結局事件はきらの思っていたヴェントファミリーからの差し金ではなかった。
『あなたがいるから襲撃が増えたって訳でもないのよ』
ルッスーリアの言葉を反芻しながら目の前に置かれたケーキを、パネットーネをぼんやりと眺める。いよいよ目前に迫ったクリスマスパーティーの概要を聞きにザンザスとボンゴレ本部にいるのだ。
「ところできらさん、ご両親とは連絡は取れているのかい?」
切り分けられたパネットーネの中にあるドライフルーツの数を何故か数えていた。全てを数え終えるの9代目の言葉によって阻止されてしまう。どうにも、気持ちが落ち着かない。服装に変なところはないか、口になにもついていないか、髪の毛はおかしくないか、顔は、この仕草は、と色々考えてしまう。誰の視線を気にしているというのだ、とその雑念を払うようにきらは姿勢を正し、答えた。
「取れていません」
「実を言うと我々も連絡が取れなくてね。きらさんも連絡が取れないと言うのなら調べるの事も出来る」
嫌だ。
きらは率直にそう思ってしまった。こんな風に、投げ捨てるように娘を海外へ追いやった親に何を望むのだ。嫌だ、知られたくない、知りたくもない、全てなかった事にしたい、ときらの中で黒い渦が巻き起こった。確かにずっと父親に目を向けられるのを望んでいた。自分の、大切な娘であると、そう感じさせて欲しいと。きっと叶わない願いなのだときらもわかっていた。望めば望むほど、手は傷ついて目の前は暗くなって、自分を惨めに思ってしまう事を。だから、このまま彼らの行方を知らぬままでいたい。
「連絡は取れなくて大丈夫です。取れても折り合いが悪いので。それに、元々父は仕事でご迷惑ばかりおかけしていた筈です」
不思議な婚姻の理由をきらもザンザスは知っていた。ザンザスにとってはヴァリアーの活動における制限解除に関わるが、彼女は父親の負債の返済代わりにやってきたのだ。
事業の散漫な運営により生じた不都合を、ボンゴレ資本で賄う筈が大失敗を喫した。返せる金がない、と言いながらも殆どは彼の後妻、きらにとって義母と消費してしまった。そしてその一部がきらの学費へとも使われていたのだ。それをボンゴレの顧問弁護士から告げられた彼女にとって、その事実は退路を塞がれたようなものであった。
自身の息子にそろそろ落ち着いてもらいたい、という気持ちが功を奏したのだろう。危うく深い海の底に葬られる所、きらの両親は彼女をイタリアへ捧げた事で太陽の下を歩いている。
「良いです、このまま行方知れずで」
「寂しくないのかい?」
「・・・肉親を失ったという意味で、ですか?」
ザンザスは会話に一切入ってこない。足を組みなおし、パネットーネを幾度か口に運んではエスプレッソで流し込んでいるだけだ。
「別に肉親だからといって、最後まで愛さなくてはいけない理由はないと思うんです。叶わぬ手綱を引くのはもう、終わりにしたいんです」
雨が音もなく窓を叩き始める。部屋の中の何もかもが、彩度が落ちて世界の静寂を招いた。きらは気付いていない。ザンザスが時折、彼女の様子を伺うように視線を投げている事を、彼女の瞳から何かが零れ落ちないかを気にかけているのに。
「まだ振り返るにも、両親を許せるかもわかりません。わからないからといって後ろを振り返るのは疲れました。今は、ただ目の前にある美しいものをみていたいです」
こんなに話すつもりなかった。自分に言い聞かせた訳ではないが、言葉にしたことで自分の気持ちをはっきりと掴めた気がしたのだ。これで良い、これが良いのだ。自分はきっと目の前に両親が現れれば、せめて父親だけにでも、と目を向けてもらえるように努力してしまうだろう、ときらは思った。どれ程努力しても彼は自分を愛してくれないとわかっているのに。
「それに、私を愛してくれる人たちも、彼らと過ごす時間を愛したいです」
ルッスーリアが本部の客間で待っている。本当はベルも来るはずだった。ルッスーリアのお気に入りのスタイリストがやってきて、パーティー用のドレスを選ぶのだ。ザンザスも同じくスーツを仕立てる。きらは頭の中でイタリアに来てからの日々を思い出した。
悲しい事も大いにあったし、ザンザスとはまだ心を寄せ切れていない。それでも、過ごした日々は陽だまりの様に麗しかった。
きっと、ルッスーリアがドレスの試着に精を出してくれるだろう。
ベルが居れば色々と茶々を入れてくれたかもしれない。屋敷に戻ればマーモンが暖炉前で靴下の中に入れるのは硬貨にしてくれ、と強請る筈だ。レヴィにはイタリア語の宿題をチェックされてしまう。そして、スクアーロは兄の様に今日出来事を聞いてくれるだろう。
「きらさんがここで楽しく暮らせるなら私は嬉しいよ」
9代目の言葉にきらの口元には三日月が浮かんだ。