※真江メインですが凛遙(♀)がナチュラルに結婚してます。
「俺、ハルにプロポーズする」
どこか緊張した面持ちで、凛は宣言した。
江と同じ、赤い瞳がゆらゆらと揺らめいていた。芯を持った真っすぐな凛の視線に我が兄ながら、本当にイイ男だと江は思う。あの真っすぐで全力で楽しむ色を含んだ瞳が江は好きだった。幼い頃から、その真っすぐすぎる瞳を追いかけて、よく凛の通うスイミングクラブまで足を運んだものだ。あの頃は今と違って、何も恐れるものなど知らない純真な瞳であったけれど。凛がオーストラリアへ留学し、日本へ戻ってきた時にはその色は失われ、ただただ鋭いものとなっていた時はとてもショックだった。失われた色を追いかけて、求めて、遙たちを頼って、やっと取り戻した時は涙が出る程うれしかった。今だって凛のその瞳を取り戻した瞬間を、江は鮮明に覚えている。
「がんばって。私のお兄ちゃん世界一イイ男なんだから、絶対にうまくいくよ」
そう江が言うと、凛は「ありがとう」と目をやさしく細めた。
その微笑みも、江が大好きなものだ。家族に向けるやさしく緩められた口元と目元。それを見ると江はいつも安心できるのだ。江が不安で眠れない時、何かに悩み、壁にぶち当たった時、凛は江を安心させるようにゆるく微笑みながらよく江の頭を撫でながら「大丈夫だ」と慰め、甘やかしていた。
かっこよくて、力強くて、ぶっきらぼうだけどちゃんとやさしくて、我が儘で、真っすぐで、素敵な筋肉をしてる唯一無二の兄が、結婚する。自分にとって、大切な人が幸せの第一歩を踏み出す。そう考えるとなんだかちょっぴり寂しいながらも、腹の底から喜びが溢れてくる。
凛はきっと、OKを貰える。間違いないだろう。もうそういう歳だもんなあ。
色んなことが江の頭を過る。
幼い頃からの凛との思い出。今の自分の年齢と結婚について。文字だったり思い出の映像だったり、もやもやとなんとも形のない気持ちだったりがぐるぐると忙しなく江の脳内をかき混ぜる。
結婚かあ。私は、いつするのかな。
身内が結婚するとなると、やはり自分もそういう意識が生まれる。江には高校時代から付き合っている恋人がいた。岩鳶の水泳部部長であり、凛の友人でもある橘真琴だ。もう二人は十年の付き合いになるが、未だ結婚の話は持ち上がったことがない。お互い意識はしているのだろうけど、まだ早い、まだ早いとその話題に触れることがないまま今日まで過ごしてきてしまったのだ。
江としては、もちろん将来のパートナーは真琴以外考えられない。きっと、たぶん真琴も同じ気持ちでいてくれていると思う。そう信じているのだけれど、この歳までプロポーズをされないとなると少々不安も募るものだ。十年付き合ってもちゃんと恋してる。恋してるし、愛している。しかし、ちゃんと二人は家族になれるのだろうか。
はぁ、と江はひとつ重い溜息を吐いた。
◆
そう、結婚を意識するきっかけとなったのが昨年の夏のことだった。あれから半年過ぎ、今日は日曜日で大安の日。凛と遙の結婚式当日だ。
二人が出会った大切な場所だから、と二人の式は岩鳶にある海沿いのチャペルで執り行われることとなった。江は凛の親族であるため、式の二日前から実家に帰省している。真琴は前日にこちらへ来ると言っていた。顔を合わせられるのは会場でということになるだろう。
東京の自分のマンションから持ってきたキャリーケースからこの日のために新調したパーティドレスを引っ張り出し、身に纏う。上品な真珠のネックレスとピアスをつけ、江は姿見の前に立った。
自分の結婚式でもないというのに、妙に緊張してしまう。姿見に映る自身の姿を確認し、大きく江は深呼吸した。
「江ー?もう出発するわよー!」
「今行くー!」
