辻伊吹の成仏
 

高橋の心配は、九条にとってありがたい警告にもなる。九条は自らの手のひらを見て、また布団のなかに潜った。



「は!? ちょ、ちょっと九条! なんで潜るんですか! 真面目に聞けよ!」



高橋は慌てて九条の体をゆすり、叩く。バシバシ叩かれても布団越しでは痛くもかゆくもない。
昨晩、九条はやたらと赤神に吸血鬼としての知識を吹き込まれたあと眠りについた。唐突に昼夜逆転をみせた吸血鬼としての九条に午前8時という時刻はまだまだ夢のなかにいたい。高橋は困ったようにため息を吐いた。



「……わかってる」



九条から返事が帰ってきた。いつもより低く、ゆっくりとした眠気のこもった声だ。高橋は布団の上に手を置いたまま動きを止めた。



「わかってる。なんとなく、それはわかってた」

「九条、あなたは戦うことができますか?」

「喧嘩くらいしか経験はない」

「半吸血鬼の僕がいうのもなんですけど、九条に死んでもらいたくないです。どうか、戦い方を身につけてください。赤神に教えてもらって」

「……なんで俺にそんなことを言うんだ。俺は吸血鬼で、お前は半吸血鬼だろ」

「勝手ですが、仲間意識が沸いたんですよ」

「……」



九条は黙った。
さすがに、助けにいったほどの高橋をいつまでも他人だと思うほど九条は冷たくない。はじめに高橋が仲間にしてくれと言ったときから九条は高橋を仲間に思っている。同じように迷宮の町に閉じ込められた仲間だ。



「……。そうか……。まあ、そう、だな。赤神から教えてもらえることは教えてもらうことにする」

「はい。……おやすみなさい」



九条のその返事を聞いて、高橋はひとまず安堵した。九条が目を閉じる頃には高橋は部屋を出ていく。そのあと、九条は再び睡魔に誘惑され、二度寝を始めた。


次に九条が起きた頃にはもう昼食の時間だった。台所から食べ物の香りがするものの、そこに食欲は沸かない。九条は眼鏡をかけて、ふらりと居間に向かった。その場にはすでにロルフが二匹の狼と戯れていたり、金神がだらしなく寝転がっていたり、辻が大人しくテレビを見ていた。高蔵寺と高橋は台所にいる。赤神はまだいない。



「おはようございますわ、九条」

「はよ」

「ねえ、九条にも挑戦していただきたいんですけど……」



困り果てた表情で高蔵寺は目線をフライパンに移して九条の目線を誘導し、そして高橋と目を合わせて再び困りきった表情をした。

フライパンの上は真っ黒だ。九条は面倒くさそうな顔になった。