午前0時過ぎ
 
 

高蔵寺を追っていた狼はすぐにロルフへ寄った。二匹の狼がロルフを守るように影の中で座り込むに身を寄せた。幸運なことに、今夜は厚い雲が雪を降らしていた。ロルフはなんとか人間の姿を保っていたのだ。



「一体どうしましたの? 全員そろって。私を説得できるとでも? 私はこの一日から出たくありませんわ」

「それは、戻ると一人ぼっちになるからだろ?」

「……どういう意味でおっしゃいますの?」



九条が高蔵寺を説得していた。その様子を他のものは口を出さずに見守っている。高蔵寺のことははじめから九条に任されていた。



「高蔵寺、みんな死んでさみしかったろ」

「……ええ。そうですわね。私の家系は退魔師でしたもの。強力な妖怪や他の退魔師との抗争で死は絶えませんわ。最後に私だけ残されて。たった一人。あの広い誰もいない家で、いつも。寂しかった。誰かを私は求めていましたわ。そんなときに九条、あなた方やって来ましたのよ」

「……」

「家に誰かかいる幸せ。手放せるわけがないですわ。今まで、ずっと、祖母がなくなってからずっと、願っていましたのよ。一人ぼっちにはなりたくないと。やっと叶った願い。それどころか、いまではこんなに沢山の人が! 私の夢は叶いましたわ。今、私は幸せですの。九条、あなたもこの一日を望んだのですのよ? なぜ出たいと思うのか私には理解できませんわ」



どこか、涙を浮かべているように見えた。黙って高蔵寺の話を聞いていた九条の反応は、普段めんどくさい、と非協力的な九条と考えられないほど熱心だった。



「馬鹿か! 高蔵寺はそうやって過去の生活にすがり、自分の幸せのためになら他はどうだっていいのか! ああ、俺だって現実から逃げていた。逃げていたからこうして高蔵寺の家に居候した。逃げていたからこうして一日を望んだ。でも逃げてばかりではなにもできない」

「分かっていますわ! 私は現実から目を背けて夢ばかりを見ていますわよ! でもここは、一人より、ずっと、ずっと、幸せなのよ! 一人はもう嫌。あの暗く広い家で、死んだような時間を過ごしたくない……!」

「高蔵寺――」

「だって、みんな、この一日にいないと私の前からいなくなってしまうでしょう!?」

「……っ」

「もう手放すのはうんざりよ! 血の繋がった高蔵寺家は私を残して滅んだわ。これ以上私をひとりにしないでよ!!」



いままで弱音をほとんど吐き出さなかった高蔵寺は、その胸に塞き止めていた感情を吐露した。苦しみなからもロルフはふと顔を上げた。
確かに、この一日がなければ、みんないなくなってしまう。九条は姉のもとへ、赤神は教会の手から逃れるために、高橋は赤神を追って、ロルフはただ満月から逃れるために、雪女は町では生きていけない。金神はこの土地に暮らす神ではない。ダンはわからないが、決して高蔵寺と親しく過ごすわけではないだろう。
ほとんどの人物は高蔵寺の前から姿を消すのだ。

一度、人に囲まれる幸せを思い出してしまった高蔵寺は、もう、これらを手離したくないのだ。孤独の寂しさを、悲しみを、切なさを、身に染みて知っている。だから、てばなすなど、かんがえられないのだ。



「あなたは私に、地獄へ戻れというの……!?」



降る雪の中に消えてしまいそうなほど、高蔵寺の声はその儚さを滲ませている。



「だったら、俺が高蔵寺と一緒にいるから」



いなくなる寂しさは九条も解る。高蔵寺ほどではないにしろ、両親を亡くす経験を九条も知っている。



「意味が分かりませんわ。あなたは姉に会うのでしょう」

「ああ、それは変わらない。べつに……、姉とこの先ずっと暮らすわけじゃない。俺は家出をして逃げたから、姉と立ち向かいたいだけだ。高蔵寺と暮らすことに問題はない」



そしてもう一人、九条に賛同する者が出た。



「高蔵寺の……孤独は、わかる。俺も残ろうか。『日の出る国』っていうから、月……、出ないと思ったのに、あった。だから月、諦めて……九条みたいに、立ち向かう」

「……あなた、そんな理由で日本に来たのですの? バカ?」



ロルフだった。
高蔵寺は目を丸くした。



「あたしも出来る限り残るよ。ほら、男ばっかだとつまんないっしょ? まあ、どうせ九条に叩き込みたいことが山ほどあるから返事なんて聞かないけどね」

「赤神が残るのなら僕も」

「あんたは帰っていいよ」

「な、別に赤神がどうとかじゃなくて、任務中ですからね!?」



そして二人も。



「ほれほれ、幸運は続かんぞ。決断は急げよ」



金神の催促する声がする。高蔵寺は躊躇う。



「ごめんなさいね。私は残れないけど、いつでも雪山に来てね」

「あんな極寒に行けというのか。死ねと?」

「そんなことはないわ。死なないわよ」

「フン、どうだか。まあ、俺には再会せぬよう気を付けることだな」

「おい雪女、金神。再びこの町に来るときは俺の家に住み着くなよ。追い返すからな」



雪女と金神が、そしてダンが。高蔵寺は自身にも原因が分からないまま声を震わせた。



「ごめんなさい」

「高蔵寺?」

「それだけ言っていただければ十分ですわ。私は独りじゃないと、実感しましたの。……5年も閉じ込めておいたのに、今更ながら……」



頭を垂れた。高蔵寺は雪の中に、力抜けて座り込み、慌てて九条がささえた。高蔵寺はひとりごとのように小さく呟く。



「私の我が儘でしたわ……。こうでもしないと孤独でないことに気づけなかった私をゆるして。もう、私は、明日が来ても大丈夫……」



ずっと寒いなかに故か、高蔵寺は目を閉じて眠りにつく。物理的な寂しさはあっても、精神的に繋がることができた。この五年間という長い一日で、その関係を築き、いま、やっと気付いた。



「普通なら許さないって怒るとこなんだろうけど、あたしにもその孤独がわかるから怒れないなあ」



赤神は自嘲するように夜空を仰ぎ見た。雪は止んでいた。