時刻はいまだ正午ということで、私たちは暗くなる前に一度湖を見に行くことになった。メアリーさんもニコニコと笑顔を浮かべて着いてきている。

「この雑木林、魔物が住んでるから気を付けてね」
「言うの遅いよ!」

私は現在、全長三メートルある巨人に片足を掴まれていた。逆さに持ち上げられ、必死に下着を隠しながら叫ぶ。
茶色の薄毛を纏ったその巨人は頭部はワニの形をしているのに体は人間。ワニのくせ鱗はないし、グルグルと唸るばかり。

「た、助けて」

頭に血が上って、意識がふんわりと浮かぶ。智雅くんが拳銃を取り出したのが見えた。と、思った矢先、この巨人は私の体を地面に叩き付けた。そのあまりに唐突にやって来た激痛を、私は激痛だと気が付くことはできなかった。なにか衝撃があった。そんな漠然とした感覚を得たまま意識を失ってしまった。



全身が痛くて目が覚めた。
呼吸するのが痛くて、まぶたを開けて目玉を動かすことしかできない。
全身のすべてが、とにかく痛い。

「あっ!」

幼い少女……の、声が至近距離でする。

「起きた? 起きたのね? 起きたよね! わあ、綺麗な瞳!」

いまだぼやけていた視覚を叩き起こし、目を擦る。ぼんやりしていた視界は次第に働きはじめ、目の前にいるのが何なのか認知することができた。
目の前にいるのはやはり少女だ。
おかっぱの黒髪と蛇のような黄色の目、真っ白な肌。頬の部分だけほんのり桃色。おそらく紅を塗っていないだろうが、それでも唇は赤く色付いている。長いまつげと丸く大きな目がぱちくりと私を見ていた。
呆然としている私を少女はにこにこと笑いながら見ていた。

「……えっと」

痛みなどそっちのけで驚いてしまう。というか、どういう状況だ。さっき理不尽な暴力に遇ったばかりだと思うんだけど……。

「大怪我してるよね、大丈夫? あとで薬を持ってくるよ。その前にあなた、名前は? わたしはややちよ!」

少女を視界の中心から外し、周囲を見ることにしていた私の顔を小さな手が押さえ付けた。ろくに情報がないなか、抵抗する術などない私は痛みに耐えながらも答えることにする。

「……私は花岸葵。あの、いろいろ聞きたいんだけど」

というか薬より智雅くんを連れてきてほしいのだけど。
目の前にいるやちよちゃんという美少女の外見といえば智雅くんより幼く、およそ10歳前後だろう。
しかしその外見に見会わず言葉巧みに私を無視した。

「お腹すいてない? お味噌汁つくってあるんだー。食べる? おかゆも作っちゃうよ。あーんして食べさせてあげるね!」
「……あの」
「わたし、決めたの!」
「……私の話を聞いてほし」
「あなたと結婚する!」

名乗ったのに一言も名前を呼ばないこの美少女は今、なんと?

「はい?」

思わず、周辺状況を確認することを忘れてしまった。美少女は屈託のない酷く純粋な笑顔を私に向けたまま、もう一度、宣言した。

「あなたと結婚するっ!」

呆気にとられる私の頭を固定していた小さな手はするりとほほを撫でた。ぞわぞわと寒気がする。
何を言っているのか。
出会って会話したばかりだろう、というかほぼ初対面じゃん。という常識的なことや、同性であることや年齢的にもキツいと思う。ていうか私ってまだ結婚できる歳じゃないし。

そもそも結婚云々よりも、ここはどこ!
私は巨人に叩き付けられたあとどうなったの!
智雅くんたちはどこ!

それらを総合して私は宣言したばかりの美少女やちよちゃんに一言だけ呟いた。

「……帰りたい……」