「スクアーロ、書類は出来たのか」

きらの涙が空に伝染したのか、雨が降り出している。
雨のせいでしっとりとした沈黙が床へ沈ずむもザンザスがその沈黙を苛立ちの篭った声で裂いた。

「それは明日までじゃなかったかぁ?」

ぎょっとした顔で彼はザンザスの方に振り返った。
ザンザスは腕を組みながらスクアーロを見下ろして、有無を言わせない態度を取っている。

「今すぐにだ。マーモンも術者の特定をしろ。ベル、お前もだ」

ベルはきらの横に座るマーモンを掴み、ザンザスの苛立ちが雨雲の如く広がらないように急いで部屋を出た。スクアーロはまだ泣いているきらの背中を軽く叩いてから王子様の後に続いた。


室内との気温差のせいで窓はどんどん曇っていく。あたりを静寂へ、本格的な冬の入りを促す雨だ。ぴたり、と重なった雨粒同士が溶けあい涙のように涙を滑る。
きらはどうにも涙が止まらないらしく、未だにソファーに腰かけて口元を覆うようにして、膝の上に肘をついて泣いている。
彼は、ふと、彼女の頬に触れている自分を想像してしまった。大粒の涙で濡れた頬だ。指の腹で拭ってやればきらはどんな反応をしただろうか。その手を払いのけるように顔を背けるだろうか。それとも、薄氷の溶けだした瞳で自分を見つめ返すだろうか。

自分から彼女の事を拒絶しておきながら都合の良い想像かもしれない。
彼女を、きらをベッドの上へ無理やり押し倒した時とは大違いだ。あの時は恐怖で濁った瞳だったのに、今の彼女の瞳は瞳の底まで見えてしまいそうな、瞳の底にこさえた惑星が見えてしまいそうな程である。ふいに、その惑星を取り出してみたいとザンザスは思ったのだ。ただの興味かもしれないし、スクアーロがザンザスに対して何か引き起こしたかもしれない。けれども、あまりにもきらとザンザスは互いを知らない為、その何かを決定するには難しいだろう。

「・・・まだ泣くのか」

随分と棘のある言葉だ。
ザンザスは思わずきらをじっと見つめてしまい、まさか彼女と目が合うとは思いもしなかったのだ。その気まずさから目を反らすも、やっぱり、底が透けてしまいそうな程に澄んだ瞳をしている。

「部屋に、戻ります・・・」

きらもきらで見られたことに驚き涙が止まってしまった。
彼の言葉にはむっとしたが、今言い返す元気はない。
それよりもザンザスがまさか、と思ったように彼女もまさか、と思ったのである。今まで見た事もない瞳であった。
あの時のザンザスの瞳は自分の命を奪われかねないと思う程に激しい火球が閉じ込められた瞳だった。流れ星だなんて可愛いものではない。夜空に滑った火球のせいで、あたりには火の粉が飛び、重苦しい煙が空へと舞い、何も見えなくなってしまいそうだった。

しかし、今の彼の瞳にはそんな敵意に満ちたものなどどこにもない。じっと見つめて居たら彼に心の内も、頭の中も、全てを見透かされそうな瞳だときらは思ってしまう。
なんの感情にも支配されていないザンザスの瞳を見たのは初めてで、でも、このまま見ていたら心臓を吸い込まれてしまいそうな気がしてならないのだ。
そんなおとぎ話みたいな事が、と思いつつもソファーから立ち上がり部屋に戻る事にした。

「他人に足をすくわれるぞ」

「え?」

「自分で考えろ」

ザンザスの声に反応して振り返ったきらはいたく不思議そうな表情をしていた。突然、雲を口の中に放り込まれたような、そんな表情だった。扉は廊下と部屋を分断するように大きな音を立てて閉まる。談話室に残ったザンザスは降りしきる雨をぼんやりと眺めるが、その横顔は何か思い煩いを起しているようだ。
窓についた雨粒と雨粒がぶつかり、何度も何度も涙のように窓をすべっていく。別に婚約者に何か声を掛けるつもりはなかったし、彼女に自身の言葉が上手く伝わっていないのをザンザスはわかっていた。

とは言っても、一体どうして、彼女にああして言葉をかけてしまったのかも、スクアーロに妙に苛立ってしまったのかもザンザス本人にもわからなかった。
きらに対して向けていた感情が遠く星のない夜空のように黒いものしかなかったのに、今や底知れぬ色をした感情が湧き上がっている。

腕を組みなおして、息を吐いてもその感情の色をザンザスは触れる気にはなれなかった。

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