被験者ナナリー


   

リャクとツバサの殺し合いに決着はつかない。互いに怪我を負わせられるものの、決定的な致命傷には至らない。いや、むしろリャクやツバサでさえまともな攻撃を与えられないのだ。互いを傷つけられた時点で名誉である。

そんな中、彼らのために死にかけている者がいた。
ナナリーである。
組織の騒動を外部に知らせないため、組織の建物を封術で孤立させていた。どんなに建物内で暴れようとも、外部へ繋がる壁が破壊されないように異能を操作していた。


「ぐっ……」


ツバサやレヴィが敵として襲撃してきたという情報を得た時から、組織の情報を保守するのはナナリーの役目だと本人も理解していた。そして、ツバサやレヴィに対抗するためにこちらも彼らに見あった異能者を出撃される。敵味方の攻撃を一手に引き受け、それを抑えるほどの封術師はナナリーしかいない。
分かりきっていた。

自分はここで死ぬかもしれない。

それほどまでにナナリーは衰弱していた。ナナリーの側にはもう誰もいない。さきほどまでナナリーのほかにリカ、ナイトらがいたのだが、移送をほぼ完了させた彼らはここではなく移送現場で指示するため、六階にはナナリーしかいなかった。
彼女は呼吸をも難しい状態で死を覚悟していた。まばたきを忘れてしまうほど封術の駆使は難しい。心臓が破裂しそうなほど大きく速い鼓動を繰り返す。全身の血管がブチブチと着れ、白衣は所々血に染まっていた。視力も聴力も含めた五感が喪われていく。それでもナナリーは、一途にリャクを想った。

リャクがいなければいまごろナナリーはどこかのゴミと一緒に棄てられていたことだろう。いや、生きていないのかもしれない。もしくは商人がナナリーを商品として売買していたことかもしれない。

リャクがナナリーを拾ったのは、彼女がまだ七才の頃だった。

当時、リャクはすでに天属性の開発の影響で成長が止まり、そしてすでに研究へ身を投じていた。リャクがナナリーを見付けたのは偶然。拾われたナナリーが生きているのも偶然に等しい。リャクが使い古した白衣を着てナナリーを拾った理由は、検体集めであった。人体実験をするためにはまず人体を必要とする。そのためにナナリーを拾い上げたのが始まりだった。
「貴様は限りなく無能者だ。だが、わずかに異能者の素質もある。面白い。オレが無能者を異能者にしよう」
そうしてナナリーはリャクによって人体実験を重ね、開発された結果、高位の実力をもつ封術師となった。
リャクの行うことは前代未聞の研究ばかり。属性の開発、無能者から異能者への転換。ナナリーはリャクに惹かれた。

リャクの人体実験は苦痛ばかりで逃げ出したくなるようなものばかりであったはずだ。無理矢理、拘束され、脳を切り開かれ、神経を触られるなど散々だった。その際にされる麻酔などあまり効き目のないもので、本来なら研究の途中で被験者が精神的にも肉体的にも追い詰められて死んでしまうようなもの。ナナリーはリャクを恩人と思い、彼に尽くしたい一心だけで耐えきってみせた。
リャクを狂研究者だと言い、狂っていると吐き捨てる者もいるが、彼に隠れてナナリーも狂っているのかもしれない。狂気が伝染したのかもしれない。


「リャク様」


ただ、ナナリーの行動原理は単純なもの。
すべてはリャク・ウィリディアスのため。
ここで溶けてしまおうが、破裂しようが、どうなろうがリャクのために死ぬことができれば幸悦。

さて。
そろそろナナリーの五感のほとんどが感覚を喪ったであろう。たとえリャクがナナリーを被験者としか思っていなくても。どれだけ「どうでもいい」と思われてもナナリーは儚く尽くす。彼女はリャクのために。彼のためだけに花を散らせ、枯らせる。


「――敬愛しています。リャク様――」


糸が切れた人形のように、ナナリーは倒れた。