「舐められたもんだよ、僕達がこんな安くて脆い幻術に騙されると思うだなんて」

屋敷に戻り、任務を終えたばかりのマーモンにスクアーロが報告をすれば小さな術者はいたく不満気に言った。

「ボスの言う通り何者かが僕達の事を探ってるね。暫くは気をつけた方が良い。それと、どうしてきらはスクアーロ達と離れたんだい?」

いる筈なのに彼女は自分がどこにいるかわからなかった。真っ暗なテレビ画面をじっと見つめ、映画に夢中で周りの声が耳に入ってきていないようなのだ。きらの頭の中を覗けばわかるが、彼女は先ほどから何度も何度も追いかけた男を思い出しては、膨れ上がった惨たらしい姿を繰り返し再生させている。見るに耐えない光景であったにも関わらず、そうしてしまうのは何故だろうか。

「きら?」

ベルの声がその再生を止めた。名前を呼ばれた婚約者ははっとして周囲を見渡す。椅子に腰を掛けていたのは小さなマーモンときらだけである。スクアーロ、ベル、ザンザスは立ったままだ。

「誰追っかけたわけ?」

「・・・父親だと思って、追いかけたの」

あの膨らんでいた、幻覚とは言うが、あの父親をもし針で突いたらどうなるだろうか。

「父親がイタリアに来てるのか?」

「わからない」

「連絡してみればいいだろぉ」

スクアーロは歯切れの悪そうなきらの言葉に疑問を感じながらも連絡を取ることを促した。もし、本当に父親がいる上で幻覚をかけられたのであれば姿知れぬ挑戦者はあまりにも大胆で、あまりにも挑戦的すぎるのだ。

「・・・連絡、取れないの。ずっと。イタリアに来てから」

「何も?手紙も?」

どうにか瞳に張り付いていた薄い、膜のような柔らかな氷が迫り上がった涙のせいで溶け出し始めたのをザンザスは見逃さなかった。

「何も。そうなるだろうとはわかってたんだけど、父親だと思って追いかけちゃったの」

深い訳がありそうなのをこの場にいる人間は誰しもが検討つく。鈍くなった沈黙が談話室を巡り始めた。きらの頭の中では膨れ上がった父親が針でつかれたばかりだ。

「どうしても会いたいなら探し出せるぞ」

「いい、しないでいい。多分、私が死んでも何も連絡してこないと思う」

涙を堪えようとして震える喉を抑えるようにきらは言い切る。瞳はたっぷりとした涙で覆われ、きっと彼女の視界から見える彼らは滲んでいるだろう。

「なんでだぁ」

聞くまでもない。きらの記憶にある家族がどういう風に見えているかなんて、何となくスクアーロは予想出来ていた。真っ暗な影を彼女に落とすような存在なのだ。暗くて重くて、足を進めようとする度にその影がきっと彼女を邪魔をしているはずだ。

「・・・父親は私のこと好きじゃなかったの。生みの母もいまいち記憶にないし、義母との折り合いも悪かったから、いいの」

ほら。彼女の足を掬っては無闇に彼女の背中を押し出す影があるではないか。いいの、と言いつつも捨てきれなかった希望を砕かれたきらには受け入れ難い現実である。やっぱり、父親はいなかった。帰りの車の中で送ってみたメールが宛先不明で返って来たことを思い出しては喉がひどく痛む。膨れ上がっただけでも惨たらしい幻覚なのに、彼女は更に父親の体を破裂させた上に、蛆虫を這わせた。言葉に出来ない感情が胸元で大きく絡まり、上手く息が出来ない。声にならない声をあげて、きらは力一杯に目を瞑った。

「ごめんなさい、私が、いけないの」

婚約をするのは嫌だった。
でも、誰も知らない、触れた事もない世界に紛れ込むのは嫌ではなかった。生まれた国とは全く異なる文化、人種。見知ったものを目にして嫌なことを思い出さないでも済む気がしていたのだ。たとえ思い出そうとしなくとも、新しい景色で埋まっていくと思えた。なのに、思い出しては涙を零してしまう。きらがまだ過去への感情を捨てきれずにいるからだ。
父親に目を向けてほしかった。国を離れれば少しは変わるかもしれない、と期待を抱いたが到底叶わぬ期待であった。

「そう言うなぁ」

膝に肘をついて泣いているきらの背中をスクアーロは摩った。彼女と視線を合わせるように屈むもきらは気恥ずかしくて顔をあげれない。こんな風に泣いている時に寄り添われた経験がないのだ。詳細を話した訳でもないのに、スクアーロに全てを見透かされているような気がした。

「ここまで歩いてきたのは紛れもないお前だろ」

「なんで・・・」

「堪えて懸命に歩いてきたんだ、それだけで十分だぁ」

ぼんやりとした励ましかもしれない。そうだとしてもきらにはありがたい言葉であった。ずっと押さえ込んでいたものが、抑え込もうと力を込めていた体から力が抜けていき食いしばっていた奥歯が緩んでいく。

「擦ったらルッスーリアに怒られるぞ」

うん、と頷いているつもりだ。つもりだけど今の彼女には出来ない。
てっきり怒られると思っていたのだ。出掛ける前に彼らから逸れてはいけない、とルッスーリアからもレヴィからも言われていた。なのに無我夢中で見覚えのある後ろ姿を追いかけてしまった。迷惑をかけた上にどうしようもない身の上話をしてしまった、ときらは自分を責めていたし責められるものだと思っていた。だから、まさかスクアーロからこうして慰められるのは驚きだったし、こんな風に優しく言葉をもらってしまうなんて。

「自分を褒めてやれ、きら」

涙をたっぷりと含んだせいで睫毛が一本一本はっきりしている。
曇っていたような瞳は氷が溶けだした事で出来た水の様に澄んでいるようだった。
その瞳の奥底を覗けば何が見えるのだろうか、とザンザスはふと思う。そして、どうしてか妙にスクアーロがきらの背中に触れているのが癇に障った。

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