『ナターレは家族で過ごすものなの』

ルッスーリアの言葉を思い出しながら、部屋の中でうとうと、と行きたい所だったがどういう訳がきらの部屋の暖房がつかなくなってしまった。物置に置いたヒーターを持ってきてあげる、と言われ彼女は談話室の暖炉の前に寝転がっている。
食事の後みんな部屋に下がってしまい、キャンドルの暖かさは残したままだけれども雰囲気はさながら日本でいう大晦日の前夜のようであった。

爆ぜる薪に揺らめく炎できらの顔が照らされる。燃える様な、激しい年だったと彼女は思い起こしては瞳を閉じた。年が明ける頃には帰国をして、身辺を整えなくてはならない。ずっと住んできた日本を、国から去るのだときらは考えた。でも全然想像がつかないな、と寝返りを打って横向きになる。イタリアに来た時もそうだったけど、と。右足を下に、左足だけ折り曲げて暫し経った頃、彼女の温まった体を冷やす言葉が降りかかった。

「見えるぞ」

「わあ!」

意識は殆どナターレの夢の中であった。プレゼントの紐が勢いよく引っ張られるようにして、きらはワンピースの裾を正しながら慌てて立ち上がる。振り向けば部屋にとっくに部屋に下がった筈のザンザスが居るではないか。

「ね、寝たのかと」

「寝てねぇ」

そう言いながらザンザスはテーブルの上にあった本を、彼女の近くであるテーブルの端まで歩んで取った。夕食前にここで読んでいたのに、食べ終わった後に取りに行くのを忘れていたのだ。誰もいないと思っていた談話室にまさか、きらがいたとは想像もしておらず、このように双方ともに驚く形になった。

「・・・寝ないのか」

「部屋の暖房が動かないから、物置にあるヒーターを持ってきてもらってるんです」

取りに行ったらメッセージが入るらしい。きらはスマートフォンを揺らして画面を照らすもまだ来ていないようだ。寒いから、と肩を竦めてみせる。そうか、と言えば会話は途絶え、薪の爆ぜる音だけが二人を包んだ。ザンザスもザンザスで部屋に戻れば良いものの、なんだか戻れなかった。あの日と同じように、うずうずとした感覚が彼の中で渦巻く。もう隠す事も、目を反らす事も出来ない。言い得ぬ感情はとっくに心臓の横で花咲いてしまった。

「帰国の便の手配をしてる。・・・一月の半ばになる予定だ」

別に今、彼女に知らせなくても良いのに、ザンザスはナターレの休暇が終わった後の予定を全てきらに告げた。新年の二日には彼の父親の元に向かい面会をする必要がある事、事件の解決のために調査部門の人間がやってきて、数日程時間を取られる事。

「査問にはスクアーロを同席させる」

ザンザスにとってみれば慣れたものだが、きらは勝手がわからない。だから、と気遣ったつもりだったが彼女は違う光景をみていたらしい。人の話を聞いていないように見えた。どうした、と尋ねれば自身の両手を握りしめたり胸の前にもってきたりと落ち着かないようだ。

「あの、ヴェントの人は・・・」

指先が冷えていくような感覚に苛まれる。寒くない筈なのに、暖かな暖炉の前にいたのに、きらはあっという間に恐ろしくなった。眉間に皺を寄せてザンザスの瞳をじっと見つめた。その瞳にはもう暖炉の暖かな炎などうつっていない。ヴェントの青年がいたあの、終わった筈の景色を見ているのだろう。彼女は一般人である。ザンザスにとっては日常的な事件も、きらにとってみれば恐ろしい凶暴な事件なのだ。
彼女は違う世界から来たのだった、とザンザスは改めて思い出したが宥め方がいまいちわからない。だから、彼は彼なりに、優しく名前を呼んでみたのだ。

