幾重の幸運が大成し、偶然にも白先輩の意識が飛んだ。その彼の首へ、私はナイフを降り下ろして刺し込む。グチグチと音をたてるそれで気管を切断し、動脈を切った。


「――」

「……え?」


白先輩を殺した私は黒先輩と赤先輩を見た。どうにも、彼らは私が白先輩を殺したという現実が受け入れられないようだった。それは私がやった、ということよりも目の前で起こった殺人に対して驚いているようにみえる。
この人たちは武器を持つという意味を果たして理解していたのだろうか。その手に持つものが人を殺す道具なのだとわかっているのだろうか。殺す気がない、なんて、そんなものは武器を持つ人が抱いていい感情じゃない。

私はナイフに付着した血を白先輩の制服でぬぐったあと、一呼吸おいて立ち上がった。呆然としている赤先輩は置いておいて、みるみるうちに鋭い表情になる黒先輩と対峙した。幸運が続いていますように、と祈る一方で智雅くんに仕込まれた体術を思い出す。構える私を見て黒先輩は苦笑いを浮かべた。


「はは……。なるほど。葵もただの素人ではなかったということか。ならば私も応えるとしよう」


ああ、やばいかも。
真っ先に思ったのはそれだ。私はきっと、黒先輩や白先輩、赤先輩よりもずっと修羅場を潜ってきた。が、戦闘面においての経験は修羅場に比べて少ない。一方的に殺し、殺されかけることは散々あるのだが、殺し合いを渡り合った経験は少ないのだ。
拳が力む。私は私の力で切り抜けると決めたんだから。


「しょせん、この世界は夢の中。私やそいつらがここでくたばったとしても死ぬ訳じゃない」

「……黒先輩、知ってたの」

「ああそうさ。知っていて、あの神様に協力した。ここは私の夢とする平和に近い。元の世界では売国奴のせいで私の愛する祖国が血で汚されてるんだ。そうだな、大袈裟に言えばここは私の理想郷だ」


やはり大袈裟だな。と黒先輩は自嘲してわらう。少し、悲しい表情が見え隠れしたのは今の惨状が黒先輩にとっての理想ではないからだろうか。


「この理想郷を保持するために私に置物になれっていうの?」

「待遇は良くしよう」

「……そういうことを言ってるんじゃなくて」

「分かってる。どうか踏みとどまってほしいんだ。素直に言おう。私たちのために犠牲になってくれ」

「なら私だってはっきりいう。夢は理想であるから美しく憧れる。無理に叶えた夢なんて滅びるのが道理よ。大人しく現実に戻るべきだよ、黒先輩?」

「手厳しいな」

「夢は崩れ去るものだからね。まあ、目標なら話は別なんだけど」


私は地面を這うように駆けた。動かない黒先輩の首を蹴る。しかし黒先輩はとっさにそれを避けると、私のふくらはぎにナイフを食い込ませた。ぱっくりとわれる肉にお構い無く私は追撃する。着地と同時に飛び上がり、黒先輩の肩に手をついてから背後にまわると、肘を折り曲げて胸の中央よりやや左。心臓の裏を突いた。そのまま手のひらを手刀にして脊髄を叩く。が、その手刀は今まで空気だった赤先輩に防がれた。一旦私は後退する。

案外、赤先輩のショックからの立ち直りが早いなあ。もう私に殺気を向けている。