差し伸ばされた左手



誰もいない。
カーテンを開けた窓の向こうには誰もいなかった。気のせいだったのだろうか。しかしノックをするようなあの音は確かに人工的だった。どこかに隠れているのだろうか、と考えて横を見る。あ、いま何か動いた。窓を開けてその正体をうかがおうとベランダに出たその途端。ぶわ、と風が部屋の中に入り込んだ。一瞬の強い風に、つい振り返って部屋の中を見てしまった。目が合った。見なければよかった。

中に不審者がいたのだから。
驚いて恐怖に震えるわけでもなく、オレは冷静に彼を見ていた。

さっきのイヤホン野郎とは違う。赤い瞳が印象的な少年だ。その赤を黒い髪が引き立てている。歳はオレに近いだろう。
そのすぐ近くに背の低い無表情の少女がいた。今気が付いた。



「ソラ」

「誰」

「……あ、ああ、そうか。ソラは記憶が一部ないんだったな」

「マスター、一部というよりも半分以上がないのだとおもいますよ。今のソラは自分が異能者だということも知らないはずです」

「致命的だな……。困った困った。それじゃあ俺たち不審者じゃないか。警察に通報でもされたらピンチだな」

「やはり玄関から入れば良かったですね。窓から入っては何を言っても信じてもらえませんよ」

「困ったなあ」

「困りました」



オレが「誰」と言ったのにその質問を忘れられてしまった。目の前にいる黒髪の少年と無表情の少女は一緒に首を傾けた。

それにしてもなんだろう。彼らとは初めて会ったような気がしない。そういえばイヤホン野郎もそうだった。というかなぜ玄関から入らないんだ。



「取り合えず自己紹介をしよう! だから包丁から手を離してくれないかな」

「無理」

「俺の名前はシングだ。こっちはミルミ。俺たちはソラと友人なんだが……、思い出せないか?」

「オレって窓から家に入る友達がいたわけ?」

「今日はたまたまだ」

「へえ。で、不審者さんたちはオレに何の用なの?」

「マスター、ソラは私たちを疑っています。万が一のことがあれば……」

「大丈夫だ。そもそも包丁はソラの手に合わん。記憶もまだらなんだ。俺の異能もミルミの異能も忘れているさ」

「しかしマスター……、私は」

「大丈夫大丈夫。さて、ソラ。俺たちの用とは簡単なことだ。一緒に来てほしい。ここはソラのいるべき世界じゃない」



意味がわからない。そう言おうとしたとき、シングに腕を掴まれた。……意味がわからない。
パッと掴まれた腕を振り払う。しかし諦めないのか、シングは今度は左手を差し伸べてきた。



「帰ろう、ソラ」