ヴァリアー邸に蔓延る沈黙をルッスーリアは感じ取っていた。
静電気を孕んでいるような、人の行動を抑制するような沈黙だ。
これが自分の気にしすぎならいいのだけど、ときらのことを気遣いながら過ごす。
ヴァリアーの幹部にとって憎き9代目から提示されたものは実に複雑だった。ザンザスの婚姻を持って活動の抑制を解除するというのだから。いかに複雑な提案であっても、断る事が出来ないのを彼らはわかっていて実に不愉快だという気持ちもあった。しかしザンザスの年齢や立場を考えれば所謂、政略結婚というものは往々にしてある。珍しいことでは無い。事実、自身のボスの周りにいる女達をよく思う者はいなかったし、ルッスーリア に至ってはどうにか心穏やかな女が、と願っていた。
「あら、お手紙よ」
絶世の美女という訳では無いがルッスーリアにとってみれば十分美しく見える。
瞳の底は見えないが、他人の意見に左右されず物を推し量ろうとする素直さが見て取れる気がするのだ。それに、つやつやとした健康そうな肌、来た時は乾燥していた髪の毛が今や天使の輪っかがのっかっている。着ている洋服も自身に似合うものを選び、無駄買いをしない賢い子だとルッスーリアは思っていた。一際彼とその他の幹部が関心したのは、敵対するファミリーの襲撃事件で取り乱さずに泣きもせずいた事である。
「ヴェントファミリーの男の子からだ」
「先週もお花と一緒に来てたわね」
「でも、詩ってよくわからない」
「なあに?それ」
これ、と言われて差し出された手紙には麗しい字体で書かれた詩があった。
「いつも詩なの、彼」
「どうして?」
「わからない。お花ありがとう、って返してからずっと詩が送られてくるの」
ああ、この時にきちんと忠告しておけばよかったとルッスーリアは酷く後悔するのはもう間もなくの事である。
自分の知識のなさできらはいまいち理解を得られない詩が書かれた手紙ではあったが、一緒にくる花を楽しみにしていた。まだ見慣れない部屋に一輪の花を飾るだけで部屋が潤うような気がしたからである。このご時世、携帯ではなく手紙がくるのも楽しみだった。いつも異なる便せんに押されているシーリングスタンプをそっと剥がす瞬間は経験をした事のない高揚感がある。
この先の日々にきらは不安を感じていたが、部屋に花があるだけで幾ばくか気持ちが穏やかになる気がして次第に青年からの手紙を心待ち遠しくなる様になった。
「・・・その花はなんだ」
きらの部屋にあった枯れた花を処分しようとした使用人がザンザスに声を掛けられた。まだうら若い新人の使用人らしい。屋敷の主に、しかも暗殺部隊のボスに声を掛けられた事のない彼女は、震える唇を押えながら彼の怒りの琴線に触れまいと答える。
「・・・きら様の、お部屋にあった、お花です」
「誰が用意した?ルッスーリアか」
ザンザスは近頃異様にぴりぴりしていた。婚約者を当てが割れたのも原因の一つだが、自分の城に知らない女がいる事が気に食わない。
「いいえ、きら様のご友人からです・・・」
「友人?」
「ボス、お時間です」
窓の外にあった重い雲が使用人の首を絞める所だった。
濃い灰色に染まった空は今にも腹の底から涙をながしそうで、その痛みを堪える為に使用人の首を絞めようとしたのだ。
しかし、その迫り来るような殺気は雲のせいなんかではない。ザンザスから滲み出たものだった。殺気が彼女の頬を舐めたが、レヴィの声で救われた事をきっと後生大事に感謝するだろう。
何せザンザスの体の中にはすっかり濃い灰色に染まった空が生まれてしまったのだ。
濡れてしまった雲の体は重すぎて満足に動く事も出来ない。
『同盟ファミリーを集めたナターレのパーティまでに彼女を無事に過ごさせておくれ。
仲睦まじい姿で会えたら、今後の話をしよう』
憎き自身の父親の姿を思い出しザンザスは苛立つ。
彼の瞳を見てレッドドワーフという星を思い出したきらであるが、本当にそんな瞳なのだろうか。瞳の淵から怒りの火が燃えだし、その炎の陰のせいか瞳孔が大きくなっていく。きらをどうにかしてやろう、そんな思いがザンザスの中で駆け巡っているのだ。
この間の懇親会で掴んだきらの手を思い浮かべる。
ローズゴールドなど塗していない何も塗られていない手だった。その手の自由を奪い取って、濃い灰色の空の中に埋め込んどしまおうか。恐怖で体の温度は下がって手の先などあっという間に冷たくなってしまうだろう。彼女の何を映しているかわからない瞳には何が映るだろうか。
「ボス、こちらです」
いつもならそんな事を考えないのに、ふと考えてしまう自分に疑問を抱いたが特に気にもせず、自ら車から降りてハロウィンに色めく街中へとそっと姿を消していった。