曇天の開幕
『おい、坊主!』
理貴にのみ、悪魔が大声を張り上げた。オムライスの最後の一口を口に入れ、理貴は悪魔に促されるまま窓へ目を向けた。すると、外で爆発音が響いた。強烈な破壊の音に反応して陽香が慌ててベランダに飛び出る。ドアの外で待機させていた黒い狼が吠えた。
「……んな」
理貴の口からスプーンが抜かれた。
「あ、あれ、さっき私たちがいたビル!」 「陽香ちゃん?」 「倒壊したわよ!」
刀を抱え、陽香は早々に食器を片付けると部屋を飛び出した。理貴と姫子松も大急ぎで彼女に続く。 土埃が晴れたその場所は、元々なにがあったのかわからなくなるほど荒れていた。鉄骨が散乱したその場所に近寄るのは危険である。崩れた現場から離れたところから3人はその鉄骨らを眺めた。
「俺の使い魔もだいぶやられたな……」
この鉄骨の下には使い魔の死骸がたくさんあることを読み取り、理貴はため息をした。生き残った使い魔から情報を得ようとしたが、どれからも得ることはできなかった。 陽香に向けられた視線を、首を振ることでそれ以上得るものはないと伝える。
「……えっと、まあ、ビルが勝手に倒壊するなんてあり得ないんだから、なにかあったんだろうね。時間が進まないんなら、なおさら」 「姫子松の言うとおりだな。素人じゃないのは確か。魔術師じゃないと短時間でビルを鉄屑にできないだろうけど」 「どうかな」
理貴と陽香は魔術師の仕業であろうと結論付けたが、姫子松は否定する。 姫子松は積み上がった鉄屑の周囲をふらふらと歩く。視線は鉄骨にひっついたまま。理貴の黒い狼も辺りの臭いを嗅いでみるが、すこししてから首をかしげた。
「うん。やっぱり。魔力の気配がまったくしない」
陽香はすぐに「そんな!」と声を荒げた。 魔術を使えば、その地点、とくに対象に強く魔力が痕を残す。姫子松はそれがないというのだ。 姫子松の家で食事をし、ここへ戻ってくるまで二時間もいらない。たった二時間でビルが崩れるものか。
「爆弾で古い建物を破壊する、って聞いたことがあるわ。これなら短時間でビルを破壊できる。でも、爆発音なんて聞こえなかった……」 「機械を用いるにしても、二時間でビルを解体できるわけがない。解体作業中に事故してこんな有り様になったなら話は別だけど。でもそんなことをする意味がわからない」 「強いて言うなら殺人の証拠隠滅?」 「それなら手っ取り早く魔術を使うだろ。魔術師がいたんだから」 「理貴はあの殺人犯とは別の人がビルを倒壊したと思うの?」 「動機は分からないが、そうだと思う。俺の方も魔力の痕跡がないか探してるけど、たしかにないんだ。魔術師なら魔術を使うはずだ」
魔術師は科学よりも魔術を重視する傾向にある。魔術師からしてみれば、魔術とは己の手足のようなもの。代償はあれど、科学よりも手っ取り早く使える手段が手もとにあるのだから使うに決まっている。 その上、魔術師は理貴のようなごく稀にいる異分子でなければ家系によって継承されていくもの。普通の家系の人間が魔術師になることは少ない。魔術師は通常、育っていく課程で機械などあまり扱うこともない生活なのだ。
アナログな魔術師が魔術に頼らないのは考えにくい。 ならばビルを倒壊したのは一体何者なのだろうか。
「ああっ! もう、無理! 頭で考えることはダメなのよっ」
陽香はポニーテールを振り回して頭を抱えた。どうやらキャパオーバーらしい。
「だめだめ、動かないと死ぬ! 私はこの街を探索してくるわ!」 「陽香、待って。単独行動は止めよう!」 「でも私はもう役に立たないわよ。もう考えるのは無理! ストレスで破裂するわ!」
陽香は大太刀をブンブンと振り回す。鞘に収まっているものの、それは鈍器として危ない。大きな大太刀の射程距離は広く、理貴と黒い狼は慌てて回避した。
「じゃあ、理貴くんは陽香ちゃんについててあげて。僕はもう少しここで調べてるよ」 「でも姫子松。それじゃあ一人になる。殺人犯もいるなか危険だ」 「うん。だからさ。理貴くんの狼、借りてもいいかな? そうすれば一人じゃないでしょ?」 「……」
理貴は黒い狼と視線を合わせた。 狼の外見をしているが、これはれっきとした悪魔である。理貴の一存だけでは決定できない。悪魔は所有物ではないのだ。 黒い狼は姫子松を流し見たあと、小さく頷いた。了承だ。
「よし。じゃあ頼んだ。陽香、行こう」 「ええ。ありがとうね、悪魔さん」
陽香は黒い狼はに手を降り、礼を言う。黒い狼は照れ臭そうに鼻をならして、返事をしないまま姫子松に寄っていった。
「悪魔って気難しいのね」
陽香は肩をすくめた。苦笑を漏らして黒い狼を見届ける。 理貴は主契約の悪魔の笑い声を聞き届けながら「いや」と否定する。
「陽香みたいな女の子に礼を言われて照れてるんだよ。かっこつけてるつもりなんだろうな……」
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