階下から母の声が聞こえ、江はハッとし、声を張り上げて返事をした。
今日という日が素晴らしい一日となりますように。自室を出る直前、机の上に飾られた亡き父の写真に向けて、江はそんな願いを込めながら微笑んだ。
「あー!江ちゃん久しぶりー!」
「江さん!お久しぶりです。昨年ぶりですかね?」
式場に到着した江は、凛と遙のいる控え室を後にし、会場の方へと向かった。すると、懐かしい顔ぶれが江に声をかけてきた。
高校時代の同学年であり、部活仲間であった渚と怜だ。
「渚くん、怜くん!久しぶり。本日はお越しいただき……」
「そういうかたっくるしいのはなしなし〜!」
ふたりに気付いた江は深々と頭を下げようとするがそれを渚が制した。顔を上げるとにっこり笑顔の渚と苦笑を浮かべる怜がいる。高校時代に比べてふたりともあどけなさが抜けてピシッとスーツを着こなしていた。
渚のあの頃から変わらないテンションに江も笑顔を浮かべる。
「ありがと。本当に久しぶりだね!」
「昨年はみんな忙しくて忘年会できなかったもんね〜。だから今日はとっても楽しみにしてたんだ!」
「ははっ、私もだよ〜」
「でも、ビックリだよ。絶対凛ちゃんとハルちゃんよりまこちゃんと江ちゃんの方が結婚早いと思ってたもん」
思わず、江の笑顔が固まる。
昨年度、凛から結婚が決まったと報告を受けた時から気にしていたことを言われてしまったからだ。
江も、正直なことを言うと凛と遙よりも自分と真琴の方が結婚は早いと思っていた。けれども先を越されてしまったのだ。
相変わらず、真琴からそういった話は一言も出て来ない。それがまた江を焦らせていた。こういった話は焦っても仕方はないとは思うもの、やはりどうも気になってしまうのが乙女心というものだ。
「こら、失礼ですよ渚くん!」
すかさず怜が渚をピシャリと叱りつける。渚はぷうっと頬を膨らませて「え〜だって随分前からまこちゃん江ちゃんにプロポーズするとかしないとか」とかごにょごにょ何やら言っていたが江は聞き取れず首を傾げた。
「大丈夫だよ、怜くん。私と真琴先輩はマイペースに行くことにしてるから」
気にしてないて体を作り、そう述べると眉間に皺を寄せていた怜は「そうですか……」と綺麗な眉を八の字に下げた。
「江ちゃん!」
すると、話の渦中にいた人物が江の後ろから声をかけてきた。
振り返ると、想像通りの人物の姿に思わず江は目を細める。
普段のスーツ姿よりもずっとお洒落なシャツやネクタイをした真琴の姿は、背の高さもあってかとても決まって見える。もちろん、シャツもネクタイも江の見立てたものだ。江のドレスも、真琴のスーツも先日の休みを使ってふたりでデートついでに買いに行ったのだ。
「真琴先輩。長旅お疲れ様でした。やっぱり、そのスーツ似合ってます」
「江ちゃんもお疲れ様。はは、なんだか照れくさいね。江ちゃんもドレス似合ってるよ」
真琴の大きな手が江のセットされた髪を崩さないように撫でる。この動作も随分と慣れたもので、江も頬を緩めながらそれを受け入れる。
「おふたりさ〜ん?僕たちいること、忘れてなあい?」
「渚くん!お二人の邪魔をしてはいけませんよ!」
つい、いつも通りいちゃつこうとしてしまった自分たちが恥ずかしく、江は半歩後ずさり、頬を薔薇色に染めた。真琴も、名残惜しそうに苦笑を漏らしながらも頬をやんわりと朱色に染めている。
「ねえねえ、挙式って何時からだっけ」
気を取り直したように渚が江に向けて首を傾げる。江はホテルのロビーの壁に掛けられている時計に視線を移す。時刻は十五時五十分を指していた。
「十六時からだよ」
「あ、じゃあもうすぐだね」
