▼ モンブラン
悩みができた。
深刻な悩みだ。この、恋とは無縁のオレが恋をしたのだ。なんだか馬鹿げているようだ。しかしこの恋がオレの頭を悩ませる原因ではない。それ以前の問題なのだ。すこし、いやかなり、厄介な人を好きになってしまった。相手の性格に問題があるとか別にそんなことはないのだ。自分でも意外でどうしたらいいのか分からなくなってしまうくらい。
「あ、イヨさん」
好きな人は、同性のイヨさんだった。
同性、なのだ。オレがいくら男装しているからといって、別にそういう方面ではないと思っていた。ノーマルだと思っていた。ていうか男装をするのは正体を隠すためであって……。いや、まあいいや。好きになったんだから。好きという感情が嘘であるはずがない。このまま突っ走ってやる。
「ソラ! わざわざロビーまで来なくても私がソラの部屋まで行ったのに」
イヨさんとオレは程よい交友関係を築いている。イヨさんが任務の合間に、オレが非番の日に、こうして会っては雑談をしているのだ。今日はイヨさんが訪問している。オレの部屋にイヨさんが来る予定だったのだが、待ちきれなくてロビーまででてきてしまった。受付に手続きは済ませてあるので、受付嬢に軽く会釈をしてイヨさんと来客用のエレベーターに乗る。
三階にある男子寮の一番はしっこにオレの部屋がある。イヨさんをそこまで連れていき、そして部屋の中に入れた。まあ、今日もやることといえばイヨさんと雑談したり一緒にケーキを食べたり、くらいだろう。オレはそれで十分楽しいから嬉しい。
「お土産だ、ソラ。ここに来る途中のケーキ屋で見つけてな。限定のモンブランらしい」
「おお、美味しそう。すごいね、これ苺だよね? よく熟れてて赤い」
「そうなんだ! あまりにも美味しそうで、気が付いたら買っていたんだ」
「はは、ほんとうにイヨさんは甘いものが好きだね。オレも大好きなんだけど。……あ、紅茶でいい? インスタントしかなくて悪いけど」
「こちらこそ恐れ入る。それで十分だぞ、ソラ」
凛とした、しかしどこか少女らしさの見え隠れするイヨさん。まったく、オレの心臓をどうするつもりなんだ、彼女は。このままでは壊れてしまうではないか。イヨさんが優しく微笑むと、心臓が高鳴って顔が熱くなる。赤面した顔を隠すためにオレはインスタントの紅茶を用意しに行った。いまはイヨさんを笑顔にするのはモンブランだが、いつか絶対にオレでイヨさんをいっぱいにしてからその笑顔を浮かべてほしい。その笑顔の原因がオレであってほしい。
いつか、ではない。今だ。今ほしい。イヨさんの笑顔が。いや、イヨさんが。
(待て、待て。少し落ち着こう……)
はあ、と息を出す。早いよ。イヨさんを困らせる。ああ、でも困った顔のイヨさんをこの手で生み出してみたい。
いや、いやいや、だから待てって馬鹿。
でもオレには時間がない――。
「イヨさん、できたよ」
「すまないな。ありがとう」
「いいっていいって」
イヨさんに紅茶を出し、テーブルについてからモンブランに手を着けた。それを口に運ぶとふわっと広がり、とろりと溶ける。甘さが広がるその感覚はまさに絶品。くどい甘さはなく、むしろあっさりとしている。
「……っ美味しい」
「んー、確かに美味しい!」
まるで我を忘れたかのようにイヨさんは頬に手を添えた。まるで頬が落ちないように手を添えているようにも見える。モンブランはおいしいが、そんなことよりイヨさんがかわいい。ついさっきまでモンブランの美味しさに満たされていたのに、今ではイヨさんに満たされる。
イヨさんはパクパクとモンブランを食べ進め、オレもモンブランを口に運ぶ。
「……あ、イヨさん。口にモンブランがついてる」
「む? どこだ?」
「右だよ、右」
「……む」
「違う違う、行き過ぎ」
「ど、どこだ?」
「ああ、指が下に……。オレが取るからじっとしていて」
「たのむ」
一瞬、口で直接とってしまおうと前に屈んだ自分を制した。だめだろ……、さすがに……。いや、でも、少しくらいは……。
そうして迷っているうちに、いつのまにやら、イヨさんが「おお、ここか」と自分でモンブランをとってしまった。馬鹿だオレ。本当に馬鹿だ。チャンスだったのかもしれないのに。
モンブランを指で掬ったばかりのイヨさんの手首を掴んだ。そして強引にその指を口に含む。指からモンブランの欠片を絡めとり、それだけでは足りないと、舌が指先を這う。
「ふふ、くすぐったいぞ。ソラ」
そう言われて口を離した。オレは頭を抱えた。今の舌は、そういう意味で指先を這った。なのに、くすぐったい、だと?
まさかイヨさん、ド天然――。
「私の指についたモンブランをも食べたいほどモンブランがうまいのか? 気持ちは分かるが、私も食べたかったぞ」
「――」
「そら、ソラのモンブランから一口もらうからな」
「……どう、ぞ……」
おいおい、嘘、だろ……?
いくら同性とはいえ……、まさか、本当にイヨさんって、手がつけられないほど天然だったりする?
「やっぱり凄く甘い! 美味しい!」
イヨさんは笑顔になる。
そして、欲がでる。
上等だ。どんなにイヨさんが天然だろうがなんだろうが――絶対にこのオレが落としてやる。