使用人によって脱がされた服は酷く重くて、使用人の肌は酷く暖かく感じた。きらは彼女が何を話しているか全くわからなかったが、頭から湯水を被せられ逃げ惑う猫を捕まえる様にして体を拭われた事はよく覚えていた。英語でもう大丈夫よ、と母が子に話しかけるおうに言われたせいなのか、発熱のせいだったのか白目がやけに熱かった。その使用人の横にるルッスーリアの微笑みにも安心し、勝手に落ちてくる瞼に抗いもせず眠った。イタリアに来て1カ月程、知らずに堪えていたストレスが発熱に変わり、きらは暫く床に臥せっていたのである。

「おう、元気になったなぁ」

「ありがとう」

1週間ぶりに顔を出したきらを談話室で迎えたのはスクアーロだ。暖炉には既にクリスマスを待ち望む靴下がぶら下がっている。1つだけ一際小さなものがあったが、それはマーモンの為のものらしい。そうか、とルッスーリアの説明を聞きながら視線を横に流せば立派なツリーが置かれていた。ツリーの足元には蒸気機関車のおもちゃが走っており、これから増えるであろうプレゼントを今にも運んできてしまいそうだ。

「・・・綺麗」

「きらちゃんと一緒にしようと思って、飾りつけを途中までにしておいたのよ」

「こんな大きいの見たことない」

「あら、ボンゴレに行けばもっと大きのが見れるわ」

「そうなの?」

スクアーロの斜め後ろで、煩わしい婚約者を無視するように新聞を読んでいたザンザスだったが珍しい彼女の明るい声に、思わず顔をきらに向けてしまった。
昼間なのに顔を見せた月を吸い込んでしまったかのように、きらの瞳はきらきらと輝いている。大きく開かれた目には何かに対する強い羨望や憧憬が込められていた。ルッスーリアに向けている眼差しだが、その先にはまだ見ぬ大きな生命を感じさせるクリスマスツリーに向けられているのだ。

「見上げちゃうくらい大きいのよ。今年はもしかしたらきっともっと立派かもしれないわね」

「すごい、見てみたい」

彼女が頭の中で見ているツリーはどんなものだろうか。頬をほんのりと、ほんのわずかに楽しそうに蒸気させているきらはまるで子供のように無邪気だ。何も知らない、この世の幸福を詰め込んだような笑顔だった。
彼には向けられないであろう、眩い表情である。最後に見たきらの顔は眉頭をぎゅっと寄せた苦しそうな顔だっただけに、より一層ザンザスは彼女の顔を見入ってしまったのだ。見たことのないものをみるように、じっと、瞬きもせずに彼女の額から唇まで。きらの見えない表情を感情を、色を読み取ろうとして。

「ボス、電話だよ」

けれども何も得れずにそれはたった十数秒で終えてしまう。
マーモンの声でハッとしたザンザスはカバーも何もつけていないそれを取って、画面を覗く。きらもまた、マーモンの声で気難しい婚約者がいた事に気が付いた。しかし、2人の視線はどうにも混ざり合わない。ザンザスを視界から消す様にきらは首の向きをさっと変えてしまう。淀みかねない空気を無くそうとルッスーリアは病み上がりの婚約者を談話室から連れ出す事にした。

窓の多い廊下にはたっぷりと日差しが入っており、本格的な冬の訪れを感じさせる程に空は高く青い。

「この廊下をずっと歩くと倉庫があるのよ。そこにオーナメントがあるから。
きっと取って帰った頃にはボスも、スクアーロもマーモンも仕事でいないから、ゆっくりお喋りしながら飾りつけしましょ」

ルッスーリアの黒に近い灰色のセーターだったが、雪山でスキーをしている人間の刺繍が施されている。大してハロウィンも楽しまずにもう11月で、あっという間に年越しなのだろうなときらは思う。その横顔には薄い雲がかかっている理由を隣に歩く彼はわかっていた。

「ここに戻ってきてから、部屋まで運んでくれたのはボスなのよ」

ぼんやりと遠くを見ていた彼女は大きく目を見開いてルッスーリアを見つめた。

「あの人が?」

「驚いたでしょ、私達も驚いちゃった」

苦虫を噛み潰したような表情で足を前へと運び続ける。一度は自分のすべてを奪おうとしてきた人間だ。前に立たれたら、彼を押し退けて前に進もうに進めないだろう、それくらいきらには恐ろしくて大きくて、冷たい男に見えていた。

「きらちゃん、車から降りるときに転びそうになっちゃったの。
ボスが腕を取ってなかったら顔からいってたわね。鼻血だけでは済まなかったかもしれないわ」

やっとたどり着いた倉庫は薄暗く、簡素な照明が天井につけられているだけだ。
深い赤色の箱をルッスーリアがとって、また同じ道を2人で戻る。箱の中にはトップスターは勿論、サンタクロースの人形や天使、それにポールベアも、トナカイも。冬の楽しみを詰め込んだ箱である。

「・・・よくわかんないね」

ルッスーリアの箱の中にいるポールベアを横目で見ながらきらは呟いた。
ずっとずっと恐ろしい男だと思っていた彼女には信じがたい事実だ。今でもあの時の、ザンザスに覆いかぶさられた時の事を思い出すと目を瞑らずにはいられない。過去に激しく嫌だと思った出来事も大いにあったが、あの時の彼の手の這う感覚が、あの手の中に潜んでいる感情をきらは自ら想像してしまい胸が苦しくなるのだ。

赤いオーナメントボールを手に取り、すっかり人が少なくなった談話室のクリスマスツリーに飾る。逞しい緑色のモミの木はただオーナメントボールを美しく見せているだけだ。赤いオーナメントボールに映ったきらの表情は明るいがその明るさは次第に消えていった。魔女が魔法の鏡を、お姫様が魔女にそそのかされたように、きらは赤いそれをじっと見つめる。じっと見つめて、恐る恐る人差し指で触れてみた。

まるで、何も知らぬ婚約者のザンザスの心に触れるように。

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