そこは地獄への入り口なのではないかと錯覚してしまいそうだった。大蛇、大蛇といっても目の前にいるのは伝説のヤマタノオロチ。神話上にも登場した次元違いの怪物。日本神話を知らない人でもヤマタノオロチの名は聞いたことがあるほどの高い知名度を誇る――神。
「スサノオの糞野郎のせいで。まさかこんなことになろうとはな」
山田さんはため息を溢す。山田さんを見上げて、私は目を疑った。山田さんの目が、真っ赤なのだ。泣きはらした赤ではない。瞳が真っ赤に爛々と輝いている。大蛇と同じ色だ。
まさか、山田さんの――いや、ヤマタノオロチの封印が……?
「おーい、葵ちゃーん」
私が山田さんに連れられて大蛇の目の前へ移動したせいで智雅くんたちとの距離は離れてしまっていた。智雅くんが両手を大きく振りながら大声を放った。
「だーいしょうぶー?」
いまだに首を絞められたままであるため、私は片手を挙げて無事であることを伝えた。
私は知らなかったが、智雅くんはこのとき、山田さんが何をしようとしているのかを理解していた。明と光也に手を引かせると、彼らのもとへ行き、私と山田さんの様子を見ていた。
「……智雅、あの大蛇は異次元のモノじゃないのか」
「うん。召喚術の接続先である異次元とは違う。あれも異世界の大蛇。しかも神格だよ。ただの異能者にはどうしようもできない。ま、異能者じゃなくても人間ならどうしようもできないんだけどね」
「神格か。俺でもまだ数柱くらいしか召喚できねーや」
「光也にーちゃん、それ、かなり凄いことだからね。召喚師の超名門の中神家じゃ普通なわけ……?」
「でも神格なら、山田と葵がどうにかできるのか? 危ないんじゃねーの?」
「大丈夫だよ。山田と葵ちゃんだからね」
智雅くんからそんな絶大な信頼を寄せられているなどまったく気が付かないし、今の私はそれどころではなくなっていた。絞められたままの首ではなく、なんだか、酸素が足りない。肺に空気が入ってこない。大きく呼吸をしながら私は山田さんのが腕を掴んだ。
「や、まださ……ん」
「封印の要は貴様だ。しっかりしろ。さもなくば、ここにヤマタノオロチが現れて鏡面世界を滅ぼすぞ」
うわ、冗談には聞こえない。 大蛇は相変わらず山田さんを見ているだけだったのだが、不意にその鬼灯の眼が私を向いた。私はまるで氷のように呼吸を忘れてた動けなくなった。なに、なんなの、なんで私をみているの。なんで私は動けないの――。
「……っかは」
息が出来ない。私の首に巻かれた山田さんの太い腕に救いを求めるようにして掴んだものの、やはりこの神様はなにもしない。一体私の体のなかでなにが起きているのだ。ただ、大蛇に見られているだけなのに。睨まれているわけでもないのに。どうして。なんで。
「っ」
呼吸という呼吸が、一切できない。 酸欠で死ぬ……。
「葵」
ふと、山田さんに呼ばれた。山田さんのほうを見上げる余裕なんてないのに、見上げてしまう。
「お前は人間ではない」
そんな真実をなぜこんな時なんかに。
「その正体を追い求めろ」
呼吸が戻った。
「っはあ、はっ――。はあ、げほっ」
山田さんの言霊か、私の体は山田さんの言う通りに動くようになる。呼吸の自由が唐突に戻って、不意にむせた。行き交う空気が私に正常を取り戻させる。
「この程度で狼狽えてどうする。生娘。生け贄にするぞ」
「それは勘弁っ」
「いいか。よく聞けよ、娘。俺は今から俺を取り込む。彼奴もそう願っているだろう。同じ目的だが、一つ相違がある。彼奴は俺を封印を解こうとしている。俺は封印を解こうとしていない。よって」
「よって?」
「気が済むまで戦う」
「え!? あの大蛇も山田さんでしょ!? 話し合うとか、落ち着いて解決できないの!? 鏡面世界が滅びる!」
「が、その前に貴様が捲き込まれて死ぬだろう」
「えぇ!?」
「はっ、俺はヤマタノオロチだぞ。大人しく話し合えるか。それもこれも全部、スサノオの糞餓鬼のせいということにしておけ」
山田さんは急に私の首を離すと、私の腹をわきではさんで抱えた。ぐえっ。 ちょっと、まさか私を抱えたまま大蛇と戦うの!? 智雅くんと明と光也の安全地帯に連れていってくれないの!? まじで!?
「……誰か助けて……」
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