ドスン。

その音が初めて聞こえたときは、とくに気にしなかった。

ドスンドスン。

次第にそれは足音なんだと理解する。

ドスンドスンドスン。

同時に家具が揺れる音。そしてやちよちゃんの息が乱れていく音が耳にはいる。彼女は慌てて私に寄ってくると、私の手を両手で握った。やちよちゃんの手は手汗で濡れている。カチカチという音は歯を鳴らしているのだろうか。
ドスンドスンという音は次第に大きくなっていく。比例してやちよちゃんは震え「やだ……。こわいよ」と声を漏らした。
怖い? それは一体……?

そして突如、足音だったそれは地震になった。全部を、全部を揺らし、家具が崩れる。さすがに私も驚いて目を開けてしまった。

「あっ、葵ちゃ……」

すぐ傍にいたやちよちゃんは目を赤くしていた。ずずず、と鼻をすすり眉を下げている。見た目相応の幼い少女がよく見せる泣き顔そのものだ。

「……。……どうしたの? どうして泣いてるの?」

少し悩んだが、事情を聞くことにした。
もしかしたら私をここに連れてきた理由を聞き出せるかもしれない。

「ごめん、ごめんなさい。葵ちゃんを、守りたかったのに、こんな場所に連れてきちゃったから……」

ぽたり、ぽたりと涙が溢れる。私は耳を疑った。

「守りたかった……? なにから」
「……あの、魔物たちから……」

やみよちゃんの濡れた瞳が私から外れた。彼女が見ているのは、扉。木製の引き戸らしい。らしい、というのも、よく見えないのだ。扉の前にはたくさんの家具が塞ぐように鎮座している。
あの扉の向こうに、なにがいるというのだ。

再び、地震のようなものが響いた。

「や、やだっ! やだったら!! もうやめてよ、どこかに行ってよおおっ」
「まって、やちよちゃん。落ち着いて」
「やだよおおお、毎日、毎晩! もう嫌! 私、なにもしてないのに! なにも、悪いこと……! どうして、みんな私を嫌うの!!」

地震は激しくなる。
やちよちゃんは私の手を握ったままパニックに陥ってしまって、ただ泣き叫ぶようになってしまった。
どうすることもできず、しかし地震はやちよちゃんに呼応して大きくなるばかり。
私は一生懸命、やちよちゃんを宥めるが、その効果はあまり無いように思えた……。

「葵ちゃんが連れ去られたと思ったら、今度は智雅まで迷子になっちゃって……!」
「この森は生物を惑わす。無理もないな」
「そうね、行方不明になったらしい人の屍もたくさん見たもんね。……いや、今はそんなことより葵ちゃんだよ! ぶっちゃけ智雅はどうにでもなるから、葵ちゃんを探さなくちゃ」
「ただですまないだろうな」

ざく、ざくと夜の森を進むのは山田とメアリーの二人のみ。葵がさらわれたあと、智雅を含めて三人で捜索していた。しかし智雅までもはぐれてしまい、いまや二人きりとなってしまった。

「うーん、使い魔たちの捜索も無駄みたい。使い魔たちが迷子になっちゃってるわ……」
「しょせん使い魔か」
「そう厳しいことを言わないで。省エネって大事だよ? げふっ」
「呆れた女だ」

吐血をしたメアリーを見下し、山田はタバコをくわえた。木々の間から見える夜空を眺め、煙を吐く。

「……ところで」

山田は満月を眺めながら、隣にいるメアリーに話しかけた。

「クソガキはシナリオとやらの正体を知らない様だったぞ」
「え?」

ハンカチで血を拭い、使い魔たちの反応を伺っていたメアリーは、唐突の話題に真っ赤な瞳を見開いた。
抑揚のない山田の言葉は続いた。

「むしろ、正体について考えたことがあるのか妖しいくらいだな」
「えっ、智雅が!? ゴフッ。そんな、だって、彼は、本当は……。彼こそが……。い、いえ、正体を知らないはずがないわ」
「事実、そうだ。お前は知っているようだな」
「それはシナリオで演じてて、あなたは騙されてるんじゃ……」
「たしかに可能性はあるが、俺はそうとは思わん。本当に気付いていないようだぞ」
「……だとしたら、大変なことよ。シナリオの意味を知らないなんて。トリップしてる場合じゃないよ。でも、このことを智雅に話したら、きっとシナリオなんて無視しちゃう。あれ、でも、待って。このトリップはそもそも上書きの最中だから……」

ブツブツとひとりごとを言い、考え込むメアリーを視界の端に追いやり、山田は肩を落とした。

「どちらも、時間の問題だろうな」

そう、葵と智雅の姿を脳裏に浮かべた。