この、ピンと細い糸を張りつめたような空気が好きだった。
技を決めたときの、心地よい衣擦れの音が好きだった。
空手から離れてだいぶ経つというのに、先日それに関わる仕事が舞い込んで来た。とあるバラエティ番組で、芸能人の特技を披露するというまあよくある内容の企画だ。
よくある内容の企画だが、この手の企画の仕事は初めてだ。ST☆RISHとしてデビューを決めてから、もう五年の月日が経つ。未だに翔のプロフィール欄には、特技は空手と記されているが実際に、公で披露したことはなかった。全国のファンの人々、そうじゃない人々にも披露するのだ。全国放送なのだから、当たり前だ。仕事というだけでなく、自分が胸を張って特技と言えるものであるからこそ、きちんとしたパフォーマンスを披露したいと翔は思う。今まで頑張ってきたものだから、生半可なものを披露する気はない。
翔は学園内にあるダンス用の練習室を一部屋借りて、収録当日まで練習に明け暮れた。
久しぶりにクローゼットから出した道着は最後に着た時よりも随分と小さくなっており、少しは自分も成長しているのだなと実感できた。
翔はこれを機に道着を新調することにした。パリッパリの道着を着るのは、何だか学園に入学した頃を思い出す。もう六年前のことだ。ちょっとの不安と緊張、それから大きな夢とわくわくを胸に抱えてこの学園の門を潜ったのだ。
そういえば、クラスでの自己紹介でも空手を披露したな。あいつはサックス吹いてたな。
翔は自分のことから当時のクラスメイトであり、現在もST☆RISHの仲間である人物を想像した。今でも瞼にこびり付いている奴の姿につい苦笑が溢れる。年上の癖に放っておけない、面倒な奴。面倒だけど自分の視界に置いておかないと不安になる奴。
休憩はこの辺にして、そろそろ練習に戻ろうか。
翔は持っていたミネラルウォーターをスポーツバッグに投げ入れ、練習室の中央へ移動した。
ここはダンス用の練習室なので全面鏡張りになっている。正面からもサイドからも型の細かい部分のチェック出来るので正直有り難い。
使い古したへろへろの黒帯を締め直し、うし、と翔は自身に気合いを入れて構えのポーズをとる。
それからは体が勝手に動いてくれた。
「よ、おチビちゃん。かっこいいね〜」
「うわぁっ! レン、驚かすなよ!」
壁際に上半身を預けた長身の男がヒュッと口笛を吹くような気軽さで翔が型を終えたと同時に声をかけた。
集中していた翔は突然の自分以外の声に驚き肩を跳ねさせ、噛み付く様に言い返す。そんな翔の切り返しにレンは楽しそうにくつくつと笑いながら肩を竦めさせた。
「ついさっきだよ。型が終わる少し前ぐらいかな」
「あ〜もう、心臓止まるかと思ったぜ。んで? 何か用かよ」
翔は室内の隅っこに置いてある荷物からスポーツタオルとミネラルウォーターを手に、レンの傍へと近寄る。
ふわりとレンが愛用している香水と翔の汗の香りが混ざり合い、一瞬翔は顔をしかめた。妙な気分になりそうだった。
「特に用はないよ。ついさっきまでレコーディング室で打ち合わせをしていたんだけど、すぐ終わっちゃってね。暇になったからおチビちゃんの様子でも見に来ようと思って」
「ふうん。そっか」
いつの間にか以前よりも視線が近くなった翔の青い瞳をレンはついっと見つめた。体を動かした直後だからか、真っ白な肌に頬がほのかに朱に染まっている。首筋に流れる汗からはくらりと甘い匂いが立ち上っている気がする。数年前には微塵も感じなかった色気が、歳を重ねるごとに翔にも伺えてきている。
背だってそうだ。ST☆RISHの中では今だって翔が一番背が低いままだが、あの頃よりもぐんと伸びて、百七十センチはあるだろう。
おチビちゃんおチビちゃんとずっと可愛がっている気でいたが、本当に、いつの間に彼はこんなに男になってしまったのだろうか。小刻みに脈打つ心臓を隠すようにポーカーフェイスを固めてレンはただひたすら翔を見つめた。