ちょうどその時、スタッフのひとりが挙式の準備が出来たと、招待客に声をかけはじめた。江たちはこぞってロビーを後にし、教会に入ると江は三人に別れを告げて新郎側の親族席へと向かった。
◆
式は滞りなく終わりを迎えた。純白のマーメイドドレスを着た遙は息を飲む程美しかったし、遙とお揃いの白いタキシードを着た凛もとてもかっこよくて誓いのキスの時は江も涙を流してしまった。
新郎新婦が退場した後、招待客は会場の外にあるガーデンスペースでライスシャワーのセレモニーがある。まだ一月という寒い時期であるが、誰も文句を言わず高揚した気分のまま外へと移動した。
新郎側、新婦側と列を作っていると、突き刺すような寒い空気に晒された二の腕にふわりと柔らかく暖かい生地の感触に江は驚き振り返った。
「あ、真琴先輩!」
「寒くない?」
「ありがとうございます。会場内が暖かかったから、大丈夫ですよ」
振り返ると真琴が立っていた。先ほどまで鳥肌の立った項から肩、二の腕は彼がかけてくれたブランケットのおかげで冷たい風を凌いでくれている。昔からそうだが、よく気の効く男だ。
「このブランケット、どうしたんですか?」
「ん?スタッフさんが用意してくれてたんだよ」
なるほど。スタッフさん、お疲れ様です。
近くにいた式場スタッフと目があったので江は会釈をしておいた。
フラワーシャワーを両手に持ち、新郎新婦が再び登場すると、ガーデンには祝福の言葉とたくさんの笑顔が咲き誇った。
凛に「お兄ちゃんおめでとう!」と江は声をかけると、目元を真っ赤にした凛が瞳を潤ませて笑顔を向けてくれた。きっと、挙式中に泣いたに違いない。いつまで経っても泣き虫だなあと江は真琴と共に顔を見合わせて笑った。
たくさんの祝福を受けた新郎新婦である凛と遙は階段の一番上で笑顔でブーケトスの準備に入る。招待客のうち、未婚の女性たちはこぞって階下の最前を陣取り遙が投げようとしているブーケを取ろうと必死だ。その中になんでか渚と怜が混じっており、つい江は声をあげて笑ってしまった。きっと、怜は渚に引っ張られていったに違いない。
「江ちゃんは行かないの?」
真琴が不思議そうな表情で江に訪ねる。
江にだって、乙女心はある。新婦が投げたブーケをキャッチした女性は次の花嫁だと言われている。自分も欲しいと言えば欲しいが、今回は自身の兄の結婚式であるから、遠慮しておこうと江は思っていた。それに、結婚を意識している今、率先してブーケを取りに行くのはなんだか少し気恥ずかしいのだ。
「え?私はいいですよ」
「そう?」
江は真琴のきょとりと丸められた深い緑を見つめ、微笑んだ。
スタッフの人の号令により、遙は後ろを向き、勢い良く両手の中にあるブーケを投げた。
夕暮れの茜空に美しく弧を描いたそれに女性たちはきゃあきゃあと黄色い声を上げて駆けて行く。そして、そのブーケは驚きの人物の手の中へと落ちた。
「え、ええ?」
「わわっ!真琴先輩!おめでとうございます!」
「えー!?まこちゃん!?」
なんと、遙が投げたブーケは江の隣にいた人物、真琴の手の中にすっぽりと収まっていたのだ。
「真琴、おめでとう!」
「はは、真琴が取っちまったのかよ!」
階段の上にいる凛と遙が可笑しそうに笑っている。江はすごいすごいと両手を叩き真琴におめでとうとはしゃいだ。
真琴はしばし、その手の中にあるブーケを見つめ、思案顔をする。そんな真琴の様子に、はしゃいでいた江は首を傾げた。
どうしたんだろう、真琴先輩。
そして、真琴は何かを思いついたようにパアッと顔を明るくさせたかと思えば表情を引き締め、突然江の目の前で片膝をついた。
「え、ちょ、真琴先輩!どうしたんですか、どこか具合でも……」
「江ちゃん」
