爪を噛んで待つには長すぎる。
唇を噛んで涙を堪えるには長すぎる。
心に蓋をして嵐が過ぎるのを待つのは長過ぎる。
耳をよく立てて、目を配って、己を殺すには回数が多過ぎる。

ザンザスはきらが待っている、と言われていた部屋に入った。天井まで届く高い窓の上の方から日差しが差し込んだので手で視線を覆う。一方できらは逆光でザンザスの顔をうまく捉えることが出来ない。写真でしか見たことない婚約者、人生の伴侶となる男。

「きらさん、お待たせしたね。息子のザンザスだ」

彼女の向かい側まで来てやっと手をおろし、隠れていた瞳が姿を見せる。彼の赤い瞳がレッドドワーフと呼ばれる赤色の星をきらに思い出させた。恒星としては命が長いらしいが、永遠の命を授かったその星が自身の婚約者であるザンザスの瞳になったのではないかと考えながら見つめてしまった。

自身の瞳にやけに詩的な感想を抱いたきらと違ってザンザスは全くを持って彼女に興味を示さなかった。示すこともなければ、いかにこの女との婚約を反故にしようかと専ら考えていたのである。己の中にこびりついている何かに対する感情が腹の中でうめき声をあげていた。反故にするなら初めから断れば、という声が聞こえてきそうだがザンザスには断れる余地がなかったのだ。この婚姻を飲めばヴァリアーの活動抑制を解放しようという9代目からとの取引があるからである。リング争奪戦以来、長らくヴァリアーはボンゴレ本部の厳しい監視のもと許される範囲の任務をこなしてきた。勿論そんなのは彼らにとっては癪だし望ましい状況ではない。

『同盟ファミリーを集めたナターレのパーティまでに彼女を無事に過ごさせておくれ。
仲睦まじい姿で会えたら、今後の話をしよう』

このテーブルクロスの端から炎をつけて燃やすことが出来たらどんなに良かった事か。
その炎に先に飲まれるのはきらか、彼の父親か。だが勿論それはザンザスの不穏な考え事として終える。しかし、代わりにきらの持っていたティーカップが銃弾によって割れてしまった。まだ何もこの世界を知らない無垢な彼女が受ける洗礼としては、あまりにも乱暴かもしれない。

その結果、きらは血しぶきが飛んだ助手席の後ろに座っている。

突然の敵襲に一家離散となり、ザンザスと部下であるルッスーリアに手を引かれ逃げ出したのだ。レストランから車で走り出すも後ろから敵に追いつかれ、敵を撒くために車を乗り捨て足で幹線道路まで逃げてきたのである。夢の中にいるのではないか、と頭がおいつかないきらは必死でザンザスの後ろをついていった。

世界遺産になったといわれる穏やかな渓谷に嫌に目立つイギリス製の高級車、ザンザスはそこの助手席めがけて銃を放った。勢いよく血がフロントガラスに跳ね返り助手席は血だらけだった。ひびの入った窓ガラスに打ち込まれる銃声が響く。そして車のロックを解除し、ザンザスは息絶えた男を乱暴に車から引きずり下ろした。
口を失った死者は麗しい糸杉を眺める瞳も失ってしまった。

天国と地獄の間を永遠とさまよい続ける、ジャックオランタンの悪戯なのだろうか。
視界を流れる田園風景を眺めても全てが合成された写真にしかきらには見えなかった。

「レヴィと合流したらこの車は燃やせ」

間を少し空けて隣にすわるザンザスは足を組み、不機嫌そうにルッスーリアに指示をする。その横でおとなしく座っているきらは時差ボケと寝不足のせいかつむじのあたりがちくちくと痛み出し、腹の底がむかむかしてきた。
視線を外に向け、なるべく血が視界に入らない様にと努力をするきらをルッスーリアはバックミラー越しに見やる。

走り抜けてきたせいで乱れた髪をなおしもしない、瞳の底は暗く見えない、化粧は薄い。
とても自身の愛するボスの隣に並ぶような女には思えなかったが、こんな惨劇を目の当たりにしても泣きごとも言わずについてきた事は立派だわ、というのがルッスーリアの感想であった。

糸杉を隠すように霧のような細かい雨が降り始める。
この雨がきらにとって大雨にならければ良いけれども、と願うルッスーリアの気持ちはザンザスにはまだ届かない。


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