正直に言うと、不覚にもかっこいいと思ってしまった。素直な気持ちだが、友人に対してのそれでなく、胸がぎゅっと押しつぶされそうな、そんな感情だから、レンは戸惑っているのだ。なんと言葉にしたらいいのかわからない。翔のところになんか寄らなければよかったとすら思う。それほど、今の翔はレンの心を揺さぶってしまうぐらいに魅力的だったのだ。
「なんだよ」
「いや……なんでもないよ」
「……」
「……」
二人の間に沈黙が降りる。視線を逸らすことなく、ジッと。片方は相手の胸の内を探る様に。対してまた片方は自分の心の揺れを隠す様に。
何分、否、何秒、ふたりはそうしていたかわからない。
その自分たちでもよくわからない勝負に白旗を降ったのはレンの方だった。ついっと翔から視線を外し、その自分よりも深い青の瞳の微かな揺れを翔は見つけた。
「レン、もしかして俺に惚れ直したのかよ」
確信をつかれたレンの心臓はドキリと嫌な音をたてて跳ねた。みるみるうちに健康的な肌色を赤に染め上げていくレンに、翔はニヤニヤと口元を緩ませる。
「なあ、そうなんだろ? レン。言えよ」
もごもごと口の中を動かし、どうしようかとレンは考える。心臓が煩い。俺のが年上なのだから、もっと余裕を見せたいというのに。ほんと、いつの間にこうなってしまったんだろう。
考えたって仕方ないことばかり思考回路を駆け巡る。
言って。
翔が一歩、レンに近づく。体が触れ合ってしまうぐらいに近い。
レンは意を決して翔からずらしていた視線を戻した。
「そうだよ。翔がかっこよくて、惚れ直しちゃったんだよ」
降参、というようにレンは両手を上げながら胸の内を暴露した。
ニッと笑ったのは翔だ。
レンの両手首を持ち、満面の笑みで少しばかり背伸びをしながら少し高い位置にあるレンの唇に自分のそれを押し付けた。
まるでご褒美、とでもいうように。
技を決めたときの、心地よい衣擦れの音が好きだった。
空手から離れてだいぶ経つというのに、先日それに関わる仕事が舞い込んで来た。とあるバラエティ番組で、芸能人の特技を披露するというまあよくある内容の企画だ。
よくある内容の企画だが、この手の企画の仕事は初めてだ。ST☆RISHとしてデビューを決めてから、もう五年の月日が経つ。未だに翔のプロフィール欄には、特技は空手と記されているが実際に、公で披露したことはなかった。全国のファンの人々、そうじゃない人々にも披露するのだ。全国放送なのだから、当たり前だ。仕事というだけでなく、自分が胸を張って特技と言えるものであるからこそ、きちんとしたパフォーマンスを披露したいと翔は思う。今まで頑張ってきたものだから、生半可なものを披露する気はない。
翔は学園内にあるダンス用の練習室を一部屋借りて、収録当日まで練習に明け暮れた。
久しぶりにクローゼットから出した道着は最後に着た時よりも随分と小さくなっており、少しは自分も成長しているのだなと実感できた。
翔はこれを機に道着を新調することにした。パリッパリの道着を着るのは、何だか学園に入学した頃を思い出す。もう六年前のことだ。ちょっとの不安と緊張、それから大きな夢とわくわくを胸に抱えてこの学園の門を潜ったのだ。
そういえば、クラスでの自己紹介でも空手を披露したな。あいつはサックス吹いてたな。
翔は自分のことから当時のクラスメイトであり、現在もST☆RISHの仲間である人物を想像した。今でも瞼にこびり付いている奴の姿につい苦笑が溢れる。年上の癖に放っておけない、面倒な奴。面倒だけど自分の視界に置いておかないと不安になる奴。
休憩はこの辺にして、そろそろ練習に戻ろうか。
翔は持っていたミネラルウォーターをスポーツバッグに投げ入れ、練習室の中央へ移動した。