真琴の真剣な瞳に、江は体を硬直させてしまった。周囲にいる招待客やスタッフ、凛と遙も騒然としている。
シン、と静まり返ったガーデンスペースで、ひとつ真琴は深呼吸する。
「江ちゃん、ずっと言おうと思っていたんだけど、遅くなってごめんね」
「おい、真琴てめぇっ……ハルッ!」
「凛、静かに」
階段の上で凛がぎゃんぎゃん騒ぎ、遙が制しているのが聞こえる。けれど、江はそんなこと今はどうでも良く、真琴の真っすぐな眼差しから目が逸らせなかった。
自分が大好きだった、凛の真っすぐな瞳に、彼のその瞳はどこか似ていた。どきどきと胸が高鳴り、言葉の先をはやくはやくと待ち望む。
「――俺と、結婚して下さい」
静まり返る寒空の下、真琴の震えた声がしっかりと江の耳にも届いた。
「う、そ」
知らぬ間に江の赤い瞳からはボロボロと涙が頬を伝い地面を濡らす。ずっと欲しかった言葉。それを、今聞くだなんて。
ああ、もう。今日はお兄ちゃんの結婚式で、お化粧もいつも以上に気合いをいれてきたというのに。真琴先輩のせいで台無しだ。
江は、涙を拭うのも忘れて、真琴が跪き両手で差し出すブーケを手に取った。嗚咽が漏れて、言葉を紡ぐのだってやっとで。
「は、い!」
江は懸命に嗚咽混じりに言葉を紡ぎ、頷いた。
真琴の不安気だった表情が花が咲いたかのように笑顔が宿る。
ワアッ!と会場が湧く。歓声と拍手が江と真琴を包んだ。
「……ったく、俺らの結婚式だってのになあ?」
「フリーでいいんじゃないか?」
「おいおい勘弁してくれよ」
呆れた口調の癖に、凛は笑顔だった。遙も、笑顔だった。人々の中心にいる江と真琴も、その周囲にいる渚も怜も、たくさんの人々も、笑顔だった。
「お父さん、ありがとう。素敵な一日になったよ」
江は涙を溜めて、茜空に向かって呟いた。
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「俺、ハルにプロポーズする」
どこか緊張した面持ちで、凛は宣言した。
江と同じ、赤い瞳がゆらゆらと揺らめいていた。芯を持った真っすぐな凛の視線に我が兄ながら、本当にイイ男だと江は思う。あの真っすぐで全力で楽しむ色を含んだ瞳が江は好きだった。幼い頃から、その真っすぐすぎる瞳を追いかけて、よく凛の通うスイミングクラブまで足を運んだものだ。あの頃は今と違って、何も恐れるものなど知らない純真な瞳であったけれど。凛がオーストラリアへ留学し、日本へ戻ってきた時にはその色は失われ、ただただ鋭いものとなっていた時はとてもショックだった。失われた色を追いかけて、求めて、遙たちを頼って、やっと取り戻した時は涙が出る程うれしかった。今だって凛のその瞳を取り戻した瞬間を、江は鮮明に覚えている。
「がんばって。私のお兄ちゃん世界一イイ男なんだから、絶対にうまくいくよ」
そう江が言うと、凛は「ありがとう」と目をやさしく細めた。
その微笑みも、江が大好きなものだ。家族に向けるやさしく緩められた口元と目元。それを見ると江はいつも安心できるのだ。江が不安で眠れない時、何かに悩み、壁にぶち当たった時、凛は江を安心させるようにゆるく微笑みながらよく江の頭を撫でながら「大丈夫だ」と慰め、甘やかしていた。
かっこよくて、力強くて、ぶっきらぼうだけどちゃんとやさしくて、我が儘で、真っすぐで、素敵な筋肉をしてる唯一無二の兄が、結婚する。自分にとって、大切な人が幸せの第一歩を踏み出す。そう考えるとなんだかちょっぴり寂しいながらも、腹の底から喜びが溢れてくる。
凛はきっと、OKを貰える。間違いないだろう。もうそういう歳だもんなあ。
色んなことが江の頭を過る。
