走る走る走る
 

足の速さ、体力では人間ではない人狼にかなうはずがない。九条にほとんど勝ち目はない。特別な力があるわけでもない一般人が御伽に出てくる人狼にかなうはずなど。

なにも考えずに走り出した九条は、必死で逃げながら策でも考えておけばよかった、と後悔した。
後ろには人狼。大きな狼の姿になっている人狼が一心に追いかけている。九条と人狼の距離は段々と縮まっていくばかりだ。大通りに出て、外出していた沢山の人が九条、そして人狼を見て驚き悲鳴をあげたが、そんなものまた午前0時になれば記憶がリセットされて忘れる。九条は周りなど気にも止めず、そして人狼も九条に集中していた。



(……あ、やばい……)



九条はフラッと足を崩しかけた。グラリと視界が揺れたがすぐに持ち直す。いまもなお、腕から血が止むことなく流れ続けている。
すぐ真後ろからは人狼の足音と息づかいがして、九条の恐怖を煽った。



「くそッ!!」



振り向かなくても人狼が近いことは明らかだ。九条は突然横に前転をして進行方向を変更した。すでにここは大通りを抜けて人気が減っている。ガタンガタンとどこからどこへ行くのか分からない電車が遠くで通っている音がする。
ちょうど九条を襲おうとしていた人狼は勢いを止めきれず、十メートルほど先でやって足を止めて九条と向き合った。互いに息切れをし、激しく肩を上下させている。九条はその上、咳き込んでいた。



「くれよ、血に濡れられた肉……。俺に」

「はあっ、は、……断る! 俺は、この町から出て、家に帰らないといけないんだ! ッこんな所で死んでたまるか、くそったれ」



九条が怒りをぶつけるように吠えた刹那、人狼の真上から複数の蝙蝠が一斉に襲いかかった。人狼は驚く。蝙蝠はすぐに人狼を離れ、九条の前で一纏まりになると人影に変化する。それは。



「きゅ、吸血鬼……!?」

「高橋さんから話は聞いたよ、九条」

「……は。え……」

「あたしは赤神っていうの。吸血鬼はあたしの名前じゃない」



意味がわからなかった。なぜ九条というの名前を、なぜ吸血鬼――赤神は高橋に「さん」をつけて呼び始めたのか。なぜ現在、人狼から九条を守るように前に立っているのか。
人狼も首を傾げている。

赤神はぱっと九条の方を向くと、血だらけの腕を見た。口元が弧を描き、喉がゴクリと鳴る。傷口などお構い無しに手を擦り付けて、九条の血を小さな手に塗り付けた。ベットリと滴り落ちくるくらいに血を取ると、それを舐めた。

みるみるうちに高橋に撃たれた傷跡が消えていく。