ミックス | ナノ


▼ 午前0時過ぎ×アンバランス

  

彼女の今日は不運だ。

頭上から鳥のあれが降ってくるし、バナナの皮で転ぶし、階段を踏み外すし、思わぬハプニングで狼の尾を踏むし。

――しかし、本日起こったそれのどれもがお遊びだと思えるほど、今は最悪な状況だった。

目の前に、血に餓えた吸血鬼がいるのだ。




――――――――




高蔵寺邸に世話になることになったさくらとジャック。
いわゆる居候というやつだ。申し訳ないと断ろうとしたのだが、高蔵寺の隣に現れた眼鏡の、やる気のなさそうな何事も面倒そうな顔をした少年も居候だとの紹介を受け、強引に居候することを承諾させられることとなったのだ。「この子は九条といいますわ。彼も居候ですので気にしなくてもいいのですわよ!」と。さくらの手を引く高蔵寺の笑顔は忘れない。そして、さくらの助けを求める視線を無視したジャックの涼しい顔も。


「ここには何人か居候がいますわ。さっきの九条に、高橋、赤神、ロルフ、金神、雪女、辻」

「お、大所帯ですね」

「この家は広いので構いませんわよ」

「ありがとうございます」

「こちらから居候するように言っておいて申し訳ないのですが、いくつか注意点がありますわ」

「?」

「九条にはあまり近付かないほうが良いですわよ。あと、できるかぎり高橋とロルフにも。いえ、高橋とロルフは自制できるので、大丈夫であるとは思いたいのですけど。あと、さくらのためを思うなら金神にも」

「男ばかりだな」


指を折って名前をあげていく高蔵寺にジャックが感想を述べた。高蔵寺はジャックにつっこまれて初めて気が付いたようで、苦笑いをしたまま「そうですわね」と頷いた。


「九条には要注意ですわ。まあ、そちらの妖精さんが近くにいれば彼もすぐに目を覚ますとは思うのだけれど……」


当然のようにジャックが人ではないと高蔵寺は理解していた。
だが当然なのだろう。彼女は人ではないものを相手とする職についているのだ。さくらは見抜いた高蔵寺に多少は驚いていたが、一方でジャックは高蔵寺に違和感があったのか、目に見えて驚く様子はなかった。


「とにかく、九条には近付くべからず、ですわ。とくに夜。私たちも極力さくらと九条だけ、なんていう状況はつくらないよう心掛けますが」


高蔵寺とそんな会話をしたその日のうちに、九条と二人きりになってしまったのは、さくら持ち前の不幸と金神の影響なのだろう。
しかも、夜に。

九条が吸血鬼だと教えてくれたのは同じ吸血鬼の赤神と半吸血鬼の高橋だった。このとき、はじめてさくらはこの世界に人外の存在を明確に知ることとなった。
さくらがまだ知り得ない高蔵寺の力によって、口に出して教えるまでは隠ぺいされているため、さくらの奇跡的に当たる第六感が鈍い。
同じ一軒家のもとにいながらもジャックと離れ離れになってしまったのは、ほぼ確実に、やはり金神の影響だろう。


「あ、九条……、くん」

「……」


高蔵寺から紹介を受けて以来再会していなかった九条との遭遇。九条が吸血鬼だという情報と、周囲に他の人物がいないという状況がついさくらに緊張を与えていた。


「何」


面倒くさそうに眉を寄せる九条は人間のようにもみえたが、電気もついていない暗闇だからこそその血のように真っ赤な瞳と血を吸うために発達した歯が際立った。
用件もないのに、つい九条を呼び止めたことを少し公開する。早くジャックに会いたいという気持ちが一層強くなった瞬間だった。


