ザンザスはきらの顔を思い出した。
世界を逆様に見てしまったかのように彼女は茫然としていた。
忘れ物を取りに戻ったザンザスが屋敷の扉をあけた所、ちょうど彼女は扉の取手に手をかけたばかりだったのだ。彼を一瞥することもなく、横をすり抜けてベルに名を呼ばれるがままスクアーロの愛車に飛び乗った。

唇を彩るグロスがなければ顔色はもっとわるかっただろう。瞳は人工的な水晶玉のようで、その下に住み始めた隈がより一層瞳をそう見させていた。生きている人間の温度が感じられない、冷たそうな瞳であった。別に思い返したくて思い返している訳ではないのに、何度脳内から追い払ってもきらは煙となってザンザスの脳内に残り続けている。
大聖堂が腰を据える街へ向かうべく、フリーウェイから降りれば誰かが事故を起こしたのか道は渋滞していた。


「ホットチョコレートでも飲む?」

教科書でしか知らなかったかの有名な大聖堂も今のきらにはただの張りぼてにしか見えなかった。太陽を望む民たちの願いが込められたというゴシック様式の教会だが、冬の曇りに今にも飲み込まれそうでなんだか不穏な空気を醸し出している。最も不穏そうな、不安げな顔をしているのはきらなのだが。ベルの言葉に頷くも心はここにあらずで、一体何を彼女は考えているのだろうか。せっかく、緑深いヴァリアー邸から出てきて観光をしにきたというのに、である。
でもそれは仲良しの、ここにはいないルッスーリアにもわからなかった。だからまさか、きらが突然誰かを追いかけるように駆け出してしまうなんて予想出来なかったのだ。

「う゛ぉおい!きら!!」

スクアーロの静止を振り切った彼女は不思議の国に迷い込んだアリスよろしく、白兎を追いかける為に人の波へ溶け込んでいった。
まさか、まさか、ときっと違う、でも違くないかもしれない、ときらは人混みをすり抜けては男の姿を懸命に追いかける。ずっと認めて欲しかった、ずっと声を掛けてほしかった存在の男だ。憎しみよりも悲しみの海に沈んでいきそうな心臓が僅かな希望に震えている。その男の隣に歩いているのは実の母親じゃないだろう、彼女をずっと忌み嫌っていた義母だろう。わかっている、それでも父親から一言欲しいのだ。


『あんたは別に愛されてないのよ、お父さんなんて呼ぶのやめたら』

義母の言葉が泡を立てて蘇る。全てを壊したのは2人なのに。

『見てると本当苛々するわね!』

助けてくれる人がきらには誰にもいなかった。幼いころに実母を病で失い、実の父親からの暖かな眼差しを向けてもらおうと懸命に努力するも、父親は見向きもしなかった。
心のどこかでわかっていた。所謂、普通の子供が得れる愛情を、彼女を自分の父親から得れないという事を。子供時代に得れなかった物を人間は追い続けてしまうのは致し方無いことかもしれない。だから、異国の地で自身の父親にそっくりな男を見つけて追いかけてしまったのである。たった一言、和解と至らなくとも父親からの言葉がきらは欲しかった。

「うそ、どうして」

けれども、角を曲がってきらが見たのは息絶えた男の姿である。ぷっくりと、水分を含み無残に膨れ上がった男の姿だ。身に着けた洋服は今にも張り裂けそうで、肌は青白くぱっくりと開いている目には何も映っていない。ただ虚空を眺め、体が腐り朽ちていくの待つばかりだ。動揺したきらは辺りを見渡すも自分以外の誰もこの路地にはおらず、空はいつの間にかぼんやりと暗い。呼吸が次第に浅くなる。

大聖堂の頂の見えるこの路地、聖なるものが助けに来てくれる事はないのだろうか。
朽ちていく筈の死体の髪が何故か伸び始めていた。蛇の様に、石畳の隙間を埋めていくように、じわじわと伸び始めているのだ。

「・・・なに・・・?」

戻ろう、戻ってスクアーロとベルに助けてもらおう、ときらは走り出した。
周囲には濃霧が立ち込め始め、とっくに通った筈なのに道がわからない。がむしゃらに走りっては大きな壁が立ちはだかり彼女の行く手を阻む。何度体の向きを変えても、何度来た道を戻っても戻れない。確かに陸地にいるのに今にも溺れてしまいそうな気持になった。おかしい、どうして、と。霧はますます濃くなるのに連れてきらの呼吸はますます浅くなる。

「ベル、スクアーロ」

涙声で2人の名を呼ぶも意味はなさずに、濃霧の中に取り込まれ消えていくばかりだ。
途方に暮れ壁に手をつく。無機質な肌を持つはずの壁がぬるり、としていた。

「・・・どうして・・・?」

黒い液体が彼女のか弱い指を滑った。濃霧を照らすように黄色に輝く光が小さく飛び始め、きらを覗き込むように彼女の周囲を飛んでいる。


一体、彼女は何を見ているのだろうか。


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