ちかちかと点滅する小さな光を視界の端に捕らえる。目を通していた書類を置き、春歌は慌ててローテーブルの上に放置していた携帯を手に取った。
小窓に映る新着メール一件の文字に期待してしまう。震える指先でボタンを操作し、受信ボックスを開くと一番上の新着メールに期待していた人物の名前があった。
一ノ瀬トキヤ。
急激に加速する鼓動を静めようと寝間着の上から春歌はそこをぎゅっと掴む。期待が現実になってほっとしてしまっている自身に春歌は嫌気がさした。脳の冷静な部分は新着メールが来ていた時点でけたたましい警報音を鳴らしていたというのに。素直な春歌の心は正直で、忙しなく動く心臓は喜びに打ち震えている。
抑えきれず、春歌はその瑞々しく白桃のような頬を緩ませた。
今のように、週に一度だけくるトキヤの連絡を春歌はいつも期待していた。今週もそろそろであろうと思っていたところだ。毎度のことながら、連絡がくると予想していながらも実際きたときの喜びは彼とそういう関係になったときから変わることはない。
メールの内容を三度読み返し、春歌は手早く返信内容を打ち込む。
すぐにでもこの関係に終止符を打たねばならないことは頭では理解しているつもりだ。しかし、春歌の素直すぎる心はそうしてくれない。だから今もこうやって嬉々と返信を打ち込み、送信ボタンを押すことに戸惑いがないのだ。
携帯をローテーブルに戻し、春歌は背もたれにしていたソファに寝転んだ。無意識に溢れた吐息は普段よりも甘く、熱い。
春歌は抱えている問題から目を背けるように自身の腕で視界を遮った。
結局、今回もまた断ることが出来なかった。
ぐずぐずと続く関係は世間の目から見たとしても良いものとは言えない。トキヤも春歌も、世間から見れば真面目な部類に入るというのに、ふたりの関係は真面目とはほど遠かった。
春歌とトキヤの関係は、所謂セフレだ。
学生時代から春歌は淡い恋心を抱いていたが、大人しく引っ込み思案な性格が先攻してしまい、トキヤとは友人という関係で止まっていた。
学生時代からパートナーを組んでいる音也は、春歌の想いを知っていたからか、よく相談にのってもらったものだ。それは、今も変わらない。さすがに春歌も音也に今の関係について話す事はないが、顔を合わすときはぼかして話を聞いてもらうときもある。
春歌がトキヤとセフレという関係になったのは春歌の同期たちが皆デビューを決め、一段落ついた頃のことだった。
そんなある日、トキヤからの志願で春歌がトキヤの楽曲を手がけることになったのだ。
春歌は音也のパートナーであったが、春歌自身も、自分の作り上げた曲をトキヤに歌って欲しいと以前から思っていたからすぐに了承した。
音也には少し悪いと思っていたが、彼に話した際「よかったじゃん!」と笑顔で背中を推されてしまったので、その考えは杞憂に終わった。
春歌とトキヤの時間の調整がとれて、初めてふたりが打ち合わせ出来たのはそれから数ヶ月後。丁度、学園から卒業して二年経った頃だ。
春歌の部屋で、ああでもないこうでもないとふたりは埋まらない譜面に顔を突き合わせていたとき。なんとなく、そういう雰囲気になり、ふたりは初めて肌を重ねた。
最初こそ春歌は抵抗したものの、トキヤの髪と同じ宵色に縁取られた目を見ていたら許してしまったのだ。以前から恋いこがれていた男の熱い視線を前にして、どう断れば良いのかまだ大人になりきれない幼い心を持つ春歌にはわからなかった。
正直言うと、心のどこかで春歌はそうなることを望んでいたのかもしれない。場の空気に流されてしまったと言えば間違いは無いのだが、下心も少しはあった。
熱い吐息とは裏服に切なく締め付けられる胸を抱えて春歌はソファから身を起こした。寝室へ向かい、クローゼットに収納された衣服を漁る。
先ほどのトキヤからのメールには今から一時間後に会えないかと書かれていた。春歌は是非と答えたのだから、さっさと仕度を済ませなければならない。
何を着ようか。そういえば先日、友人である友千香と出かけた際に購入したワンピースがあったはずだ。
苦しいくせに弾む心は本当に正直だ。
春歌は着ていた寝間着を脱ぎ捨て、おろしたての淡い桃色のワンピースを身に纏った。
夜は更け、もう時刻は二十一時をさしていた。
春歌の部屋のインターホンが鳴ったのはトキヤが指定した時刻丁度だった。
慣れることのない緊張を隠すように春歌は口角を上げてトキヤを快く部屋に招き入れる。トキヤも、いつもと変わらず控えめな笑みを目元に浮かべていた。
リビングのソファにトキヤが腰を落ち着けたのを確認し、春歌は口を開く。
「お疲れ様です。何か飲みますか?」
「いえ、飲み物は結構です。それよりも……」
