辻伊吹の成仏
 

「こんな私と友達になってくれて、ありがとう」と。

その言葉だけ九条と高蔵寺の耳に残って、辻は消えた。パッと。初めからそこに何も、誰もいなかったかのように、跡形もなく辻は消えてしまった。辻の涙を拭おうと手を伸ばしていた高蔵寺の手は、不自然に空中に留まっていた。



「……え?」



九条の間抜けな声が、確かに響いた。反響することなく、そのまま屋上に溶け込んでしまう。唇を強く噛む高蔵寺の不自然な手を、九条はいくらか時間が過ぎたあとに包んだ。



「辻……、成仏したのか……」

「……辻本人が納得したのでしょう。彼女の人生に、納得がいったのでしょう……」

「そうか。……寂しくなるな」

「これで良かったのですわ。悪霊になって欲しくありませんもの……」



高蔵寺の声は徐々に震えていった。九条は高蔵寺を抱き締めることもできずに、ただその手を包んだ。
辻が成仏するのは、良いことだ。それは悲しむべきものではない。喜ぶべきだ。友の旅立ちを。しかし高蔵寺は、成仏したと同時にいなくなってしまった友に寂しさを覚えていた。悲しんでいた。

また、孤独を思い出した。



「高蔵寺」

「……」

「高蔵寺」

「……」

「高蔵寺」

「……な、なんですの?」

「大丈夫か?」



涙を流しながら半ば放心状態だった高蔵寺の肩をたたいた。わざわざ左手で高蔵寺の両手を包み、離さないまま。その様子に、高蔵寺は空元気の笑顔を九条に向ける。



「あら、いつの間にこんな事ができるようになりましたの? 軟派な男ですわね」

「……。それより大丈夫なのか?」

「どうでしょう?」



大丈夫だと頷いてくれなかった。九条が不安の色を浮かべていると、高蔵寺は仕方ないとばかりに、九条に包まれていた右手で彼の頭を撫でた。まるで小さな子どもをあやすような手付きを九条は拗ねた様子で振り払う。



「帰りましょうか」



しばらく九条が拗ねたあと、高蔵寺が九条に包まれた手を握り返し、手を繋ぐようにして引っ張った。



「お、おい、高蔵寺! 離せよ」

「あら。照れていますの? 私はこのままがいいですわ。吸血鬼をこんな風に扱えるだなんて、優越感に浸れますのよ?」

「喰われたいのか」

「冗談ですわ。でも、今は寂しいの。少しだけ甘えさせてくださいな」



高蔵寺の、今にも泣き出しそうな声に九条は押し黙った。そう言われてしまっては九条も反抗などできない。九条はその手を高蔵寺に任せて、自分は横を向いた。窓の外は屋上にいたときよりも暗くなっている。