13.I’m barefoot, but overdressed.

なまえからの願いは使用人の立ち入りを禁ずと言うものであった。
屋敷全体の使用人ではなく、なまえの部屋への立ち入りである。

「毎日掃除に入っているのに何故あんな噂を流せるのか理解が出来ません」

スクアーロから噂の件を密に報告を受けていたザンザスはなまえが言わんとしている事を理解していた。自分は彼女と肌を合わせてもいない。勿論、彼女がよその男を招き入れたり、どこかの夜会で出会った男と淫らに外で肌を合わせていないというのもわかっていた。
根も葉もない噂が流れるには十分な人数をこの屋敷に抱えてしまった、とザンザスは後悔をしていた矢先のなまえからの提案である。

「掃除はどうするつもりだ」

「自分で行います。問題ありません」

なまえは首を横に振って三枚目のパンケーキにチョコレートスプレッドをまた塗り付けている。それだけでは飽き足らないのかピーナッツバターも重ね始めた。
噂を立てられた事がよほど不満なのか、眉間に皺が寄ったままである。
けれどもザンザスにはなまえが何故か生き生きしている様に見えていた。現状を嘆いている事はよくあったが、現状に向き合おうとする姿は新鮮だからだ。

そう思っているのはルッスーリアも同じで、口角を上げて頬いっぱいにパンケーキを詰め込むなまえを愛おし気に見ている。

「じゃあ使用人の減員のお達しを出さなくちゃね、ボス」

「お前に任せる」

なまえはほっと一息をついて、またピーナツバターを塗り重ねた。こんなにも張りつめていた肩の力が抜けるのは久しぶりな気がしていたからだ。そして、食器を流し台に置き執務室へと向かって行ったザンザスの背中を見つめなまえは彼からの愛の言葉を思い出した。

夏の夜に燃える太陽を思わせる瞳がなまえの脳内に現れる。
静かに深い赤色で燃える瞳だった。まさか彼が自分をそこまで思っていてくれるなんて、彼女は夢にも思わなかった。確かに、彼をみた記憶はあったがなまえが鮮明に覚えていたのは銀髪の剣士、スクアーロだったのだ。というのもザンザスの近寄りがたい雰囲気になまえはすっかり怯えてしまい、彼の感情の琴線に触れまいと行動をしていた。
ただの担保として迎え入れられたと思っていたなまえにとっては予想だにしない愛の告白となった。
部屋においた深いガーネットの奥底にはザンザスの想いが込められている。
その想いをしっかりと受け止める準備はまだなまえは出来ていない。
ただ、ここまで自分を思ってくれている彼の評判を自分のせいで落としてしまうのはいけないと彼女が思うには十分だった。
ザンザスのおかげで自分は命を拾ったのだし、彼のおかげで自分は毎晩暖かな寝床で眠る事が出来る。自分がしていた行動は十分我儘だった、と無人島でなまえは反省したのだ。
心臓を彼に捧げるのはきっとまだ先の事だろうが、彼の評判を貶めない様にするのは出来ると思ったのだ。その結果、彼女は使用人の立ち入りを禁じようと願い出た次第である。

ザンザスが快く応じてから、屋敷には以前のような静寂が漂っている。元から多くはなかった使用人は過酷な環境に耐えた精鋭達だけが残った。気難しい幹部達をよく理解し、出しゃばらない使用人達である。なまえのせいでおかしな人間が増えた、と言っていた幹部もいたがその声は聞こえなくなった。

そして少しずつではあったが、なまえは食事を幹部達とよく取るようになり、同時に部屋に引きこもることも減り、花の剪定や散歩をするようになった。幹部達との暮らしに馴染むには遅すぎる努力だと本人も理解していたが、元の生活に近い暮らしをする事で気持ちは落ち着いていったのだ。なまえの顔に纏わりついていた重苦しい雲は次第に薄くなり、ぼんやりとしていた瞳は縁取られている。