幼い頃からの凛との思い出。今の自分の年齢と結婚について。文字だったり思い出の映像だったり、もやもやとなんとも形のない気持ちだったりがぐるぐると忙しなく江の脳内をかき混ぜる。
結婚かあ。私は、いつするのかな。
身内が結婚するとなると、やはり自分もそういう意識が生まれる。江には高校時代から付き合っている恋人がいた。岩鳶の水泳部部長であり、凛の友人でもある橘真琴だ。もう二人は十年の付き合いになるが、未だ結婚の話は持ち上がったことがない。お互い意識はしているのだろうけど、まだ早い、まだ早いとその話題に触れることがないまま今日まで過ごしてきてしまったのだ。
江としては、もちろん将来のパートナーは真琴以外考えられない。きっと、たぶん真琴も同じ気持ちでいてくれていると思う。そう信じているのだけれど、この歳までプロポーズをされないとなると少々不安も募るものだ。十年付き合ってもちゃんと恋してる。恋してるし、愛している。しかし、ちゃんと二人は家族になれるのだろうか。
はぁ、と江はひとつ重い溜息を吐いた。
◆
そう、結婚を意識するきっかけとなったのが昨年の夏のことだった。あれから半年過ぎ、今日は日曜日で大安の日。凛と遙の結婚式当日だ。
二人が出会った大切な場所だから、と二人の式は岩鳶にある海沿いのチャペルで執り行われることとなった。江は凛の親族であるため、式の二日前から実家に帰省している。真琴は前日にこちらへ来ると言っていた。顔を合わせられるのは会場でということになるだろう。
東京の自分のマンションから持ってきたキャリーケースからこの日のために新調したパーティドレスを引っ張り出し、身に纏う。上品な真珠のネックレスとピアスをつけ、江は姿見の前に立った。
自分の結婚式でもないというのに、妙に緊張してしまう。姿見に映る自身の姿を確認し、大きく江は深呼吸した。
「江ー?もう出発するわよー!」
「今行くー!」
階下から母の声が聞こえ、江はハッとし、声を張り上げて返事をした。
今日という日が素晴らしい一日となりますように。自室を出る直前、机の上に飾られた亡き父の写真に向けて、江はそんな願いを込めながら微笑んだ。
「あー!江ちゃん久しぶりー!」
「江さん!お久しぶりです。昨年ぶりですかね?」
式場に到着した江は、凛と遙のいる控え室を後にし、会場の方へと向かった。すると、懐かしい顔ぶれが江に声をかけてきた。
高校時代の同学年であり、部活仲間であった渚と怜だ。
「渚くん、怜くん!久しぶり。本日はお越しいただき……」
「そういうかたっくるしいのはなしなし〜!」
ふたりに気付いた江は深々と頭を下げようとするがそれを渚が制した。顔を上げるとにっこり笑顔の渚と苦笑を浮かべる怜がいる。高校時代に比べてふたりともあどけなさが抜けてピシッとスーツを着こなしていた。
渚のあの頃から変わらないテンションに江も笑顔を浮かべる。
「ありがと。本当に久しぶりだね!」
「昨年はみんな忙しくて忘年会できなかったもんね〜。だから今日はとっても楽しみにしてたんだ!」
「ははっ、私もだよ〜」
「でも、ビックリだよ。絶対凛ちゃんとハルちゃんよりまこちゃんと江ちゃんの方が結婚早いと思ってたもん」
思わず、江の笑顔が固まる。
昨年度、凛から結婚が決まったと報告を受けた時から気にしていたことを言われてしまったからだ。
江も、正直なことを言うと凛と遙よりも自分と真琴の方が結婚は早いと思っていた。けれども先を越されてしまったのだ。
相変わらず、真琴からそういった話は一言も出て来ない。それがまた江を焦らせていた。こういった話は焦っても仕方はないとは思うもの、やはりどうも気になってしまうのが乙女心というものだ。
「こら、失礼ですよ渚くん!」
