「それにしても大変なんだな。トリップってさ」


光也は衣服を正して、ポケットから落ちた眼鏡を拾い上げながら呟くように言った。


「え? なんで?」

「見るつもりはなかったんだけど、その、腕、見たんだわ。俺ら」


私の腕? なにかあったっけ? そう思って右腕の裾を捲ってみて納得した。

数多の傷痕のことだ。
トリップ中に傷痕がのこる大怪我をすることは珍しくない。こんなの身体中にある。これらはすべて智雅くんに出会う前、私が一人でトリップしていた頃に付いたものだ。今では顔や首、手など服から出るところは智雅くんに傷痕を消してもらってるし、今もたまに智雅くんに消してもらっている。


「これは、内側がトゲになった手錠で引き摺られた時の傷痕」


私は左腕も捲って、手首にある傷痕を指した。
光也と瑞季が顔を歪める。


「これは腕が切断されたときの傷痕。あの世界は変な医療技術が発達していて、断面がミンチになるくらいグリグリ押し付けられて繋ぎ止めたの。だからちょっと肌がボコボコしていて汚いかな」

「……」

「これはフォークとナイフで刺された痕。食べられそうになったの。これはイバラで擦られた痕。これはカラスにつつかれた痕。これは杭で打たれた痕。これは……、キリがないね」

「……」

「……全部覚えてるつもりだったんだけどなあ。ここやここ、なんの痕だったのか忘れちゃった。最近はトリップが少し楽しいの。それまではただ嫌で嫌で仕方がなかったんだよ。忘れちゃうくらいの傷痕なんて……。だから、私の傷痕を見たところで罪悪感なんてなくてもいいんだよ」

「でも、辛いんじゃねえの?」

「それはもちろん。私、智雅くんみたいに強くないから全部を楽しいとは思えない。たしかに辛いし痛いし苦しいし死んだ方が楽なんだろうって思うけど。……まあ、トリップってそれだけじゃないから気にしていないよ」

「フン。何が気にしていない、だ。貴様の世界観がそんなに明るいわけがないだろうが」


腕を天井に掲げていると、山田さんがさも当然のように部屋に入ってきた。しかも第一声がそれだ。光也も瑞季も突然の侵入者に驚く。私も驚いていた。ぽすんと布団に下ろした私の腕が沈む。傷だらけの腕を見ながら山田さんは着物の袖に手を入れた。
そういえば山田さんが私の腕をこうして見るのは初めてだったと思う。


「なかなか見映えのいい腕をしているな。小娘」

「ありがとう。嬉しくないけど」

「それは貴様が人間として生きるために足掻いた痕だ。消すにはもったいない美しさだな」

「……」


しばし時間を頂戴したい。


「……ぅえ?」


美しい? は?


「山田さん……、首が二本になって頭がおかしくなったの? 大丈夫? あの、智雅くんに診てもらったら?」

「殺すぞクソガキ」


山田さんに殺意を込めた瞳で見られたので私は押し黙った。
「お前を美しいとは言っていない」と続けざまに言われて私は袖を静かにおろした。山田さんは首が二本になってもやっぱり山田さんでした。それはもう、悲しいくらいに山田さんです。


「きゃー、セクハラー」


智雅くんが目撃者として戻ってきた。山田さんがこの世のものとは思えない鋭い目付きで振り返る前に智雅くんは引っ込んで、明の名前を呼びながら離れていった。ここに山田さんを置いていかないで。ついでに連れていって。山田さんめっちゃ怒ってるから。