▼ 鉄格子の中
「ぶっは!」
まずは智雅が吹き出して大笑いした。
「おもしろい! 傑作だ!」
続いてジャックが笑いだした。
「……」
「たーすけてー」
無言で葵はそれを見、さくらは嘆いた。
目の前にあるのは強固な鉄格子。周囲を囲うのはその世界が独自で造り上げた正体の分からない白い壁。智雅はその壁を「魔術みたいなもので製造された、素材から意味不明なもの」と解析した。
一番奥の壁にもたれかかりながら山田は「いい肴だ」と、酒を杯に注ぎ始めている。それをしっかり捉えた葵は偶然近くに落ちていたゴミを山田に投げた。見事、頭に命中。
「……あ?」
「助けてください、神様」
「ざけんな小娘。いま俺に何を投げたのか分かってるのか。どの口がそれを言う。食い散らかすぞ」
口を尖らせてひねくれる葵に対し、山田は罵声を送った。
「もー、ごめんごめん。急に笑って悪かったよ! だから怒らないで葵ちゃん。山田も」
間近でなにが起こるかわかったものではないとビクビク怯えていたさくらは、仲介に智雅が入ったことでひとまず安心した。ひとまず。
さくらの智雅に向ける信用は高いとは言えない。ふだんからいたずらっ子であることを主張する言動が所以だ。さくらは安心半分、不安半分に智雅を眺める。ちょうど智雅の後ろの方では旅の相方ジャックがニヤニヤと笑っていた。
「でもまー、すっごいよね。葵ちゃんとさくらちゃんが同時に同じ場所へトリップしたことといい、この僅かな座標の違いでこんなことになっちゃったことといい」
眉を下げながらも器用に口角をあげる智雅に葵はため息。脱力したようにさくらの肩に体を預けた。
「葵ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと挙動してたね」
さくらは葵をそのままに、目の前の鉄格子を見る。一本一本の鉄棒が拳ほどの太さを持ち、錆び一つない、朽ちることを知らないそれが囲っているのは少女二人。さくらと葵だ。
何もない白くだだっ広い空間の中央にあるのは一辺三メートルの檻。その正体が鉄格子。その中に入っているのはさくらと葵であり、その外側にいるのはジャック、智雅、山田であるのだった。
「しかしどうなってるんだ、これ?」
「たぶん物理的に殴ったり蹴ったりしてもビクともしないね」
「それだけ頑丈なのか」
「違う違う。この鉄格子があるところだけ次元が歪んでるんだよ」
鉄格子をつつくジャックに、智雅は鉄格子を殴って見せた。実際、智雅の拳は骨を折るほどの強い勢いがあったと言うのに傷一つついてない。もう一度。学生鞄からメリケンサックを取り出してそれで殴ってみても同じだ。そのまま立て続けに智雅は自分の懐から拳銃を取り出した。
「げっ、智雅くん……」
「え」
葵とさくらの表情が青ざめた。銃口はまっすぐ鉄格子に向いているが、智雅の腕が少しでもずれればその銃弾は二人に被弾する。
「大丈夫だいじょーぶ」なんて智雅は軽々しく言ってのける。たしかに智雅の腕を疑っている訳ではないが、跳弾の恐れがある上、そのあとに続いた「脳天に撃たれても死ぬ前に治してあげるよ!」に二人は身震いした。
そして撃つ。
銃弾は撃たれる寸前に狙いを鉄格子から中の二人に狙いをずらしたことをジャックは見逃さなかった。しかし予測される数秒先の未来は訪れない。銃弾は文字通り消えてしまったのだ。
「ほら、ここの鉄格子がある座標を教会に次元が変わってるんだよ。別次元越しに俺たちと同じ次元地点にいる葵ちゃんとさくらちゃんは目視できるんだけど」
智雅は空薬莢を広い、ポケットにしまう。
「だから物理で壊そうとするのは愚策かなあー」
なんて結論を証明すらために己の骨を折り、葵とさくらを危険に怯えさせた。葵は頭を抱え、さくらは慣れない危険に言葉を失う。
「で、どうするつもりだガキ。そこの小娘がおらんと俺の首が集まらんぞ」
「山田の首とか正直どうでもいいんだけど、このままにしとくのはちょっと可哀想だよねー。また葵ちゃんを一人旅に出して泣かせるわけには行かないし。あ、でもさくらちゃんとジャックは次元の隔たりがあってもたぶん一緒にトリップできるから大丈夫だよ。たぶん」
「二回言った!」
さくらは涙目だ。さくらを宥める葵は智雅の言動には十分の慣れがあった。悲しいほどに。
「智雅くん。打開策はあるの?」
「なーい」
即答だ。
さすがに葵も驚く。
「だって世界の法則が一から違うもん。どうハッキングしようとしたって無駄だよ。んー、例えるなら地上に居ながら星を掴もうとしてるもんだよ」
ま、星なんてそもそも掴めないんだけどね、などという智雅の例えは冴えた直感をもつ葵とさくらにはどうにも適切な例えのように感じる。手詰まりだ。
「これ、鉄格子があるってことは作った人がいるんだよね? この白い部屋の外側に。その人に解除してもらったらいいんじゃないかな」
「でもさくらちゃん。この白い部屋に窓とかドア、というか出入り口ないよ?」
「あっ」
「ちょっと私落ち込んでくるわ……」
「あー、葵ちゃーん!」
魂ごと抜けてしまいそうなため息を葵は欠かさない。檻の隅に丸くなって縮こまる葵をあわててさくらが追いかけた。
ジャックは無言で山田を見る。山田は酒を煽っている最中だった。