すかさず怜が渚をピシャリと叱りつける。渚はぷうっと頬を膨らませて「え〜だって随分前からまこちゃん江ちゃんにプロポーズするとかしないとか」とかごにょごにょ何やら言っていたが江は聞き取れず首を傾げた。
「大丈夫だよ、怜くん。私と真琴先輩はマイペースに行くことにしてるから」
気にしてないて体を作り、そう述べると眉間に皺を寄せていた怜は「そうですか……」と綺麗な眉を八の字に下げた。
「江ちゃん!」
すると、話の渦中にいた人物が江の後ろから声をかけてきた。
振り返ると、想像通りの人物の姿に思わず江は目を細める。
普段のスーツ姿よりもずっとお洒落なシャツやネクタイをした真琴の姿は、背の高さもあってかとても決まって見える。もちろん、シャツもネクタイも江の見立てたものだ。江のドレスも、真琴のスーツも先日の休みを使ってふたりでデートついでに買いに行ったのだ。
「真琴先輩。長旅お疲れ様でした。やっぱり、そのスーツ似合ってます」
「江ちゃんもお疲れ様。はは、なんだか照れくさいね。江ちゃんもドレス似合ってるよ」
真琴の大きな手が江のセットされた髪を崩さないように撫でる。この動作も随分と慣れたもので、江も頬を緩めながらそれを受け入れる。
「おふたりさ〜ん?僕たちいること、忘れてなあい?」
「渚くん!お二人の邪魔をしてはいけませんよ!」
つい、いつも通りいちゃつこうとしてしまった自分たちが恥ずかしく、江は半歩後ずさり、頬を薔薇色に染めた。真琴も、名残惜しそうに苦笑を漏らしながらも頬をやんわりと朱色に染めている。
「ねえねえ、挙式って何時からだっけ」
気を取り直したように渚が江に向けて首を傾げる。江はホテルのロビーの壁に掛けられている時計に視線を移す。時刻は十五時五十分を指していた。
「十六時からだよ」
「あ、じゃあもうすぐだね」
ちょうどその時、スタッフのひとりが挙式の準備が出来たと、招待客に声をかけはじめた。江たちはこぞってロビーを後にし、教会に入ると江は三人に別れを告げて新郎側の親族席へと向かった。
◆
式は滞りなく終わりを迎えた。純白のマーメイドドレスを着た遙は息を飲む程美しかったし、遙とお揃いの白いタキシードを着た凛もとてもかっこよくて誓いのキスの時は江も涙を流してしまった。
新郎新婦が退場した後、招待客は会場の外にあるガーデンスペースでライスシャワーのセレモニーがある。まだ一月という寒い時期であるが、誰も文句を言わず高揚した気分のまま外へと移動した。
新郎側、新婦側と列を作っていると、突き刺すような寒い空気に晒された二の腕にふわりと柔らかく暖かい生地の感触に江は驚き振り返った。
「あ、真琴先輩!」
「寒くない?」
「ありがとうございます。会場内が暖かかったから、大丈夫ですよ」
振り返ると真琴が立っていた。先ほどまで鳥肌の立った項から肩、二の腕は彼がかけてくれたブランケットのおかげで冷たい風を凌いでくれている。昔からそうだが、よく気の効く男だ。
「このブランケット、どうしたんですか?」
「ん?スタッフさんが用意してくれてたんだよ」
なるほど。スタッフさん、お疲れ様です。
近くにいた式場スタッフと目があったので江は会釈をしておいた。
フラワーシャワーを両手に持ち、新郎新婦が再び登場すると、ガーデンには祝福の言葉とたくさんの笑顔が咲き誇った。
凛に「お兄ちゃんおめでとう!」と江は声をかけると、目元を真っ赤にした凛が瞳を潤ませて笑顔を向けてくれた。きっと、挙式中に泣いたに違いない。いつまで経っても泣き虫だなあと江は真琴と共に顔を見合わせて笑った。
たくさんの祝福を受けた新郎新婦である凛と遙は階段の一番上で笑顔でブーケトスの準備に入る。招待客のうち、未婚の女性たちはこぞって階下の最前を陣取り遙が投げようとしているブーケを取ろうと必死だ。その中になんでか渚と怜が混じっており、つい江は声をあげて笑ってしまった。きっと、怜は渚に引っ張られていったに違いない。
