでも溶かしてしまいそうだったのだ。
近くにいればその視線を掬うように、顎へ手を滑らせて口づけでもしてやったのに、とザンザスは思った。
「無理やりにこじ開けるか」
「それはだめ」
「また閉じる気か」
きらはいつの間にか本当に貝になってしまったらしい。
思わず喋ってしまった事に驚き唇に手を当てた。早く言えば良いのに、とルッスーリアは思った筈だ。ずっとザンザスに口づけして欲しいと思っていた事を。
「・・・ずるい人」
目の前で小首をかしげるザンザスは楽しそうに鼻で笑う。
自分の想い人にそんな眼差しを向けられて嬉しくない人間などいないのだ。
「きら」
いつもより少し上機嫌なザンザスの声に名を呼ばれた彼女はどきりとしてしまった。
ぴったりと閉じているのにマンゴージュースのせいで甘そうなきらの唇は今にも開きそうだし、彼の手招きにしたがって今すぐにでも彼の側に行ってしまいたい。
ザンザスに名を呼ばれ、膝の上に座らせられたら彼女はもうされるがままなのである。
「こっちにこい、きら」
暗殺を生業とする男を侮ってはならない。
自分の肌を滑る視線がどんな色かだなんて、ザンザスにはお見通しなのだから。