▼ again
ツバサは懐かしい人物に出会った。もう彼方過去に終わってしまった物語の中に居た、少年に。
彼は白亜。色素の薄い外見をしており、小さな背丈と無邪気な性格が特徴的だった。相変わらずの色素であったが、ぐんと伸びた背と男性らしくなった外見、幼い頃には隠れていた落ち着いた雰囲気が際立っていた。
彼との再会を果たした翌日、ツバサは街中をただ歩いていた。もともと、ツバサは一つに留まらず旅を続けることが多いためか、この街へ寄ったのは偶然だった。偶然の再会をした際に彼が残した言葉の意味を探すことにした。
道順を辿って、小さな公園が近くにある細い通りに入った。後方に気を付けながら歩いていると、背後から「わっ」と、少女の声がして背中に衝撃が加わった。
「いてて」
少女はどうやら躓いてツバサにぶつかってしまったようだった。ツバサが振り向く。栗色の長い髪が揺れ、彼女はこちらを向いた。
「すみません……。大丈夫ですか?」
ぶつかった衝撃のせいか、目に涙をすこし溜めながら少女はツバサの心配をする。ツバサは彼女を見て、息をのんだ。しかし次の瞬間には「平気だよ」と、なんでもないように彼女と言葉をかわす。
「よかった。私の不注意で……。あっ……」
「何?」
「ぶつかってしまったあとに申し訳ないのですが、道に迷ってしまって……。少し道をおしえてもらえませんか? 待ち合わせ場所がイマイチわからなくて……。その……」
「いいよ。どこ?」
――イヨに似ている。
ツバサの、彼女に対する第一印象はそれだった。
彼女の髪が、瞳が、香りが、唇が手が全てが。似ていた。それはもう、同一人物なのではないかと思えるほどに。しかしイヨはもう、ずっと昔に消えてしまっている。たとえイヨが目の前で消えていなくとも、気の遠くなるほど長い年月がイヨの生存を確実に否定する。
やがてツバサは納得する。白亜のいっていた言葉の意味を。彼女がイヨに似ている意味を。
「あ、えっと、ここなんですけど」
彼女は鞄の中から地図を引っ張り出した。
ツバサはレトロだな、と思いながらも彼女の地図をみる。
「立ち話するより、そこの公園のベンチで座らない?」
暮らしていない、慣れ親しんでいるわけでもない街のことではあるが、歩き回っていたせいか地理に強い。ツバサが彼女の質問を断ることはなかった。彼女は何の疑いもなくツバサに提案された通りベンチに腰をおろした。
彼女の胸元には学生のバッチがあった。彼女は学生らしい。
「で、どこかな」
「えっと、ここなんです」
「あー、ここか」
彼女が地図の上を指で指し示した場所はそれほど遠い場所ではなかった。が、地図上では確かに分かりにくいかもしれない。目印になるものが近くにない上、同じような形の通りがいくつもならんでいる。
彼女にわかりやすいよう、なるべく優しく道順を教えた。彼女が太ももの上で広げている地図を覗いていると、ふと、開けっぱなしの鞄の中が見えてしまった。
「ん? カメラ? ……ああ、ごめんね。別に覗き見ようと思ったわけじゃないんだけど」
「いえ」
「カメラってことは写真が好きだったりするのかな」
「はいっ。写真が好きなんです! バイト5ヶ月分のカメラなんですよっ」
「若いのに珍しいね」
「……まあ、そうですね」
彼女は鞄の中からカメラを取り出して、その手でキュッと大切そうに抱えた。
「でも……、思い出って忘れたくないじゃないですか」
「――」
ツバサは少し、目を丸くした。言葉に息が詰まる。ああらやはりこの子は、あの凛々しい人に似ている。面影がある。凛々しくも儚く、放っておけない、あの女性に。外見ばかりではなく、中まで。
伏し目にしてどこか入り浸っている彼女のツバサは目を奪われていた。頭の先から爪先まで凍結したようだった。いいや、沸騰していたのかもしれない。失った人との思い出がつい昨日のことのようによみがえる。
「なーんて、ばばくさいですねっ!」
フフフ、と彼女は照れ笑いをした。その笑顔まで似ている。
いますぐ手を伸ばして彼女を抱きしめ、「おかえり」と言いたくなる。もう離したくないと心臓が叫ぶ。枯れていた喉が彼女を欲している。いますぐ、いますぐ――!
