午前0時過ぎ
 
 

「赤神は死ぬことはできない。だけど、生きることはできる」

「……だから、私は、それが……」



九条は赤神の隣に座った。正面には高橋が見守り、斜め前にはロルフが眠そうな目を向けていた。

人が死ぬのは嫌だ。

人には沢山の体質があり、飛び抜けて九条の姉は不幸だった。姉の回りにいるひとは殆ど死んだ。姉に関わる人は幸運に逃げられた。九条の両親はそんな姉の不幸のせいで死んだ。姉の友達は事故死している。中学の頃の九条の友達も、火事で家を失ったり、近所に住んでいた人が病死したり、散々だ。死にまつわること以外にも不幸はあったが、つまり、九条は人が死ぬのを好まない。失ってばかりの人生であるが慣れることはなかった。赤神にも死んで欲しくない。できることなら生きていてほしい。九条にとって赤神は吸血鬼としては生みの親のようなもので、師匠だ。まだまだ教えてもらうことはあるし、なにより九条は悲しい。
ただその理由で九条は赤神の死を引き留めようとした。高橋のように赤神を愛してなどいない。ロルフのように共通の感情を持たない。
九条の――九条悠の、自分勝手な我が儘に過ぎない。赤神が何れだけ長い間死にたがっていたのか知らない。赤神が吸血鬼になった経緯を知らない。赤神がどうして愛を拒むのか知らない。赤神が死にたがる理由を知らない。ただ、もう、悲しむようなことになりたくない。



「ロルフが言ってただろ、世界は広いんだって。国だけじゃなくて、人だってたくさんいる。こういうの、俺、得意じゃないんだけど、なんていうか……。赤神の世界はきっと狭い。もっと広く――。いや、そういうのよりも、単刀直入に、やっぱ俺は赤神に死んで欲しくない。身近な人が死んで悲しくなるのは大嫌いだ」

「……」



身近な人の死。
赤神にもそれは経験があった。両親の死だ。あのときの絶望と悲哀は今でも痛いほど鮮明に思い出せる。
自分が死ねば、そんな人のこと、知ったことではない。吸血鬼になるなら、何百年後には九条の友人や高蔵寺、ダンは死んで居なくなっている。それが早いか近いかの違い。



「そうですね。僕も赤神を好きでいる以前に、仲間として死んで欲しくないです。この一日から脱出するまでの仲間です。この一日から脱出したら、高橋レオンスとして、赤神を殺しましょう」



高橋は白衣をシワが残るほど強く握った。本当は苦しいのだろう。好きな人を殺す趣味など高橋にはない。だが、赤神を、好きだというよりも、まずは半吸血鬼と吸血鬼。教会側に所属している者として、吸血鬼は殺さねばならない。逃げることさえ許されない境遇で、高橋はどうしても赤神を殺すしかないのだ。彼女が死を望み、「高橋として」殺すのなら良いと思っている。ならば、彼女を尊重しよう。



「じゃあ。ここから出たら、ぼ、ぼ……、ぼこ……? ドイツ行こう。皆で。……満月じゃないときに」

「母国な」



ロルフの言えなかった日本語を九条が訂正した。

世界は広い。日本には吸血鬼はまだ少ないが、ヨーロッパにはまだ吸血鬼がいる。まだ名も知らないような化け物が存在する。妖怪とは違う存在が。赤神の世界は、やはり狭い。長い人生であるのに、狭い世界のままでは勿体ないじゃないか。



「……あたし」



気付いた。始めて自分に生きていてほしいの願う人に出会った。あのとき、必死に自分を逃がした両親を思い出す。ただの自己満足のために自分を吸血鬼に仕立てあげた吸血鬼を呪った。恨んだ。その先に、高橋たちがいた。世界は広いのだ。自分はなんて小さいのだろうか。なにも知らないのに、勝手に絶望して、勝手に死にたがっていたのではないか。



「あたし、もう少し……、生きてみようかな」



そう言った赤神は涙を流しながら静かに微笑んでいた。