メアリーさんの家に着くまでに違和感のあるものを何度も見た。奇病にかかる人間しかり。道のど真ん中に立つ中背の木。わざわざ店の出入り口を塞ぐように張り付く苔。ゆりかごを呑み込む二つの大きな石。
これは元々人間なのだとメアリーさんから聞いたとき、ゾッとした。背筋を走る寒気が気持ち悪かった。
メアリーさんの家は町外れにあるきれいに整えられた二階建ての家。こじんまりとしたサイズだが一人暮らしをするには心寂しいだろう。

「ひとまずお茶でも飲んでて待っていてくれる?」
「あ、手伝うよ。メアリーさん」
「いいのいいの。大丈夫。智雅みたいに料理下手なわけじゃないんだから」

まあまあ、と言いながらメアリーさんは立ち上がる私の肩を抑える。リビングに置いていかれた私はしばらくキッチンの方角を見ていたが、トントンとリズムのいい音が聞こえてくると腰を落ち着かせた。

「んじゃあ、さっそく情報整理しよう」
「メアリーさんの? それともこの世界の?」
「この世界だよ。そんなにメアリーが気になる? 俺とおんなじだよ」
「メアリーさんについてそれだけしか教えてくれないから気になるよ……」
「んじゃあ、この世界に山田の首があって、それが奇病の原因って話だけどー」
「ああ、無視するんですね」

話はすでにこの世界を救済することが前提だ。山田さんいわく、私にかけられた呪いはトリップの妨げになるものだという。山田さんはいつも以上に無口で、それ以上を聞き出すことはできなかった。

「まずは山田の首を探すところから始めないと。世界を奇病から助けるなんていうのは、同時に発生する影響。俺らは首のためにどうにかしなくちゃね」
「でも首ってどこだろう?」
「そこ、そこだよ! その手綱は山田が握ってるわけなんだけど……」

智雅くんはバンバンとテーブルを叩いて山田さんを睨む。山田さんは口を閉ざしたまま、眉間にシワを寄せて首を横に振った。

「この世界にいるのは数多の神だけではない。うまく気が読めん」
「……。私、山田さんってなんでもできるんだと思ってた」
「小娘は日本神話をしっかり読んでおけ。人間臭いばかりで、お前らのおもうほど神々しくはないし万能なぞありえん」

山田さんは時々、こうやって偉そうにふんぞり返ることをやめるから戸惑う。私は腕を組んで体ごと首を傾けた。

「こうしてメアリーの家に居座るわけにはいかないからどこか目的地を捜さなくちゃねー」

智雅くんは行儀悪くテーブルに足をひっかけた。部位は膝であるものの、やっぱりお行儀悪いです。ぺしり、とその足を叩いたのはメアリーさんだった。

「私、いい情報を持ってるよ」

そう言うメアリーさんの手には短時間で作られたとは思えないピザとコールスロー。そして彼女の口の端からみえる赤い血のあと……。また吐血したみたいだ。

「ごめんね。昨日の残飯処理を手伝ってもらっていいかな?」

キッチンに目をやるメアリーさんのあとを追うと、そのキッチンから全長一メートルのトカゲがペタペタと足音を立ててやって来ていた。背中に乗せた五種類のパスタは湯気を吐いて、胃を刺激する薄いにんにくの香りを放っていた。が、その絵面に私は、ひっ、と喉の奥から声を漏らした。
いや、だって、トカゲ、大きい……。全体的に灰色、目は金色に爛々と。グリグリと動く目が私と合うと、ペロリと舌を出した。私はテーブルなど構わず横断して智雅くんと山田さんの間に潜り込んだ。山田さんが舌打ちした。

「あらら。驚かせちゃった? 猫にすれば良かったかしら」

でも猫は大皿を運べないからなー、と言いながらメアリーさんは足元まで寄ってきたトカゲの背にのったパスタを受け取った。テーブルに乗せられたその大皿はどう見ても四人前とは思えない量。
くるくるときれいに円を描くパスタはどれも美味しそう。
ごろごろと牛肉の入ったミートソースは、秘められたトマトの香りが鼻腔をくすぐる。イタリア語で「木こり風」の意味があるボスカイオーラはきのこがふんだんに使われている。カルボナーラにはとろとろのクリームソースが絡まっていて、たらこスパゲティにはつぶつぶのたらこが。ペペロンチーノは鮮やかな唐辛子がふりかかり、にんにくの犯人は主にこれだった。

「葵ちゃん。メアリーは魔術師なんだよ。たしかに不老不死で異能者なんだけど、メアリーが得意なのは魔術」

魔術師っていっても俺の使う魔術とはまた違うんだけどね。という智雅くんに便乗してメアリーさんはいい笑顔を浮かべた。口もとに付着した血はそのままだから、たぶん気づいてないんだろうなあ。

「そう、私が特に得意なのは黒魔術よ」

私は目の前に出されたパスタとピザとコールスローに毒が入っていないか全力で疑った。