「……」



傷を意識するほど手首は激痛になっていく。
痛い。痛い。本当に痛い。ちょうど動脈が切れる程度の傷が、本当に痛い。智雅くんは私の鞄を持っていて、私の怪我を近付いて確かめると中から瓶をだした。傷口を瓶の口に押し当てられる。やさしく握られた腕は、もうほとんどの感覚がなくて。実際にはやさしく握られていないのかもしれない。



「智雅くん、これは……?」

「あの大蛇の口に放り込もうと思って。本当はこの瓶の何百倍の血がいるんだけど、まあ、今回は仕方がない。俺が複製するしか……」

「待って待って智雅くん。……まさか本当にあの大蛇を封印するの?」

「もちろん。初めからそのつもりだよ」

「な、なんで? 世界の運命に関わらないって決めたじゃない」

「そうだね。……まあ、確かにそうなんだけど、そのルールを破ると死ぬわけじゃないし。それにあの大蛇、頭は一つだけど確かにヤマタノオロチ。葵ちゃんの目的を達成するためにもあれは欲しい」

「……欲しいって……?」

「葵ちゃんの目的はトリップ体質をなんとかすること。それはただの異能者である俺にはどうしようもない。だからあの神に協力して貰いたいんだよ」



まあ、上手くヤマタノオロチを説得できるとは思えないんだけど。
と苦笑する。
瓶に十分血が溜まったようで、智雅くんは不死の力で私の怪我を一瞬で完治させてしまうと、キュッと瓶を占める。地鳴りを背景に智雅くんは不老不死と適応能力以外にめったにつかわない魔術を使い始めた。

私はただそれを見守る。私の血が入った瓶は増える増える増える。智雅くんはなんだか英語っぽいことを呪文として発している。
はじめは冗談のようなもので智雅くんはあの大蛇を封印すると言っていたのだと思っていたけど、ここまで来ると本気だ。

大蛇はすでに、最後の楽園をであった村を食べ始めていた。村の方向から様々な人の悲鳴が響き渡り、関係のない位置にいる私でさえ背筋が凍る。あれは、あの大蛇は、本当に、この世を蹂躙している。悲鳴がどこか気持ちよさげで、鬼灯の瞳が時折細くなる。ダラダラと血を流し、長い舌に人間を絡めて、鋭く尖った歯で刺し殺す。あの村にどれだけの人がいたのだろう。死んだのは何人か。生き残っているのはあの何人か。この世界にいる人間は、もう私たちだけなのではないか――?



「葵ちゃん、酷なことをいうけど、一瞬だけ囮になって」

「そうしないとあの大蛇がこっちに注意を向けないんでしょ? いいよ」



世界を救う、なんてことは考えていない。
私の、この、忌々しいトリップ体質なんていうふざけた体質をどうにかするために。



「ありがとう」



智雅くんは微笑む。
彼を囲うようにずらりと並んだ赤い瓶はカチカチと音を鳴らして震えていた。今度は智雅くんが地面に幾何学模様を描く。これは一つの記号で、傀儡師の力なんだとか。森が一斉に騒がしくなり、強い風が吹いた。みるみるうちに雲行きは妖しくなる。
この世界を覆い隠すような厚い雲が私たちの上空から発生した。