最も効果があるのはキッチに出入りしている事ではないかと、ヴァリアーの良き母であるルッスーリアはベルに話していた。
朝ごはんを作り終えたなまえの憑き物の取れた顔!と彼が絶賛していた事に疑問を持ったベルは、甘い香りを追って滅多に入らないキッチンへと体を滑らせてみる。
オーブンから鍋つかみを使って、鉄板を取り出すなまえにどう声をかけるか考えていると彼女と目が合ってしまった。

「お前泣くのやめたんだ」

咄嗟に思いついた言葉を吐くとなまえは緊張し上ずりそうな声を抑えてベルに言い返す。

「あなたに殺されそうだと思って」

「ふーん、言うじゃん」

なまえは首を傾げ、クッキーの粗熱を取ろうと風通しの良いカウンターに鉄板ごと置いた。
ベルはなまえの瞳を見つめる。本人はチョコレートを焦がさないように湯煎するのに夢中だ。最近はすっかり瞳に浅い光が入り込み、張り詰めた緊張が抜けているのだ。結婚式のときはあんなに曇ってたのに、と今までのなまえを思い出しベルはまた苛立ってしまう。
一体なぜ、自分のボスはこの女に恋をしたのだろうとベルは不満でたまらない。

粗熱を取り終えた丸っこいクッキーになまえは溶かしたチョコレートを丁寧に落とし始めた。
いつまでここにいるのかと不安に感じながらもチョコが固まる前に急いで蓋をするのが優先だったなまえは手を急いで動かす。彼女はベルが苦手なのだ。弟と年が近いはずなのに、何を考えているかわからない様が恐ろしくて上手く話せない。
また、目が合っているのか合っていないのかわからないが、自分に向けている感情が好意的ではないのをなまえは手に取るようにわかる。それが一層、彼女がベルから遠ざける要因でもあった。
広いキッチンに、互いが互いの様子を探り合う不穏な空気が横たわりながらもなまえはどうにか焼き菓子を作り終えた。

「・・・任務は?」

「何で泣くのやめたの?」

ティアラを被った青年となまえは初めて目が合った気がした。言葉がぶつかり合い、沈黙が生まれる。泣くのをやめた?理由?やかんに水を入れながらなまえは考えた。

「・・・そんなに泣いてた?」

「めちゃめちゃ喚いてたじゃん」

「そうね・・・」

やかんが声をあげるのを待つ間になまえによって出来上がったバーチ・ディ・ダーマが皿に飾られる。

「彼に迷惑をかけると思って」

「誰?ボス?」

「そう、彼に」

ベルは彼女の言葉にふーん、と返し細く長い指でお菓子をつまんだ。
食べると思っていなかったなまえは、あっと声を出したがそのお菓子はベルの綺麗に並んだ歯の奥へと消えていく。

「お前みたいな泣き喚く姉がいたらたまったもんじゃないけどね」

ベルの言葉と同時にやかんが強く声をあげた。夏の終わりを感じさせる様に太陽はすでに厚い雲に覆われている。なまえの睫毛がわずかに揺れ、やかんから躍り出る湯気がやけにゆっくり見えた。
色などついていないはずなのに、紺色と赤色が混ざった湯気になまえには見えている。
泣いている姿見たら弟はどう思うだろうか。きっと、弟は自分自身を責めるだろう。
なまえがこちらの世界に入ると決めた時に1番悲しんでいたのは彼女の弟だった。
何度も何度も自分のせいで、と言っていたがなまえは『あなたは何も悪くないから、泣かないで』と慰めた。最後のハグを惜しむようにずっと、抱きしめていた。
そして、弟をこれ以上悲しませないようにと気丈に振る舞い家を出ていった。

本当はずっとずっと泣いていたと知ったら弟はショックをうけるだろう、となまえは気がつき、1番簡単なことなのに気づかなかった自分に落胆した。

「どうしようもないわね、私」



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