しかし、ツバサの愛した彼女はもういない。革命の波に彼女自身が確かに消え、確かにいなくなったのだと思い知らされる。
「道、わかりました。ありがとうございます」
隣にいる彼女の声で不意に覚醒する。
膝の上に乗せていた拳を強く握った。
「いいよ、別に」
「そんな! 本当に助かりました! ……ところで」
彼女は一度区切って、ツバサの顔をじっと見ていた。いつまでも遠慮なくツバサを見ている。ツバサが「何?」とその視線の意図を聞いても、ツバサの言葉など耳に入っていないようだった。
(やっぱり、変だな。私、この人とどこかで……)
彼女は胸の奥、心臓の脳裏に僅かに刻まれた破片を感じ取っていた。その正体はいくらツバサを見ていてもハッキリしない。もやもやした感覚の正体が分からない。
「――あの!!」
やがて彼女はそれを口に出してみることにした。
「どこかで逢いましたか?」
彼女の得ていた感覚は、まさにそれだった。目の前にいる金髪碧眼の青年とは初めて会っているはずなのに、どこか懐かしい。彼を知っているかもしれない。その声を、瞳を、指先を、香りを、姿を。
「いや、逢っていないと思うよ」
ツバサの返答は、呆気ないくらいアッサリしていた。当然のように帰ってきた言葉に彼女は恥ずかしくなる。
「で、ですよね。私ったら……。変なこと聞いてごめんなさい」
「大丈夫。気にしてないよ」
しかし、ツバサのその呆気ない返答が彼女をスッキリさせていた。なぜか「こういうこともあるんだな」と、すとんと受け入れられる。不思議と、彼の返答が心に落ち着く。彼女がツバサの返答を聞いて、なぜかすぐに涙腺が緩んだ。嬉しい。とても嬉しい。しかし悲しい。非常に懐かしい。
なみだが、こぼれそうになる。
「弥生ー!!」
公園の出口から彼女を呼ぶ声がした。弥生はとっさに顔をあげる。そこには馴染みぶかい顔があった。彼女と待ち合わせをしていた人物たちに他ならない。
「待ち合わせ場所をさがす手間が省けたね」
「みたいですね。せっかく教えていただいたのに……。ありがとうございました!」
「どういたしまして。じゃあね」
「はい、さようなら!」
「気を付けて」
ツバサが手を振ると、彼女も笑顔で応え、友人の元へ走り去って行った。彼女の姿が見えなくなるまで手を振り、静かに止める。ツバサはため息を吐いた。そっと、自身の髪を撫でた。懐かしむように、労るように。優しく、優しく。
「――弥生、か」
ツバサの声はあまりにも静かで、消えてしまいそうだった。
「今度は幸せに。平和にね……」
そよ風にささやかな願いをのせた。果たしてそよ風は彼の願いを彼女の運命に届けてくれるのだろうか。
ツバサと別れた彼女――弥生は、友人たちの元へ戻った。
「もー、本当に心配したんだよ!」
迷子になっていた弥生を捜していたのか、友人たちは口々に弥生を心配した。弥生は申し訳ないと謝る。
「ごめんね。道を教えてもらってたんだ」
「あー、あの男の人かー」
「……弥生、あのさ。聞かないほうがいいかもだけど」
「んー?」
弥生をちらりと横目で見ながら、黒髪の少年は後ろ髪引かれる思い出が口を開いた。弥生は首を傾げて彼の言葉を待つ。
「なんで泣いてるの?」
「え?」
ぽろ、ぽろぽろ。
指摘されて、はじめて自分が本当に泣いていることに気が付いた。頬を伝う大きなしずくが、熱いことに初めて気が付いた。視界が歪んでいたことに気が付かなかった。鼻をすすっていたこともうっかり忘れていた。
「さっきの人に何か変なことされた!?」
「されてないよ!? あれ、なんで……、なんでかな……?」
「体調悪い?」
「大丈夫だって!」
弥生はすぐに、とうとう涙がこぼれたのかと思った。きっと先程まで会っていた男の人を見たときから、無償に、どうしようもなく懐かしかった。あの彼と別れたくなかったのだろうか。寂しさを含んだ塩辛い涙は拭っても拭っても止まることはなかった。