曇天の開幕
 

陽香は右手に大太刀を握り、長く鋭い切っ先を姫子松へ向けた。陽香が踏み込めば斬られそうな中、姫子松は落ち着いた様子で微笑を浮かべていた。その微笑には困惑の色が混ざっている。

「魔術……って、言っていたけど姫子松は魔術を知っているのか?」
「そうだね。でも協会には登録してない。一応、魔術師なんだけど」
「一応?」

世界魔術師協会。魔術師たちの間では「協会」と呼ばれている魔術師界最大の組織だ。しかし組織とはいえど、ほとんど名ばかりであるというのがこの協会の特徴だ。協会を名乗ったこの組織の主な活動はない。これは、世界中に散らばる魔術師という存在の名前を総括的に登録することのみの存在意義をもつ。つまり、戸籍のようなものだ。
しかし、協会はその大きすぎる組織、戸籍以外にほとんど機能しないとされる一方で、影で世界中の魔術師を管轄しているといわれる。犯罪を犯してしまった魔術師、人道にそれた魔術師、はたまた世界魔術師協会の規約を破った魔術師などに体裁を下す。
あくまでこの仕事はメインではない。この世界魔術師協会は戸籍。
実は、協会のうちにさらに魔術師たちの組織、派閥がいくつも存在している。その組織や派閥というのが、魔術師たちの治安を守り、体裁を下すものであったり、魔術へ没頭して研究を繰り返すものであったり、ひとつの大きな魔術の完成へ向けて日々精進するものであったりする。これら組織や派閥を統括するのが世界魔術師協会。戸籍としての機能がメインである反面、協会の上層部は内に存在するあらゆる組織や派閥を統括しているのだ。

横山陽香はそのうち、戦闘代行人が集まる組織に所属していることになる。こういった戦闘代行人の組織は方針の違いにより、複数存在する。
今回の賞金首の件については組織ではなく危険視した協会の幹部がくだした任務なのだろう。
ちなみに、花岸理貴とメアリー・ルースは協会に所属しているものの組織にはどこにも籍をおいていない。

――このように、戸籍として協会に所属する魔術師というのは世界で99%と言われている。が、稀に協会に所属しない魔術師が存在する。その理由は様々。はぐれもの、存在を秘匿された魔術師、協会ができる以前から存在する魔人のような超長寿の魔術師などなど。こういった者は、いわゆる「わけあり」だ。

「協会に所属していないっていうのは、どうして?」
「ああ……、うん。恥ずかしいことなんだけど、僕の魔力ってすごく弱いんだよ」

姫子松の微笑が苦笑に変化した。
余裕の態度を見せる姫子松に、陽香が刃を近付けた。

「魔力探知はできるけど、魔術が使えない……。けれど魔術の世界を知っている」
「それが本当なら魔術師としてドン底ね。底辺よ」
「あはは……。お恥ずかしい」
「それが、ほ、ん、と、う、な、ら!」
「嘘だと思う? なら、僕の爪を剥いで拷問でもしてみる? それとも目玉を針の先でプツンって刺してみるかい?」

陽香は姫子松のいう拷問を想像して押し黙った。姫子松は苦笑ながらも笑顔を崩さない。

理貴は己の魔力探知を鋭く尖らせた。理貴の魔力探知能力というのは、神経を研ぎ澄ませ、集中しなくてはできない。陽香に奇襲を仕掛けられたときはメアリーに解析を頼んだが、理貴もできないわけではない。
陽香は出会った当初から相変わらず、魔力の濃度が薄すぎる。魔術の行使はほぼ不可能。魔力の弱さだけであれば一般人と違いはない。
一方で姫子松。彼は陽香より魔力の濃度は高い。が、しかし基礎魔術のひとつやふたつ程度しか成せない程度。理貴の足元にも及ばない。吹けば飛んでいくほどか弱いものだ。

「たしかに、姫子松の魔力は弱すぎる。それだけじゃ時を止めたり、生き物をぬいぐるみに置換なんてできない」
「よかった。僕の無罪は晴れたようだね」

魔武器をしまう陽香は腕をくみ、理貴と姫子松の間を目線が往復した。

「なんで私たちは置換されていないのかしら。なにか条件でもあるのか、それとも理貴の悪魔が気を使って守ってくれたとか?」
「そこらへんで昼寝してるような奴にそんなことはできない」
「ひ、昼寝……してるの……」

困ったな、と理貴は頭をかいた。
ひとまず、このままでは埒が明かない。見渡す限り、このまま道路にいたところで新たな情報は得られないだろう。
これは大規模な魔術であることは確信している。これを起こした犯人がどこかにいるのは確実。目的が一体何で、誰がこんな魔術を成功させたのか。理貴と陽香は知る必要がある。それが賞金首の行ったことなら、職務を全うしなくてはならない。

「えっ、ちょ、ちょっと、あんたどこにいくのよ!」
「あんた、じゃないよ。僕は姫子松。自己紹介したはずなんだけどな。陽香ちゃんのお耳は何かな。可愛くない飾り?」
「はあ!?」

陽香がまた大太刀を握る。あわてて理貴が陽香を押し止め、こちらに背を向けて歩き出す姫子松に目的地を伺った。姫子松は終始、やはり笑顔のまま言う。

「散歩」