「今、鏡面世界から現実世界に帰ってきたんだよ。んで、ここは現実世界の明ねーちゃんの住んでるマンションの一室。1世帯分の広さだから一人暮らしの明ねーちゃんには広いかな。前、俺は――まあ本体の方だけど――ここで居候してたことがあるんだよ」


私と山田さんに聞こえるだけの音量で智雅くんが語る。なるほど。この場所の最低限の情報とちょっとした情報は理解した。しかしまだ訳のわからないことだらけだ。智雅くんと明たちの関係が掴めないのもそうだし、鏡面世界のあのクレーターのようなものに関してもわからない。
……なにより、なぜか私は落ち着かないのだ。胸が騒がしい。なはにか不吉を予感している。それなのに、それと同時に全身の力が抜けてこのまま眠ってしまいそうな安心感まである。矛盾したなにかが私のなかにあったのだ。


「えーっと、まずは俺と明ねーちゃんたちの関係と、俺と葵ちゃんたちの関係が互いに知りたいよね」

「ああ。わけがわからん。だってツバ……、じゃなかった。智雅ってついこの間『旧友に会いに行く!』っつって明ん家を飛び出したばっかじゃん」


床に敷かれた座布団の上にあぐらをかいて光也はどかんと座る。瑞季のすすめで私と山田さんは定員三名のソファに座り、明、瑞季、智雅くんは座布団の上に座った。明は座ったあと慌てて立ち上がって全員分のジュースを用意してくれた。


「んー、ややこしいからまず俺と葵ちゃん、山田のことから説明するわー」


それから智雅くんは私たちとトリップしていることについて話をした。異世界を渡る謎で迷惑な体質をもった私。面白がって着いてきた智雅くん。ヤマタノオロチの山田さん。私はトリップ体質が何なのか、どうしたら治るのかが知りたくて、山田さんは元の姿に戻ることが目的で旅をしているようなもの。今回のことで異世界のトリップだけでは済まされず、時間軸まで超越していることがよくわかった。などなど。大まかで抽象的ではあるが、智雅くんは私たちの状況をつたえた。すると明たちは納得してくれたのだ。まさかこんな突飛な話を信じてくれるとは思いもしなかった。驚いた。


「シナリオがどうとか、ってのもあるけど、智雅がツバサじゃないのは時間軸が違うって方が大きいのかな?」

「そそ。てかまだ健全な本体がこの世界にいる時間軸だと俺ってまだつくられてないし。葵ちゃんのトリップ体質のおかげでツバサのそっくりさんがフラリと立ち寄っただけだよ」


続いて智雅くんは私たちに明たちのことについて説明を始めた。


「明ねーちゃんたちは俺の……、そうだなー、友達、家族、同志、仲間、恩人なんだよ」

「う、うん……? つまり一言では表せないってこと?」

「そういうことかな。俺がまだシナリオなんか無い時、てか俺がまだ生まれてないときに知り合ってね。本体が、だけど。……もう二度と会えないと思ってたから、つい感銘しちゃった」


智雅くんの言葉は少なかった。
しかしそれだけで済まされない深い関係であることは感じ取れる。たとえこの第六感がなくても。私にはまだ深い関係になった人物などいないのだろう。だから智雅くんが明たちと再会した喜びも感動も知らない。智雅くんの表情を、この柔らかな声音を、どう解したら良いものかわからない。どのような言葉を使って智雅くんを理解すればいいのかわからない。

この世界はどの異世界よりも遥か彼方の昔の世界。この文化は知っている。私の世界と極めて似ている。ほとんど同じだ。しかし、ここはずっと、ずっと昔の世界なのだ。これからどうやって歴史を編んだのかわからない。きっと智雅くんにしかわからないだろう。
こんな過去の世界に私たちはやってきた。そしてそこにはシナリオを知らない智雅くんの本体がどこかにいる世界で、そして、明たちに出会った。

奇跡か、偶然か、運命か。知るよしもない縁が私たちを繋ぎ合わせたのだった。


「ここは過去、ずっと過去。世界が分岐する前。……ねえ、明ねーちゃん。鏡面世界で何をしていたの?」


今、歯車が加速したことを私は知らない。

煙草をふかしている山田さんはただ無言でこの世界を見ていたのだった。