静かな帰り道だった。
無事に役所を抜け、雨が降りそうな空をきらはただじっと眺めていた。今にも空が泣き出しそうで、空から赤色の物など降ってこない筈なのに彼女の視界には何度も何度も赤色の絵の具が張り付いてしまう。その絵の具を払おうと瞬きを繰り返すも瞬きは意味を成さない。降りしきる大雨のせいで車のワイパーがついていかないのと同じだ。

次第に呼吸が浅くなり、体を震わせないように、車の革張りの匂いを感じないようにと堪え始めた。本能的な事だろう。牧場なのかただの畑なのかわからないが春と夏には麗しい緑がこの幹線道路の左右を彩っていると思える。修理の成されていない道を車で通り抜けた時、僅かに車体が揺れた。ルッスーリアも、運転しているレヴィも何事もなさそうだ。ルッスーリアに至っては慌ただしくテキストメッセージを送ったり、ボイスメッセージを送っている。ザンザスに至ってはきらの隣、1人分の席を開けた、その隣で眠っている。

ああ、駄目だ。

「吐きそう」

「なぬっ!?」

「ちょっと停めてあげてちょうだい」

レヴィは懇切丁寧に道の端に寄せた。車のロックが解かれるや否やきらは車への外へ飛び出し、枯草の上にしゃがみ込んだ。瞳に写っていたのは赤い絵の具ではなかった。血である。自分にかかってこなかったものの、その血が自分の目の前で飛び散ったのはやはりショッキングな光景だ。これまで幾度かそういった場面に遭遇したのにこうした事がなかっただけ立派、とベルが言っていたのをルッスーリアは思い出す。吐き気はあるものの思うように吐けないらしい、急いで車の後ろに回り彼は水を探した。

吐く前に水を少しでも、と思ったが、おえ、という声が聞こえる。
きらの苦しんでいる姿を想像してルッスーリアは胸を痛めた。ただ彼女が嘔吐しているから胸を痛めているのではなく、彼女のこれまでの断片的な日々を思って胸を痛めたのだ。背中を摩ってあげなくちゃ、と顔を上げたがその役目はザンザスに取られていた。

「もっと頭を下げろ。もっとだ」

耳の横から垂れそうな髪の毛を大きな手で掬いあげ、まとめたままきらの頭をぐっと下へと押しているのだ。冬の透き通るような日差しはもうない。どんよりとした雲が太陽を隠している。ぼやけがかった僅かな日差しの中、きらは吐きながらも、喉を焼かれていくような感覚に苛まれながらも書庫の中での時を絵の様に思い出した。

自分の手首1つには大きすぎる手だった。戦いをしてきた人間の手である。重い手だ。その手に傷つけられそうになった事は忘れない。でも、あんなにも心強いと思えたのも本当だ。緊張で体温を失った手に手首からゆっくりと熱が伝わっていると思った。

「草が・・・」

「馬鹿か」

どうかしている。この婚約者も、自分も、とザンザスは自身に呆れた。この女に一体何を求めているのだろうか。わからない。書庫の中で見つめた彼女の瞳を思い出しては胸の奥底が疼くような気持ちになった。この気持ちを知らないというのには無理だろう。だから、少しでも目を瞑ろうとするがいつまで続くだろうか。ふつふつとザンザスの中で膨れ上がる気持ちを抑えようにも、彼もその方法がいまいちわからなかった。
じゃあ、この今まとめている髪を引っ張り上げてみようか。

「ボス」

「・・・なんだ」

ルッスーリアが振り返ったザンザスに小さく微笑んだ。考えを見透かされているかと疑いたくなる程のタイミングである。水まで飲ませてくれたら最高なんだけど、とキャロットオレンジが鮮やかなマフラーを巻き直した。けれどもルッスーリアはまた小さく笑ってきらの側に行き、水を飲ませてやった。

「ラブコメの観過ぎかしら」

「ラブコメ・・・?」

ザンザスは赤子を初めて見た猫の様に車に戻ってしまったのである。
きっと何か彼の心にも起きているのだろう、と期待をしたくなってしまうのはルッスーリアだけではない筈だ。

「うふふ、元気が出てきたら一緒に観ましょうね」

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