トキヤのすぐ傍に立っていた春歌は少し強引に腕を引かれ、トキヤの膝の上に馬乗りになる形で座らされた。
珈琲を一杯飲みながら少し話をしてベッドへ向かうことがいつもの流れだったので、春歌は動揺した。体勢も体勢のせいか、羞恥心から春歌の白い肌に朱がさす。
「あ、の、一ノ瀬さん……」
「駄目、ですか?」
意地悪く細められた目で下から覗き込まれ、なんだか逃げ場を無くされてしまったようで春歌は俯いた。
駄目、と聞くなんて、本当にこの人は狡い人だと思う。
「いえ、あの、その……駄目じゃない、です……」
全身が熱くて、溶けてしまいそうだと春歌は思った。いっそ、想いごと溶けてしまえばいいのにとさえ思えてくる。
満足そうに綺麗に微笑んだトキヤに華奢で軽い身体を抱きかかえられ、そのまま寝室へと向かった。
ギシリと軋むベッドの音とやけに耳につく厭らしい水音、それから自らの口から吐かれる喘ぎ声に室内は満ちていた。
トキヤの熱い指先、唇、舌で生まれる快楽にたまらず心が悲鳴をあげ、涙が溢れる。
霞む視界に、うっすらと汗をかきながらも苦しげに歪むトキヤの表情に幸福感と、いつまでもくれない言葉が螺旋状の糸となり春歌の胸をキリキリと締め付けた。
春歌はトキヤのその声で、身体で、指先で、全身から愛してくれていることを知ってはいた。しかし、確かな言葉を貰ったことがない。
抱かれる度にどこかで想いは通じているのではないかと淡い期待を抱くも、言葉がない限り、どうしてか不安になってしまう。
トキヤの心が見えず、春歌はこうやって喜びと不安の渦に飲まれて涙を流すのだ。
「い、ちのせ、さ……」
「春歌」
「……一ノ瀬、さんっ」
理性がなくなった頭では既にトキヤに何を言われているのか理解が追いつかない。
薄く、形の良い唇が春歌のそれを塞ぎ、酸素が足りず増々思考が覚束無くなる。
離された唇から溢れる熱い吐息が春歌の耳元をくすぐった。
「春歌、愛してます」
聴こえた大好きな声は幻かもしれないし本当かもしれない。
春歌は溢れる涙をそのままに聴こえた言葉と同じものをまわらない呂律にのせて紡ぐ。
きっと、明日の朝になればトキヤはもうここにはいないであろう。
春歌は薄れ行く思考をそのまま夢の世界へと手放した。
翌朝、また新しいなにかが起こるとも知らずに。
「おやすみなさい。私のお姫様」
夢の中で、春歌はトキヤが愛しげに頭を撫でてくれたような気がした。
小窓に映る新着メール一件の文字に期待してしまう。震える指先でボタンを操作し、受信ボックスを開くと一番上の新着メールに期待していた人物の名前があった。
一ノ瀬トキヤ。
急激に加速する鼓動を静めようと寝間着の上から春歌はそこをぎゅっと掴む。期待が現実になってほっとしてしまっている自身に春歌は嫌気がさした。脳の冷静な部分は新着メールが来ていた時点でけたたましい警報音を鳴らしていたというのに。素直な春歌の心は正直で、忙しなく動く心臓は喜びに打ち震えている。
抑えきれず、春歌はその瑞々しく白桃のような頬を緩ませた。
今のように、週に一度だけくるトキヤの連絡を春歌はいつも期待していた。今週もそろそろであろうと思っていたところだ。毎度のことながら、連絡がくると予想していながらも実際きたときの喜びは彼とそういう関係になったときから変わることはない。
メールの内容を三度読み返し、春歌は手早く返信内容を打ち込む。
すぐにでもこの関係に終止符を打たねばならないことは頭では理解しているつもりだ。しかし、春歌の素直すぎる心はそうしてくれない。だから今もこうやって嬉々と返信を打ち込み、送信ボタンを押すことに戸惑いがないのだ。
携帯をローテーブルに戻し、春歌は背もたれにしていたソファに寝転んだ。無意識に溢れた吐息は普段よりも甘く、熱い。
春歌は抱えている問題から目を背けるように自身の腕で視界を遮った。
結局、今回もまた断ることが出来なかった。
ぐずぐずと続く関係は世間の目から見たとしても良いものとは言えない。トキヤも春歌も、世間から見れば真面目な部類に入るというのに、ふたりの関係は真面目とはほど遠かった。
春歌とトキヤの関係は、所謂セフレだ。
学生時代から春歌は淡い恋心を抱いていたが、大人しく引っ込み思案な性格が先攻してしまい、トキヤとは友人という関係で止まっていた。
学生時代からパートナーを組んでいる音也は、春歌の想いを知っていたからか、よく相談にのってもらったものだ。それは、今も変わらない。さすがに春歌も音也に今の関係について話す事はないが、顔を合わすときはぼかして話を聞いてもらうときもある。
春歌がトキヤとセフレという関係になったのは春歌の同期たちが皆デビューを決め、一段落ついた頃のことだった。
