曇天の開幕
 


煙幕が晴ると、そこには積み重なった瓦礫があった。
落ち着いた理貴と陽香は副委員長が飛び出してきたその瓦礫へ向かう。
瓦礫と瓦礫の間には陳列していた商品が散らばり、散乱していた。きっと何かあり、そしてそこから副委員長が出てきたのだろう。ただの瓦礫にみえるこれらのなかに何かあるのかも知れない。
そうして近付いていくと、次第に誰かの泣き声がすることに気が付いた。

「まさか瓦礫の下に埋まってるんじゃ……!?」

陽香は慌てて瓦礫に駆け寄っていったが、瓦礫を退かすことはなかった。理貴も遅れて陽香の隣に着くと合点する。瓦礫に埋まっているのではというのは杞憂だ。理貴の陽香から見える瓦礫の向こう側に隠れるようにして「彼ら」はいた。

一人は少女。赤い着物と紫の袴。髪は耳の下で二つに纏められた黒髪。目はつり上がっており、鋭い眼光を持っていた。彼女はいま、血の気の引いた真っ青な顔色をしている。それもそのはず。腹からたくさんの血が流れ出ているのだ。それは大きな血溜まりを作り、致命的なまでに出血していた。
一人は少年。黒い学ランに学生帽子。もともと目尻が垂れた目を更に垂らし、ぼろぼろと泣いていた。顔を真っ赤にして、少年は少女の傷口を抑える。彼の身体は震えていた。

「っ」

少年は理貴たちの存在に気が付き、勢いよく顔をあげた。ずずず、と鼻水が出るのを抑え、驚いた感情をそのまま顔に表している。

「り、理貴、ちゆ、治癒を! 血が……っ」

陽香は慌てて理貴の腕にしがみついた。
ぐったりと少年の腕のなかで青ざめる少女はゆっくりと顔をあげる。鋭い目付きは理貴たちを弱々しく睨んでいた。

「……」
「なに、おまえら……。魔術師?」
「そうだけど」

少女は「ふんっ」と顔をそらした。息は細く、今にも意識を手離しそうな少女は唸るような小さな声で明らかな敵意を見せている。
陽香が繰り返す「助けてあげないと」という言葉には少女の顔が歪んだ。

「手助けは、いらない……。失せろ」
「なっ、なにいってるのよ! こんなにも、血が溢れて……! 死んじゃうわよ!」
「あんたらの、助けは……いらないっつってんの……。ほっといて」
「ばっかじゃないの! ――ねえ理貴!」

陽香はより強く理貴の腕を掴んだ。静かに、理貴は怪我を負っている少女を見下ろす。少女は理貴を睨み返した。

「おまえ、黒魔術師でしょ」
「……ああ」

黒魔術師であると見破った少女に理貴は驚く。
初見で魔術師であることは見破れても、その魔術師の専門魔術師を見破られたことなどメアリー以外にない理貴は返事が遅れた。先ほどの戦闘を見られていたのだろうか。しかしあの濃厚な砂ぼこりのなか致命傷を負った少女が目撃していたとは考えにくい。
ほんとうに理貴を黒魔術師だと見破ったとなれば、この少女は凄腕の観察眼を持っていることになる。

「黒魔術師の手は借りない」
「黒魔術師が嫌いなのか? 魔術師が嫌いなのか?」
「……」
「……もしかして、教会側の奴らか」
「私は、魔術師。こんなの、自分でっ」

持ち上げた少女の手を、血で濡れた手の少年が阻止する。

「せんちゃん、だ、だめだよっ、死んじゃうよ……」

ぐずぐずと泣き声に混じって少年が訴えかける。彼は理貴の目をまっすぐ見た。

「黒魔術師さん。代償は僕が払うから、せんちゃんを助けて……! 僕の魔術だけじゃ治癒が追い付かないんだ。助けて……」

少女は少年を睨んだが、強く握られた赤い手を意識すると目を閉じた。
理貴は頷く。『いいのかよ、こんなサービス』と悪魔が理貴に語りかけたが、理貴は「代償はきっちり貰う」と返す。それは悪魔と少年にはなった言葉だ。少年は涙でぐしょぐしょに汚れた顔で頷いた。

腕捲りをし、理貴は漏れた血の溜まりに両手を浸した。
花岸理貴の黒魔術における得意分野は召喚魔術だ。治癒魔術は得意でもなんでもない。火傷やかすり傷でさえ、魔術による治癒を施したところで一日分の時間がなければ完治できない。恐らく、目の前にいる少年のほうが治癒魔術の技術は上をいくだろう。
本来なら手助けにすらならない。
ただ、――そう。理貴が得意なのは、召喚魔術なのだ。

陽香はそのとき、ゾッとした。腹の中からじわりと体温が下がるのを感じ取った。指先まで体温が下がると、首筋に生暖かい息がかかるような錯覚に襲われる。血と肉の混じった独特の息が陽香を硬直させる。陽香は動けなくなった。それは恐怖一色によるもの。
陽香の目には異様な光景が見えていたのだ。

理貴の影に覆い被さる大きく、そこの見えない闇。影にも似た闇は奈落へ繋がる穴のように、世界にぽっかりと空間を空けた。
初めて――陽香は理貴の主契約である悪魔の片鱗を見たのだ。悪魔に相応しい底無しの闇は理貴の影を浸食し、そして少女の血に唇が触れた。
腰が抜けた陽香は、目を離すこともできず、その儀式を恐怖に塗られた瞳で脳に刻み付けた。
つう、と死人のような凍てつく指先が陽香の心臓を撫でたような気がした。