「夕飯のとき、顔をだしてなかったからお腹すいてないかなって」


自身が抱く恐怖に反して、さくらの声はハキハキしていて、いつも通りだった。


「今からメシ。別にお前に心配されることじゃない」

「そう、だよね」

「悪い。言い過ぎた」


九条は、さくらが怖く思うほど悪い人ではないのかもしれない。高蔵寺や赤神、高橋が忠告してきたが、それは大げさだったのでは。そう思い始めた。彼は吸血鬼であっても、問答無用に人を襲うことはないようだった。――と、さくらが安心したその次の瞬間、思考を覆された。


「不運だったな」

「え? ……誰が?」

「お前が」


さくらを、獣の獣の瞳がうつしだす。吸血鬼の力か、足が動かなくなっていた。


「お前は俺の好みじゃないが、たまには年下の血でも」


一歩、また一歩と九条が近付いてくる。さくらは呼吸を詰まらせた。
血に餓えた吸血鬼はさくらの肩に手をのばす。
さくらの心臓は激しく鼓動し、しかし全身は冷めきっていた。

怖い。
トリップをしていれば、襲われることも襲撃されることもある。それに対抗する術も、さくらは叩き込まれている。しかし、この吸血鬼には、さくらの術は通用しなかった。
不運なことに……、九条は吸血鬼としては天才的に力を発揮するのだ。魔眼の素養がある九条に見られては、身動きができなくなって当然なのだ。


「――サクラ」


九条の手がさくらの肩に乗る寸前、別の手がさくらの肩を引いた。背後へ引っ張られたさくらはポスンと、慣れ親しんだジャックに受け止められる。


「『私の血を飲みなさい』」


同時に、高蔵寺の声が響く。九条の瞳がぎょろりとさくらから移った。さくらの後ろからジャックとともに現れた高蔵寺に向く。九条が高蔵寺の肩を抱いたのは次の瞬間。


「『私は私のままだから、安心なさいな』」


高蔵寺の言葉を聞いてから九条は彼女の首筋を噛んだ。「うっ」と高蔵寺の短い悲鳴のあと、さくらがやっと現状を把握した。
九条に襲われかけたさくらを、ジャックと高蔵寺が助けてくれたのだ。
吸血鬼の吸血行為は官能的であった。さくらはつい、ふいっと顔をそらし、ジャックの後ろに隠れる。珍しくジャックに「大丈夫か?」と心配されたが、耳まで真っ赤になった顔を隠すことに必死になって上手く返事ができなかった。


「大丈夫ですの、さくら?」


いつの間にか吸血行為は終わったようで、さくらの頭を高蔵寺が撫でていた。さくらの真っ赤な顔の意味を、泣き顔と捕らえたのか見上げるさくらをみたあと高蔵寺は九条を睨んだ。


「怖がってるじゃありませんの」

「食欲に負けた」

「九条、夜は赤神が迎えに行くまで極力外に出ないでもらえるかしら」

「……まじか」

「あっ、いえ、ジャックと喧嘩しちゃった私が悪いから、その、九条くんは悪くないよ」

「でもさくら、あなた泣きそうですわよ」

「これは、そういうんじゃなくて、えっと……」


口ごもるさくらをにやりとした顔でジャックが見てくる。さくらは赤面してジャックの服を掴んだまま俯いた。
高蔵寺が九条を叱る。九条は悪くないと言い出そうとしたさくらの口をジャックの大きな手が覆った。


「庇う必要などない。ヒトを襲おうとした方が悪い」

「っぷは。でもジャック」

「サクラは腹が減った化物に手足を無償でやるのか。キリがないぞ?」

「……う」


ジャックがさくらを心配する意味は分かる。さくらは言葉を詰まらせ、叱られている九条に罪悪感を込めた目で眺めた。


「だから、さくらを食べてはいけませんわ」

「まあ、年下は好みじゃないから別にいいけど」

「まっ。本人を前に失礼な」


失礼なことを言う九条への罪悪感は消えた。高蔵寺が注意しても「さくらは好みじゃない」と繰り返す九条に、さくらの頬は膨らむ。


「クジョウに罪悪感は必要ないな」

「ないっ!」

   

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