みすぼらしい雲だ。
安くてガサガサした綿のような雲で、満足に雨を降らすことが出来なければ冬の薄い陽の光を満足に隠すことも出来ない。それでも、掴めやしないのにその雲を掴みたい衝動にザンザスは駆られた。

手に触れた途端にどこかに散ってしまうだろう。隠したいものも、思い出したくないものも何も隠せないだろう。わかっている、わかっているのだ。それでも、ザンザスは今すぐに溢れかえっては動きを止めない記憶を奥に隠したくてたまらない。

「あらやだ、またボスのネクタイだけないわぁ。この間は靴だって違うやつだったし、いやになっちゃう」

ルッスーリアの独り言のような、話しかけてくるような声もザンザスの耳にはいまいち聞こえていないようだ。椅子に腰掛けては一点を見つめるばかりである。

『ザンザス様、もうすぐ冬至でございますよ。太陽が生まれ変わりますから、何かお願い事をされると良いでしょう』

いつだったか、随分と幼い頃に聞いた声を久しぶりに思い出した。目の前では確かにルッスーリアが忙しなくし始めているのに、これまたザンザスには見えないようだなのだ。
頭の中で夜空が重くのしかかり、永遠を思わせる程に暗く寒い空気が流れる。それを堪えるには部屋の灯りはあまりにも小さすぎるし、手足の先はかじかんで上手く動かない。
頬は突き刺すように痛み、乾燥してしまっている。


「もしもし?ちょっと、お願いしたネクタイがないわよ。この間もお願いしたじゃない」

ルッスーリアが腰に手を当てながら電話を始めた。ザンザスの流れ出した記憶を止めるには不十分な音で、奥底に仕舞った筈の記憶がとめどなく零れだしていく。よく手入れのされた緑の見える暖かな部屋にいるはずなのに、凍えるような冬空の下にいる気がしてならない。

「明後日?明後日じゃ遅いわ。だめよ、あなた届けるって約束したでしょ」

冬の夜空がみすぼらしい雲の間を縫ってはこちらに迫ってくる。星々などどこにもない。重苦しそうな黒い袖を引きずって、辺りを黒く、不気味に青白く塗りつぶしていくだの。恐ろしい、と言って泣く子供の声などその袖で攫ってしまうのだ。いいや、攫うよりも、幾重にも重ねた鈍重なフリルのような袖で押し潰してしまうだろう。そしてその袖が溶けだして、跡形もなく子供たちを消し去ってしまうのだ。

鈍重なフリルの袖から出てくる手は冷たい。とても人間とは思えない手である。いやだ、と言おうにも唇は乾燥していて喋るには辛い。幼い子供に触れるような、幼い子供の腕を掴むにはあまりにも強すぎる力だ。

『触るな!』

全てを追い払うような子供の声が木霊したかと思いきや、瞬く間に視界は炎に包まれた。
冬の夜空を照らし出すような、煌々と燃え盛る赤い炎である。全てを照らし出し、人の心が寄り添う炎とは言えない。見えない星すらも塵にしようとしている。ザンザスの頭の中で裾をすっかり広げてしまった、あの夜空も今は燃えている。

「ボス?」

燃える夜空には星ではない何かが散っていた。それでいい、とザンザスは手に力を込めて、じっと炎が燃え盛るのを待った。どんなに燃やしても夜は明けない。ならば、全てが燃えてなくなってしまえば良いのだ。全てが、塵となって、それで、

「ボス!電話よ!」

サイドテーブルに置いた携帯の画面には見知った番号が映し出されていた。出る気にもならず、そのまま赤色のほうをタップしてこの部屋を出るべく立ちあがったのだ。

「お洋服試着しないの?」

「寝る」

ルッスーリアの制止の声がしたがザンザスは無視をして部屋を出て行く。やけに疲れる夢を見た気分になった。なんとなく足が重い。もし、目の前にスクアーロでも飛び込んで来たら殴っているかもしれない。残念ながらというべきか、スクアーロにとっては幸運にも任務なので殴られる事もないのだが。ただ、ザンザスが連絡を取ってくれなかった事は不満だろう。

「あ、ごめんなさい」

階段を上ろうと足を一歩踏み出した時、靴の先に青色のペンがぶつかる。眉間に皺を刻んだまま顔をあげれば本を腕の中に抱えたきらがいた。

「転がしておいて、拾うから」

もし、彼女がいま履いているワンピースの裾を燃やしたらどうなるだろか。よく燃えるだろうきっと。よく燃えては、さほど塵も出来ないだろう。頭の中できらの裾に炎をつけてみるも、ザンザスはその炎を掌で押し潰してしまった。そんな風に想像されているとも露知らず、きらは拾ってくれたザンザスに感謝してどこかへ行ってしまう。

なんだか、彼女を燃やしてしまうのは嫌な気がした。

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