「江ちゃんは行かないの?」
真琴が不思議そうな表情で江に訪ねる。
江にだって、乙女心はある。新婦が投げたブーケをキャッチした女性は次の花嫁だと言われている。自分も欲しいと言えば欲しいが、今回は自身の兄の結婚式であるから、遠慮しておこうと江は思っていた。それに、結婚を意識している今、率先してブーケを取りに行くのはなんだか少し気恥ずかしいのだ。
「え?私はいいですよ」
「そう?」
江は真琴のきょとりと丸められた深い緑を見つめ、微笑んだ。
スタッフの人の号令により、遙は後ろを向き、勢い良く両手の中にあるブーケを投げた。
夕暮れの茜空に美しく弧を描いたそれに女性たちはきゃあきゃあと黄色い声を上げて駆けて行く。そして、そのブーケは驚きの人物の手の中へと落ちた。
「え、ええ?」
「わわっ!真琴先輩!おめでとうございます!」
「えー!?まこちゃん!?」
なんと、遙が投げたブーケは江の隣にいた人物、真琴の手の中にすっぽりと収まっていたのだ。
「真琴、おめでとう!」
「はは、真琴が取っちまったのかよ!」
階段の上にいる凛と遙が可笑しそうに笑っている。江はすごいすごいと両手を叩き真琴におめでとうとはしゃいだ。
真琴はしばし、その手の中にあるブーケを見つめ、思案顔をする。そんな真琴の様子に、はしゃいでいた江は首を傾げた。
どうしたんだろう、真琴先輩。
そして、真琴は何かを思いついたようにパアッと顔を明るくさせたかと思えば表情を引き締め、突然江の目の前で片膝をついた。
「え、ちょ、真琴先輩!どうしたんですか、どこか具合でも……」
「江ちゃん」
真琴の真剣な瞳に、江は体を硬直させてしまった。周囲にいる招待客やスタッフ、凛と遙も騒然としている。
シン、と静まり返ったガーデンスペースで、ひとつ真琴は深呼吸する。
「江ちゃん、ずっと言おうと思っていたんだけど、遅くなってごめんね」
「おい、真琴てめぇっ……ハルッ!」
「凛、静かに」
階段の上で凛がぎゃんぎゃん騒ぎ、遙が制しているのが聞こえる。けれど、江はそんなこと今はどうでも良く、真琴の真っすぐな眼差しから目が逸らせなかった。
自分が大好きだった、凛の真っすぐな瞳に、彼のその瞳はどこか似ていた。どきどきと胸が高鳴り、言葉の先をはやくはやくと待ち望む。
「――俺と、結婚して下さい」
静まり返る寒空の下、真琴の震えた声がしっかりと江の耳にも届いた。
「う、そ」
知らぬ間に江の赤い瞳からはボロボロと涙が頬を伝い地面を濡らす。ずっと欲しかった言葉。それを、今聞くだなんて。
ああ、もう。今日はお兄ちゃんの結婚式で、お化粧もいつも以上に気合いをいれてきたというのに。真琴先輩のせいで台無しだ。
江は、涙を拭うのも忘れて、真琴が跪き両手で差し出すブーケを手に取った。嗚咽が漏れて、言葉を紡ぐのだってやっとで。
「は、い!」
江は懸命に嗚咽混じりに言葉を紡ぎ、頷いた。
真琴の不安気だった表情が花が咲いたかのように笑顔が宿る。
ワアッ!と会場が湧く。歓声と拍手が江と真琴を包んだ。
「……ったく、俺らの結婚式だってのになあ?」
「フリーでいいんじゃないか?」
「おいおい勘弁してくれよ」
呆れた口調の癖に、凛は笑顔だった。遙も、笑顔だった。人々の中心にいる江と真琴も、その周囲にいる渚も怜も、たくさんの人々も、笑顔だった。
「お父さん、ありがとう。素敵な一日になったよ」
江は涙を溜めて、茜空に向かって呟いた。
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