「きら」

「あいつはもう、いない」

「いない?」

自身の腹の前で握りしめていた両手の上に、ザンザスの大きな手が重ねられる。
どこまで告げるべきか、と思案しながら彼はゆっくりときらの手を摩った。
抱擁は得意ではない。されるのも、するのも。それでも、彼女がこのまま終わった景色に飲まれて消え行くくらいなら、とザンザスは本を置いてから婚約者を抱き締めた。

「お前の前に現れる事はない。然るべき処罰が下される」

強く薪が爆ぜた。もっと前にも、こうして彼と談話室で話した事はあった。
でも、こんな風に抱き締められはしなかった。頬は彼の逞しい胸板に当たっている。心臓の近くだろうか、規則正しい音が彼女には聞こえた。心配するな、と上から声が降ってきては背中を摩られた。大きな手がゆっくりと、きらを案ずるように、とても以前では考えられないが、ザンザスは何度も摩ってくれたのだ。暖かくて、大きな手である。ああ、ああ、ときらはなんだか泣きたくなった。ザンザスは宥め方がわからない、と思っているが彼女にとってみれば、彼こそが彼女の不安を和らげようとしてくれる存在だったのだ。

そして、ヴェントの青年の言葉をふと思い出してきらは泣いてしまった。
嘘か本当かもわからないザンザスの過去についてである。血縁関係などない、と言われる父親との仲の悪さはきらもわかっていた。ヴェントの青年が言っていた血縁関係の有無については尋ねていないが、親に恵まれなかった彼女がなんとなく想像しうるものはあった。彼の幼少期については全く知らないが、彼にもこんな風に背中を摩られる事はあったのだろうか、と。実に勝手な想像だ、ザンザスさんはきっと怒るだろう、と何度も思った。それに、あんなに激しい恨みを買ってしまう人だ。この世界が大変なのもわかるが、ザンザスもザンザスで激しい道を歩んできたのだ、と思い、また涙を溢した。

「泣き過ぎだ」

背中にあった両手がきらの両頬を包み込む。そのまま顔を上に向かせれば、すっかり涙で潤んだ瞳が見えた。言葉はぶっきらぼうだけれども、彼の手は優しかった。大きな爪を持った獅子が乙女の柔らかな頬に爪を立ててしまわないように、そっと涙を拭う。

「そんな事、ないです」

ひ、としゃくりが上がった。何を思って泣いているかなんてザンザスには言えない。言えないし、気付かないで欲しいと願いながらきらはわざと強く鈍く瞬きをした。
その赤い瞳で心の底を射抜くように読まれたくなかったのだ。自分だけの秘密にしておきたい、願いごとのような涙だから。クリスマスツリーの上に輝くトップスターだけが気付いて良い願いごとなのだ。プレゼントは何もいらないから、靴下の中が空っぽでも良いから、ときらは遅いクリスマスのお願い事をした。

彼の頭の上に掛かる雲が少しでも柔らかいものでありますように、と。
きらは自身の上に掛かる雲を想像した。ずっとずっと暗く湿った雲だった。でも、その裏側は銀色に輝いていると先人は言うのだ。ザンザスとの出会いで銀色に輝く面が見えたのかと問われれば、答えはイエスだろう。でも、きっと焼け焦げた跡が残った銀色の雲だろう。綺麗ではないかもしれないが、きらは十分その雲が愛らしいと思えた。過去の記憶に囚われていた自分が足を前に進めたおかげで、怪我をしながらも銀色に輝いたのだから。
そんな彼女がザンザスの上に掛かる雲が少しでも柔らかくて、裏側の雲が銀色に眩く輝きますように、と願うのは不思議な事ではない。

「きら」

そんな願いも露知らず、ザンザスは彼女の濡れた涙の底を見つめる。まだ自分が恐ろしいようで、瞳の底は揺らめいていた。彼を恐ろしいと思わなくなり、手をしっかりと重ね合うのはいつか。きっと、遠い未来ではないが。そんな未来を望みながら、ザンザスはきらの額に口づけを落とした。

雪解け水に漂う花びらのような、優しい優しい、口づけであった。



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