智雅は、葵が学生鞄から酒瓶を取り出した音と、彼女と山田の会話を静かに聞いていた。こぽこぽと盃に注がれる酒の音と小波の音が耳を癒している。ただ暗い闇の虚空を見つめたまま智雅は考えていた。
シナリオのことを。


「……」


ただ無言で思考を巡らせる。

次の世界のシナリオがゴッソリないのだ。白紙というわけではなく、ノイズまみれで何が綴られているのかわからない。次の世界でどうしたらいいのかわからない。シナリオがなければ何かが被害に遭ってしまう。自分であれ、他であれ。
傷つくことに良心が痛むわけでも罪悪感をいまさら感じることのない智雅であったが、シナリオを楽しむことを忘れられずにいた。――なにより、シナリオに従わなければ自分が存在する意味がない。シナリオに背いていればいずれ“本体”に消される。楽しみを失いたくない智雅からしてみればシナリオに背いて良いことなどないのだ。

しかしやはり、本体の全てを綺麗に継承した智雅からしてみれば、今の状況を知ってしまった“彼女”をかなしませたくないのが最も優先される一番の理由だった。


(――っ)


シナリオ通りなら、智雅は本来眠っている。むせかえる血の香りに耐え、虚空にそっと別れの挨拶を唇で表すと瞳を閉じた。
耳に葵の「え? 私、人間じゃないの?」という声が届く。智雅は意識を手放した。





翌朝、私はテントの中で目を覚ました。昨晩は山田さんの酌をして、結局寒くなってテントに戻ったのだ。寝息をたてる智雅くんは暖かくて、彼の手を握ったまま眠ってしまった。そのため、目を開けると。


「おっはよー、葵ちゃん!」


と、元気のよい智雅くんがいつまでもいたのだった。


「智雅くん? ……おはよ。って、あ! ごめん!」

「いーよ、いーよ。葵ちゃんが暖かそうでなによりでした!」

「本当にごめん。お世話になりました。……朝食のリクエストをどうぞ」

「やった! 目玉焼きとソーセージとパン! 卵がそろそろ期限きれちゃうよね?」

「おっとそうだった」

「ここ最近、非常食ばっか食べてたから、今朝くらいちゃんとしたごはんを食べようね」

「はーい」


返事のよい言葉を返すと、智雅くんは笑って、テントの外へ鞄をもって出ていった。調理器具を智雅くんが準備してくれる間に私はテントの中で体操着から制服に着替える。
外に出ると昨日の広い海原が嘘のようにひいていた。丘の下には相変わらず瓦礫が広がっている。


「ちょっと焦げ目、焦げ目っ」

「はいはい」


私が調理している間、智雅くんは横でそんなことを言っていた。
ちなみに山田さんはというと、ずっとあぐらをかいたままうたた寝をしている。手には煙管を持ったままだ。


「智雅くん智雅くん。山田さん起こしてきてくれる? 盛り付けはやっちゃうから」

「でも山田、人間専門らしいじゃん?」

「水くらいは飲むんじゃないかなって。智雅くんは紅茶?」

「うん紅茶」


智雅くんは山田さんを起こしに一旦離れる。そして私は盛り付けの最中、トリップの前兆を感じ取った。
この世界は寄り道みたいなものなのか、以前の二つの世界のように目的あって行動し、区切りよくトリップするわけではないようだ。

――不意に、山田さんの言葉が脳裏を駆けた。

“お前はまず自分が何なのかを探るべきだ。人間なのか、化け物か、それ以外の何かか。”


「っ、智雅くん、山田さん、トリップ!」

「えっ!? うっそ、まだ葵ちゃんのごはん食べてない!!」

「ああ? 朝から騒がしい」


智雅くんはスライディングをするように食卓(岩のテーブル)につくと、目玉焼きとソーセージを頬張る。口を一生懸命動かしながら次はパンを放り込むと慌ててテントを片付け始めた。そしてやはり、山田さんはなにもせず水を飲んでいる。私はパンに目玉焼きを乗せてソーセージと一緒に食べながら使用器具を片付けた。もう唐突のトリップには慣れたので手際はいい。

そしてすべてをなんとか片付けると、私たちは慌てて手を繋いだ。