今まで気づいていなかっただけなのか、無視していただけなのか。
彼の心臓をちくちくと突っついていた幼い緑の蔦には鋭い棘がこさえられていた。

人混みをかき分ければ、怯えたように逃げる人間が出てくる。さらに、それに気づいてしらじらしく道をあける人間もいたが、そんな扱い今はどうでも良いのだ。彼はもっとほかの事に忙しく夢中になっている。

数歩先にいる婚約者しか見えていないのだ。きらに話しかけている酔っぱらった男をどう払おうか、なんて声を掛けようかと考えるのでザンザスは忙しかった。

「きら」

彼女の瞳に降った星を自分だけのものにしたいとは思ったが、正しくは彼女の星降る瞳を誰にも渡したくない、という焦燥に近いものであった。彼の声に抑えきれない苛立ちが出てしまうのも致し方ない話である。婚約者に呼ばれ、きらがはい、と返事をすれば話しかけていた男は陽気に後ろに振り返った。

広間の奥からクリスマスベルの音が聴こえる。男もそれくらいには陽気だっただろうけれども、ザンザスの顔を見て、しまった、と思ったようだ。酒のせいで蒸気した熱くなった頬が心なしか冷えていく気がしてならない。それもそのはずだ、話しかけていた女が言っていた婚約者はザンザスのことだったのか、と。

『お嬢さん、パートナーとかいないの?』

『婚約者が一応』

つい先ほど、話しかけたばかりの会話が男の中で蘇る。ああ、しまった。
よりによって暗殺部隊を治めるザンザスの女に話しかけていただなんて。

「これはハンサムさんだ!じゃあまた!」

二度と会うか!と男は心の中で吐き捨てながらその場から立ち去った。
男がザンザスを見て焦った理由をいまいちわかっていないきらだったが、ザンザスに視線をうつしてみれば、確かに彼はハンサムだと思った。

彼女の視線に気づいたのだろう、瞬きを終えたばかりのザンザスとしっかりと目が合ってしまう。真っ赤な赤い星だ。赤と言えばりんご、ときらは一人で連想ゲームをしたがどうにもしっくりこない。りんごでは底が見えないし、皮を剥けば黄色に近しい。
だから、彼女には遠い宇宙で煌々と力強く輝き続ける赤い恒星を宿しているようにしか見えなかった。

「何だ」

「・・・なんでもないです」

上を向いた睫毛がぱちぱち、と動く。
ザンザスは不可思議だ、と言わんばかりに眉間に皺を僅かに寄せては持っていた酒を煽った。
ようやく婚約者同士並んだものの、二人の間に会話はない。ただただお互いにじっとそこに立っては壁の花として広間で踊っている人間達を眺めている。会話がないものの、不思議とグラスを口にするタイミングが合っていた。

「踊った事はあるのか」

「え?私?」

「他に誰がいんだよ」

まさかザンザスに質問されるとは思いもせず、きらは慌てて答える。

「ルッスーリアに教わるまで踊った事なかったです」

「それでベルと踊って転んだのか」

目の前を歩いてきたボーイからザンザスはウィスキーを取った。おかわりだろう。

「何で知ってるんですか?」

きらがベルとのダンスの練習で転んだのは二週間前の事だった。
ステップを誤り、ベルもよそ見をしていたようで雪崩れるように二人で転んでしまったのだ。ルッスーリア以外には話していない筈なのにどうして知っているのだろうか。
きらは驚いたようにザンザスを見つめれば、ベル本人から聞いたという。

「ザンザスさんは?」

「あぁ?」

「ザンザスさんは踊れるんですか?」

「・・・お前よりかはな」

ほんのりと、彼の瞳が暖かく燃えた。よくよく目を凝らさないと見えない小さな小さな炎である。きらはその炎をもっと近くで見てみたい、と思ったがそんな勇気は彼女にはない。だから、彼の瞳を薄ら明るく見せてくれる炎が消えないように、もう少し見続けれるようにと会話を続ける事にした。

緑色のワンピースドレスの中、きらの心臓には冬には似つかわしい程の可愛らしい花が咲いた瞬間であった。

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