「雪三郎、こっちを見るな」
「ジャックだ。……それより、お前でもあの鉄格子は壊せないのか?」
「俺は万物の神ではないからな」
「本格的に手詰まりだ……」
誰も彼もがため息をする重たい空気のなかで、さくらはきょとんとした表情を浮かべた。なぜこのことに気が付かないのだろうと首を傾げ、おそるおそる手を挙げる。
「あの」
同時に全員の目線がさくらに注がれる。気圧されながらも挙げたさくらの手はまっすぐ白い壁へと向けられた。
「あっちは壊せないの?」
その直後。
「ジャック! 壁は任せた! 拷も……、尋問なら俺に任せて!」
「おうとも。壁は俺に任せてもらおう!」
巨大な氷が一瞬にして壁を突き抜け、破壊した。突然の轟音に耳を塞ぐ。正体不明の壁をいとも容易く破壊してしまった。その轟音に山田は迷惑げに表情を歪めてみせた。
智雅の「ひゃっほーう!」という声は壁の奥へ消え、時折ジャックによる犠牲の音がする。残された三人は無音だ。
「よ、良かったね。壁の向こうにも世界は続いていて……」
葵の声がむなしく響いた。
一方的な攻撃はすでに始まっていた。
「ラスボスといえば、とにかく奥にいるよね」という謎の理論を持ち出した智雅により、ジャックと智雅の二人は障害物を取り払いながら奥へ奥へ進む。そう広くないこの場は一見、病院のように生活感のない清潔感だ。
障害ともなる、すれ違う人物はみな軍服の上に白衣を着ていた。それらを次々氷結させるジャックの表情は少しながら曇る。
「トモマサ。奥ってどこだ」
「構造把握してないからわかんないよー。でももうすぐなんじゃないかな」
「確かに。人が多くなった」
ジャックにより発生した冷気は、さくらと葵の元にも届いていた。
「どうして旅の仲間はこんなにも個性的なのか……。苦労するからもうちょっと普通でいてくれてもいいのに」
「そうだよねー。頼りにはなるんだけど、ちょっと疲れちゃうな」
「山田さんは酒かタバコの臭いするし、女遊びもするし、智雅くんは好戦的だし」
「ジャックのいたずら好きももうちょっと落ち着いてくれるといいんだけど……」
のんきに愚痴を言うことができるほど心持ちに余裕があるのは、ジャックと智雅を信頼しているお陰か。それとも彼女らの直感が未来を想定しているのか。
「馬鹿どもめ」
酒は片付け、煙草を吸う山田は独り言をつぶやいた。
その時、ジャックはこの建物を経営する人物を捉え、智雅が丁寧に尋問を開始した。
――どんな逆境だろうと楽しんだもん勝ちだよ。
葵はふと、智雅の言葉を思い出した。
そして風景は一変する。
「うわあっ!」
「おっと!?」
「……ん?」
白い壁の傷はなくなり、元通りに。
葵とさくらの目の前から嬉々としていなくなった智雅とジャックの姿が間近に。のうのうと煙草を吸っていた山田はすぐ後ろに。
「んんっ!?」
「う、うわあーっ!? あ、ああ、びっくりしたあ……」
「いやいや、さくらちゃん! びっくりした、じゃないよ! なにこれ! なにこれ!?」
鉄格子の中にはさくらと葵だけではない。外にいたはずのジャック、智雅、山田までもが中にいた。
「テレポート?」
「ああ、そうだろう。ものの見事にカウンターされてしまった」
ジャックは残念そうに語っているが、やはりその表情は相変わらず楽しそうに笑っているのだった。
「あっははは。ごっめーん。尋問、失敗しちゃった」
「ええっ、みんな檻の中に入っちゃったよ! どうするの!」
「でも、バラバラになっちゃったっていう問題は解決したよね!」
「思わぬ方向に解決したんだけどっ」
三メートル四方の檻に、さくらと葵だけいるのは良かった。そこに智雅が加わるところまでは許容範囲内。だが、長身のジャックと山田は大の男。それが二人もいれば窮屈この上ない。葵は山田に圧され、檻の隅で体操座りをしている始末だ。
さくらは笑顔のジャックと智雅に真っ向から突っ込みを入れていき、最終的には体力不足で息を切らしてしまった。
「これ、もしかしてトリップするまでこのまま?」
「そうだろうな」
「うぅ、はやくトリップしたい」
さくらも体操座りになろうとしたその時、葵が居心地悪そうに、少しだけ申し訳なさそうな表情で「あの……」と切り出した。
「さくらちゃん、ごめん。トリップの予兆がさっきからする」
「わーい、抜け駆けー!」
「ええっ!?」
智雅は両手を挙げて喜んだ。両手を挙げた際、ジャックにぶつかってしまったが。
「お、おいてかないでーっ」
「ごめんねさくらちゃん。置き土産にパンあげるよ」
「食料!」
鞄から取り出された食料にすがってしまう性にジャックは容赦なく「惨めだな」と漏らした。
「じゃ。さくらちゃん。がんばってね!」
「う、うそ。ほんと? ほんとに行っちゃうの?」
「さくらちゃんたちもすぐトリップできるような気がするから大丈夫だよ」
「あいまいだよ!」
さくらはあわてて葵の手を掴んだが、それによって同じようにトリップできるわけではない。山田が目をそらしてため息をついた。
別れの挨拶もそこそこに、本当に葵、智雅、山田はトリップして居なくなってしまった。さくらは遠くから聞こえる多数の足音を聞き流しながら「置いてかないで……」と呟き、ジャックに同情されてしまった。