ここはダンス用の練習室なので全面鏡張りになっている。正面からもサイドからも型の細かい部分のチェック出来るので正直有り難い。
使い古したへろへろの黒帯を締め直し、うし、と翔は自身に気合いを入れて構えのポーズをとる。
それからは体が勝手に動いてくれた。
「よ、おチビちゃん。かっこいいね〜」
「うわぁっ! レン、驚かすなよ!」
壁際に上半身を預けた長身の男がヒュッと口笛を吹くような気軽さで翔が型を終えたと同時に声をかけた。
集中していた翔は突然の自分以外の声に驚き肩を跳ねさせ、噛み付く様に言い返す。そんな翔の切り返しにレンは楽しそうにくつくつと笑いながら肩を竦めさせた。
「ついさっきだよ。型が終わる少し前ぐらいかな」
「あ〜もう、心臓止まるかと思ったぜ。んで? 何か用かよ」
翔は室内の隅っこに置いてある荷物からスポーツタオルとミネラルウォーターを手に、レンの傍へと近寄る。
ふわりとレンが愛用している香水と翔の汗の香りが混ざり合い、一瞬翔は顔をしかめた。妙な気分になりそうだった。
「特に用はないよ。ついさっきまでレコーディング室で打ち合わせをしていたんだけど、すぐ終わっちゃってね。暇になったからおチビちゃんの様子でも見に来ようと思って」
「ふうん。そっか」
いつの間にか以前よりも視線が近くなった翔の青い瞳をレンはついっと見つめた。体を動かした直後だからか、真っ白な肌に頬がほのかに朱に染まっている。首筋に流れる汗からはくらりと甘い匂いが立ち上っている気がする。数年前には微塵も感じなかった色気が、歳を重ねるごとに翔にも伺えてきている。
背だってそうだ。ST☆RISHの中では今だって翔が一番背が低いままだが、あの頃よりもぐんと伸びて、百七十センチはあるだろう。
おチビちゃんおチビちゃんとずっと可愛がっている気でいたが、本当に、いつの間に彼はこんなに男になってしまったのだろうか。小刻みに脈打つ心臓を隠すようにポーカーフェイスを固めてレンはただひたすら翔を見つめた。
正直に言うと、不覚にもかっこいいと思ってしまった。素直な気持ちだが、友人に対してのそれでなく、胸がぎゅっと押しつぶされそうな、そんな感情だから、レンは戸惑っているのだ。なんと言葉にしたらいいのかわからない。翔のところになんか寄らなければよかったとすら思う。それほど、今の翔はレンの心を揺さぶってしまうぐらいに魅力的だったのだ。
「なんだよ」
「いや……なんでもないよ」
「……」
「……」
二人の間に沈黙が降りる。視線を逸らすことなく、ジッと。片方は相手の胸の内を探る様に。対してまた片方は自分の心の揺れを隠す様に。
何分、否、何秒、ふたりはそうしていたかわからない。
その自分たちでもよくわからない勝負に白旗を降ったのはレンの方だった。ついっと翔から視線を外し、その自分よりも深い青の瞳の微かな揺れを翔は見つけた。
「レン、もしかして俺に惚れ直したのかよ」
確信をつかれたレンの心臓はドキリと嫌な音をたてて跳ねた。みるみるうちに健康的な肌色を赤に染め上げていくレンに、翔はニヤニヤと口元を緩ませる。
「なあ、そうなんだろ? レン。言えよ」
もごもごと口の中を動かし、どうしようかとレンは考える。心臓が煩い。俺のが年上なのだから、もっと余裕を見せたいというのに。ほんと、いつの間にこうなってしまったんだろう。
考えたって仕方ないことばかり思考回路を駆け巡る。
言って。
翔が一歩、レンに近づく。体が触れ合ってしまうぐらいに近い。
レンは意を決して翔からずらしていた視線を戻した。
「そうだよ。翔がかっこよくて、惚れ直しちゃったんだよ」
降参、というようにレンは両手を上げながら胸の内を暴露した。
ニッと笑ったのは翔だ。
レンの両手首を持ち、満面の笑みで少しばかり背伸びをしながら少し高い位置にあるレンの唇に自分のそれを押し付けた。
まるでご褒美、とでもいうように。