プロローグ
場所は移り、理貴の自宅。物音ひとつ立てずに玄関を通り、自室に陽香を招き入れる。 白に統一された理貴の部屋は散らかっているような物などひとつもなく、むしろ年頃の少年とは思えぬほど物欲のない部屋だ。小学校入学とともに買った学習机の上には教科書や参考書。そこにブックカバーをかけられた魔術書が混ざっている。壁にかかっているのは一秒の狂いもない時計。本棚のなかは魔術に関するもの一色。あまりに人間味のない部屋は見所がなくつまらないものだった。 そこにはすでに、一人の女性が居座っていた。雪のように白い肌と、相対する黒髪が目を惹く。しかし、とくに目を奪われるのは彼女の瞳だ。真っ赤な瞳は焔のように燃え盛った色だ。不思議と奇妙な感覚はなく、だが手を伸ばしてはいけない警告のような印象を与える。彼女の容姿は作り物のように整っており、それは頭のてっぺんから爪先まで計算され尽くされたような出来映えだ。年齢はおよそ20代後半だろうが、へにゃりと浮かべる笑顔は少女のようだ。 彼女こそが花岸理貴に黒魔術を教える師、メアリー・ルースである。
「いらっしゃーい、陽香ちゃん。理貴もおかえり」 「ただいま。わるい、陽香。いま座布団を用意するから。メアリーさんは退いて、テーブル片付けろ汚ねえ」 「ほーい」
陽香がドアの前で立ち往生している間に理貴とメアリーは部屋の片付けをする。しかし、常に掃除をしている理貴の部屋を汚しているのはメアリーの食べあと。手際よく片付け、五分とたたないうちに部屋は生活感のないほど整理された。理貴のベッドの上でメアリーがごろごろと寝転がり、テーブルを挟んで理貴と陽香が座った。
「アルマンドもお疲れさま」
理貴の後ろにずっと控えていた鎧の悪魔は彼の合図を機に、姿を消して元の世界に帰還する。
「悪いな。静かに入ってきてもらって。母さんが寝てるから」 「別にいいけど……。理貴のお母さま、寝てるって? 理貴が外に出ていってたのは内緒なの?」 「内緒。母さんは魔術師とはまったく関係ない一般人だから」 「あら、そう」 「で、用件は?」
メアリーがこぽこぽと紙コップに冷えた炭酸ジュースを注ぎ込む。紙コップは二つ用意されていたが、理貴の分は存在しなかった。 そのジュースを一口飲んで、陽香は口を開いた。
「私、今とある賞金首の追跡任務を請け負っているの」 「その賞金首が、俺?」 「なんであんたなのよ」 「ごめん。続けて」 「その賞金首と一戦やったんだけど、わたし一人じゃ力不足でね。それで、近くにいる任務のないの魔術師を探したらあんたがいたのよ」 「……」 「軽く戦った感じだと合格点よ。不安はあるけど、即席なんだもの。仕方ないわ」
横山陽香は気づいていないだろう。花岸理貴に未熟であると何度も何度も言葉の槍を突き刺していることに。 理貴はゆっくり陽香から視線をはずし、頬杖をついて頭を抱えた。くすくすとメアリーは笑う。
「陽香ちゃんは理貴を連れて任務の完遂を目指してるんだね?」 「ええ、そうよ。ところで、あんた誰」 「いいよ、いいよお。理貴を連れていって! これもいい修行! 理貴には命を懸けるくらいでちょうどいいもんね」 「だからあんた誰よ」
メアリーはベッドの上に立ち、片手を胸に。もう片方の腕を広げた。包帯でぐるぐるに巻かれた痛々しい四肢が堂々と晒される。
「陽香ちゃんに自己紹介してなかったよね。私はメアリー・ルース! 一応、協会に所属してる黒魔術師よ。ほぼフリーみたいなものかな。今はそこの花岸理貴の先生をやってるんだよ」
最後にはピースでポーズを決める。 陽香は一拍おいたあと、合点が言ったようで大声をあげた。
「あ、あんた、あなたがメアリー・ルース!? お、お噂はかねがね……」 「いやあだ、そんなに強張らないで。黒魔術師なんていっても、私はそれらしく陰険で悪質な魔術師じゃないんだから!」 「黒魔術師に驚いてるわけじゃ……」
「メアリーさん、有名なのか」理貴は首をかしげる。メアリー・ルースの魔術師としての腕前は理貴がよく知っている。マイペースを崩さず、ふざけた姿勢をとっているが、文句のつけようがないほど魔術の腕は極まっている。魔法のような魔術は、恐らく、世界中でもトップクラスだろう。
「ばっか、あんた知らないの?!」 「え」 「メアリー・ルースといえば、世界の破滅を何度も防いでるのよ! ……噂だけど」 「う、噂かよ。びびった……」
陽香はそっと理貴から目を離し、床に落としたあとメアリーと握手を交わした。「お会いできて光栄です」などと恐縮している始末だ。理貴はメアリーに対してそこまでの敬意を払うに値するか悩む。 たしかに彼女は理貴にとって恩人であり、頭が上がらないが、恐縮はしない。
「メアリーさんって凄いのか……」 「やだなあ。凄くないよ。私は魔術師の才能なんてないんだから。理貴の方が私より才能あるくらいなんだよ」
なんて肩を落とす。メアリーは嘘をつかない。理貴は腕を組み、グググ、と首をかしげた。
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