そんなある日、トキヤからの志願で春歌がトキヤの楽曲を手がけることになったのだ。
春歌は音也のパートナーであったが、春歌自身も、自分の作り上げた曲をトキヤに歌って欲しいと以前から思っていたからすぐに了承した。
音也には少し悪いと思っていたが、彼に話した際「よかったじゃん!」と笑顔で背中を推されてしまったので、その考えは杞憂に終わった。
春歌とトキヤの時間の調整がとれて、初めてふたりが打ち合わせ出来たのはそれから数ヶ月後。丁度、学園から卒業して二年経った頃だ。
春歌の部屋で、ああでもないこうでもないとふたりは埋まらない譜面に顔を突き合わせていたとき。なんとなく、そういう雰囲気になり、ふたりは初めて肌を重ねた。
最初こそ春歌は抵抗したものの、トキヤの髪と同じ宵色に縁取られた目を見ていたら許してしまったのだ。以前から恋いこがれていた男の熱い視線を前にして、どう断れば良いのかまだ大人になりきれない幼い心を持つ春歌にはわからなかった。
正直言うと、心のどこかで春歌はそうなることを望んでいたのかもしれない。場の空気に流されてしまったと言えば間違いは無いのだが、下心も少しはあった。
熱い吐息とは裏服に切なく締め付けられる胸を抱えて春歌はソファから身を起こした。寝室へ向かい、クローゼットに収納された衣服を漁る。
先ほどのトキヤからのメールには今から一時間後に会えないかと書かれていた。春歌は是非と答えたのだから、さっさと仕度を済ませなければならない。
何を着ようか。そういえば先日、友人である友千香と出かけた際に購入したワンピースがあったはずだ。
苦しいくせに弾む心は本当に正直だ。
春歌は着ていた寝間着を脱ぎ捨て、おろしたての淡い桃色のワンピースを身に纏った。
夜は更け、もう時刻は二十一時をさしていた。
春歌の部屋のインターホンが鳴ったのはトキヤが指定した時刻丁度だった。
慣れることのない緊張を隠すように春歌は口角を上げてトキヤを快く部屋に招き入れる。トキヤも、いつもと変わらず控えめな笑みを目元に浮かべていた。
リビングのソファにトキヤが腰を落ち着けたのを確認し、春歌は口を開く。
「お疲れ様です。何か飲みますか?」
「いえ、飲み物は結構です。それよりも……」
トキヤのすぐ傍に立っていた春歌は少し強引に腕を引かれ、トキヤの膝の上に馬乗りになる形で座らされた。
珈琲を一杯飲みながら少し話をしてベッドへ向かうことがいつもの流れだったので、春歌は動揺した。体勢も体勢のせいか、羞恥心から春歌の白い肌に朱がさす。
「あ、の、一ノ瀬さん……」
「駄目、ですか?」
意地悪く細められた目で下から覗き込まれ、なんだか逃げ場を無くされてしまったようで春歌は俯いた。
駄目、と聞くなんて、本当にこの人は狡い人だと思う。
「いえ、あの、その……駄目じゃない、です……」
全身が熱くて、溶けてしまいそうだと春歌は思った。いっそ、想いごと溶けてしまえばいいのにとさえ思えてくる。
満足そうに綺麗に微笑んだトキヤに華奢で軽い身体を抱きかかえられ、そのまま寝室へと向かった。
ギシリと軋むベッドの音とやけに耳につく厭らしい水音、それから自らの口から吐かれる喘ぎ声に室内は満ちていた。
トキヤの熱い指先、唇、舌で生まれる快楽にたまらず心が悲鳴をあげ、涙が溢れる。
霞む視界に、うっすらと汗をかきながらも苦しげに歪むトキヤの表情に幸福感と、いつまでもくれない言葉が螺旋状の糸となり春歌の胸をキリキリと締め付けた。
春歌はトキヤのその声で、身体で、指先で、全身から愛してくれていることを知ってはいた。しかし、確かな言葉を貰ったことがない。
抱かれる度にどこかで想いは通じているのではないかと淡い期待を抱くも、言葉がない限り、どうしてか不安になってしまう。
トキヤの心が見えず、春歌はこうやって喜びと不安の渦に飲まれて涙を流すのだ。
「い、ちのせ、さ……」
「春歌」
「……一ノ瀬、さんっ」
理性がなくなった頭では既にトキヤに何を言われているのか理解が追いつかない。
薄く、形の良い唇が春歌のそれを塞ぎ、酸素が足りず増々思考が覚束無くなる。
離された唇から溢れる熱い吐息が春歌の耳元をくすぐった。
「春歌、愛してます」
聴こえた大好きな声は幻かもしれないし本当かもしれない。
春歌は溢れる涙をそのままに聴こえた言葉と同じものをまわらない呂律にのせて紡ぐ。
きっと、明日の朝になればトキヤはもうここにはいないであろう。
春歌は薄れ行く思考をそのまま夢の世界へと手放した。
翌朝、また新しいなにかが起こるとも知らずに。
「おやすみなさい。私のお姫様」
夢の中で、春歌はトキヤが愛しげに頭を撫でてくれたような気がした。